きびだんご王国 | 桃太郎伝説ときびだんごについて、岡山の有志が集まって楽しく語るサイト

きびだんご王国 桃太郎伝説

桃太郎伝説補完計画

銀河

この日記もいろいろと多岐にわたる話題を扱っているため、書いている私も最近少々混乱気味である。特に桃太郎の裏話系の話がややこしくなっているようだ。

そこで、まとめというか、今後の計画というか、とにかく頭の中を少し整理しておきたい。

まず、補完計画と言えば、この日記では通常、「きびだんご補完計画」を指す。これは、新型きびだんごの開発がテーマだ。きびだんごはもともと兵糧のようなもので、きびを使ったおむすびのようなものだった。それが明治の初め頃に岡山のお土産として和菓子のひとつになった。その後、きな粉をまぶしたものや、チョコや餡やフルーツピューレを入れたものなど様々な亜種が生まれて今日に至っている。これを大幅に改造し、これまでにないきびだんごを開発しようというのが「きびだんご補完計画」だ。

次に、「桃太郎伝説ジェネシス」だが、これは桃太郎が生まれる遥か以前の物語で、銀河の彼方から奇跡の石が太陽系第三惑星にやってきたところから始まる。やがてこの石から七つの玉が作られ、後にきびだんごという隠語で呼ばれることになる。倭国の最初の女王である卑弥呼やその二代後の女王となった壱与(いよ)、さらに初期ヤマト王権まで巻き込む壮大な物語である。

そして、きびだんご王国が現在全力を上げて解明に乗り出しているのが、「桃太郎伝説エピソード I 」だ。これは桃太郎の父親の物語であり、桃太郎が誕生したあたりで終わる。温羅との関わり、そしてきびだんごの暗黒面が物語に陰を落とす。若く強い戦士であった桃太郎の父親が復讐の鬼と化す悲劇がテーマだ。だが、話は正義か悪かといった単純なものではない。複雑にからむ人間関係、そして利権と野望の渦。中でもヤマト王権を脅かすほどの力を得た吉備と出雲の熾烈な覇権争いなど、まだまだ解かなくてはならない謎が多い。

さらに、「きびだんご補完計画」を続けているNERFのゲンドー博士が不穏な動きをみせているのも気になる。伝説のきびだんごのうち三つがNERFの地下倉庫に眠っていることは以前の日記でも述べたが、残りの四つを巡って新たな野望が渦巻いている。つまり、きびだんご伝説はまだ続いているのだ。この未来のきびだんご伝説ともいうべき物語にはサイコガンを持つ宇宙海賊なども大暴れする。まさに収拾がつかない続編ともいうべき存在だ。もっとも、七つ集めたところで神龍(シェンロン)は出てこないが…

以上、これまでの日記を桃太郎伝説を軸に整理してみた。そして「ジェネシス」「エピソード I 」「新世紀」の三つの桃太郎伝説をまとめて「桃太郎伝説補完計画」と呼ぶことにしよう。とにかく、きびだんご王国が扱う桃太郎伝説関連の物語は内容が盛りだくさんである。

今後の調査に是非期待していただきたい。

 

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岡山城は復元し直すべし

岡山城

日本三大名園である後楽園から天守閣を仰ぎ見ることのできる岡山城だが、その実態は寂れたテーマパークのようなマガイモノである。

もともと烏城(うじょう)という別名を持つほどの名城だが、空襲で焼けてしまい、戦後に再建された。しかし、その姿は名城にはほど遠く、コンクリート作りでアルミサッシの窓を持つブサイクな城である。要するに復元ではなく、外見を似せただけの全くの別物だ。

なぜ、宮大工を使って歴史的建造物として復元しなかったのだろう。同じ岡山県下でも高梁の松山城などは時代考証を行った上で修復したというのに。

とにかく、観光のシンボルとも言える岡山城がこの有様では、岡山を全国にPRする上で大きな足かせとなる。高知城に行って天守閣まで登ってみればわかるが、本物の城の持つ魅力は計り知れない。その後で岡山城へ行くと、がっかりを通り越して、ただただ呆れるばかりだ。私は高知の人々がうらやましくてならない。

図面が残っていないのなら仕方ない面もあるだろう。だが、岡山城については詳細な資料が現存している。写真も豊富だ。歴史的建造物として復元できないはずがない。なぜ宮大工に依頼しないのか。

そういえば、宮大工に依頼しないと言えば、鬼ノ城の復元作業もそうだったな。鬼ノ城も歴史的な復元作業とはほど遠い工法を採用した。なにせ、太い木の柱の中には鉄製のジョイントが入っている始末だ。雨風にさらされて、ゆくゆくは内側からさびてダメになるだろう。ちなみに、岡山城も鬼ノ城も復元作業を担当したのは岡山選出の某自民党衆議院議員の実家の会社だ。

それはともかく、歴史的建造物の再建には宮大工を使えというのが私の主張だ。外観だけそれなりに格好がつけば中身はどうでもいいという考え方には失望を通り越して怒りさえ感じる。

もっとも、それだけではない。歴史的建造物の復元には強力な対抗勢力が存在するのだ。それは、バリアフリー推進論者たちだ。彼らときたら、足の不自由な人たちも車イスで天守閣に登らせてあげたいなどと主張する。そうなると、エレベータの設置が大前提だ。しかし、そんなことをすると、もはや歴史的建造物としての価値はなくなってしまう。大阪城の惨めな姿を見るといい。中はコンクリートでエレベータにエスカレータが設置され、しかも外側にも車イス用の入り口としてガラス張りのエレベータシャフトが付いている。大阪城については、安土桃山時代の城を復元するか、江戸時代の城を再建するかといった議論もあるが、現在の大阪城はそれ以前の巨大なコンクリートのゴミである。ちなみに、秀吉の頃の大阪は「大坂」と書いた。秀吉があの場所を石山から大坂に改名したのだ。ところが、豊臣家が滅亡した後、大坂の「坂」は「土が反る」ので縁起が悪いということになり、現在のような「阪」の字を当てることになった。

話が少し逸れたが、私は何でもかんでもバリアフリーにする必要はないと思う。障害者の方々には申し訳ないが、天守閣には登れなくてもいいではないか。エジプトのピラミッドだってバリアフリーではない。もしも、ピラミッドの中を大改造して冷暖房完備でエスカレータなども設置したりすれば、恐らく観光客は激減するだろう。もはや歴史的な価値がないからだ。 

というわけで、観光資源として考えるなら、岡山城はもう一度破壊して、基礎から歴史的工法で復元し直してほしいと思う。 

 

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カレーきびだんご?

カレー

今日の昼食は、田舎に出かけて自然食を売りにしているカレー屋を訪れた。小さな店内は薪ストーブで暖められ、なかなか快適な空間だった。周りの景色に不似合いなインド音楽が流れていたのに違和感を覚えたが、やがて気にならなくなった。

私は普段はあまりカレーを食べないのだが、かつてロンドンで暮らしていた頃は毎週のように食べていた。ロンドンにはインド人の移民が多く、インド料理店には不自由しない。また価格も手頃なため、ついつい立ち寄ってしまう。

さて、この店のカレーだが、今まで食べた事もない独特なものであった。皿の上にはご飯とカレー粉で煮たか炒めたかよくわからない野菜類が並んでいて、その横にはほぼ無色透明な豆のスープが置いてあった。店の主人いわく、上からスープを掛けて、あとは大胆に混ぜて食べよとのことだ。よくわからないが、言う通りにして食べてみた。

不思議な味で上手く評価できないが、美味しいといえば美味しくもあり、別に不満はないのだが、今ひとつカレーという気がしなかった。食べ終わった皿の上にはほぼ無色透明の豆スープの汁が残っているだけで、いわゆるカレーの色ではない。おなじみの黄色でもなければ、白でも緑でもなく無色透明である。私が普段から描いているカレーのイメージとは随分かけ離れたカレーであった。

恐らく、私が知らないだけで、カレーのレシピはおびただしい数があるのだろう。ロンドンで初めてインド人の作ったカレーを食べたときも、日本でそれまで食べていたカレーとの違いに随分驚いたものだが、どうやらこの料理、相当奥が深そうだ。そのうち、徹底的に調べてみる必要がありそうだな。そういう意味では、私のカレーに対する好奇心を呼び覚ましてくれた素敵な昼食だったと言えるだろう。

というわけで、久しぶりにヘルシーな有機無農薬野菜のカレーを味わったわけだが、ふと、カレーをきびだんごに応用できないかというアイデアが頭をよぎった。そうなのだ。岡山にはチョコレートきびだんごやフルーツきびだんご、さらには黒豆きびだんごやラムネきびだんごまで存在するが、カレーきびだんごはまだなかったと思う。なぜだ。どうして誰もカレーきびだんごを作らないのだ。美味しいかどうかは別として少なくともウケるに違いない。この日記を読んでいる業界の方には、是非勇気を出してトライしてもらいたい。

ちなみに、カレー粉をふりかけるだけなら、きな粉きびだんごの要領ですぐにでも可能だ。なんなら、きな粉と色がそっくりの辛いカレー粉を使って激辛きびだんごを作り、これをきな粉きびだんごにひとつだけ混ぜて、ロシアンきびだんごというのもアリだろう。運悪く激辛を口にした人はハズレというわけだ。

いやいや、どうせやるなら、心から美味いと感じるカレーきびだんごにした方がいいな。そうすると、カレー粉を振りかけるだけという安易な方法ではダメだ。やはり、原材料を練り込む段階からカレー味を極めねばなるまい。問題は甘さと辛さのシンクロ率だ。残念ながら私は適格者ではないため、このプロジェクトには貢献できないが、我がきびだんご王国が誇る特務機関NERFのゲンドー博士なら適格者を見つけてくるかもしれない。

いずれにせよ、カレーきびだんごについて、新しい情報が入り次第報告しよう。まあ、あまり期待はできそうもないが。

 

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後楽園

後楽園

日本三大名園のひとつ後楽園は、岡山が全国に誇る名園だ。四季折々の植物が楽しめ、丹頂鶴にもお目にかかれる。見所満載の観光施設である。特に丹頂鶴が園内に放たれる日は大勢の観光客が訪れ、カメラのシャッター音が鳴り止まない。ちなみに丹頂鶴の「丹」とは赤いという意味で、「頂」は頭のてっぺんという意味だ。つまり丹頂鶴とは頭のてっぺんが赤い鶴というわけで、釧路湿原を除けば、日本でお目にかかれるのは岡山くらいしかないはずだ。

だが、市内でタクシー運転手の方々と話をすると、近年観光客が少なくなって来ているという。この傾向はずっと続いていて歯止めがかからないらしい。う~む、このままではまずい。なんとか岡山の魅力をアピールせねば。この際、ミシュランでも高く評価されている後楽園を大々的にPRしよう。

ちなみに、つるの玉子本舗下山松壽軒(しょうじゅけん)という明治20年創業の老舗のお菓子屋さんには、なんと「後楽園」というそのものズバリのお菓子がある。なんでも「後楽園」を商標登録しているというのだからすごい。この商品は羊羹(ようかん)で、ごく普通の小豆の羊羹と白いんげんを天然色素で染めた紅羊羹の二種類からなる。いずれも一口サイズのしゃれた羊羹だ。甘すぎず、上品な味わいは日本の伝統菓子の良さを今に伝えている。

が、羊羹ではインパクトが弱い。やはり、後楽園を全国にPRするには、もっとド派手な何かが必要だ。一度口にしたら二度と忘れないような何かが。

そこで、私はキョーレツな炭酸飲料を開発することを提案する。クエン酸入りのコーラだ。その名も「コーラクエン」。何? ただのダジャレじゃねーかって? そう思ったアナタはまだまだ甘い。これには、「こりゃあ、食えん(こーら、くえん)」というもう一つのダジャレも融合されているのだ。つまり、ダブル・ダジャレだ。略してダブジャレ。ダジャレのレベルが違うのだよ。

で、これを全国の自販機で販売する。CMキャラクターは岡山が誇る悪役俳優、八名信夫がいいだろう。決め台詞は「まずい!! もう一杯!!」で決まりだな。

ところで、後楽園には庭園としての魅力の他に、様々な動物ウォッチングが楽しめるということをご存知だろうか。野生化したネコはもちろん、タヌキやイタチなども結構いる。園内には一般人立ち入り禁止区域というのがあって、どうやらそこで安全に生活しているらしい。たまに昼間でも後楽園の外周の道端や河原でタヌキの群れを見かけることもある。また、野鳥も豊富で、なんとカワセミの目撃例もある。後楽園の中にはパンダが十分生活してゆけそうな竹やぶもあれば、オランウータンがいそうなうっそうとした森林のような場所もあるし、谷川を模した清流やら池や沼、さらには田んぼや梅園まである。桜も見事だし、園内から入れる植物園には熱帯雨林コーナーがあってバナナまで植えている。と、もうなんでもありの無法地帯といってもいいパラエティ豊かな庭園なのだ。

とにかく、動物やら野鳥やら魚やら昆虫やら、生き物の観察や撮影には後楽園はもってこいの場所である。岡山市内では、都会のジャングルとまで呼ばれているのもうなずけるだろう。そういえば、後楽園に入ったきり生きて戻らなかった人も少なくないという都市伝説さえ存在したっけ。

ちなみに、私は小学生の頃、飼っていたカブトムシを100匹近く、園内に逃がしたことがある。「カブトムシの命はもうすぐ尽きるのだから、最後は逃してやりなさい」という父の助言に従って、父とふたり、夏の終わりに後楽園で逃したのである。今なら、カブトムシを大量に持って入ろうとすれば入り口でとがめられるだろうが、当時はおおらかだったのだろう。何せ、当時私は毎年夏に後楽園内で父とセミ取りをして遊んでいたくらいだ。今なら木が痛むとかなんとか言われて、捕虫網など堂々と持って入れないのではないだろうか。

さて、私が逃したカブトムシの子孫だが、果たして今でも後楽園で生活しているのだろうか。後楽園でカブトムシを見かけたという方は、是非きびだんご王国にメールしていただきたい。

 

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きびだんごは何でできている?

きびだんご

きびだんごは何でできているのか?

これは岡山を訪れる観光客からよく受ける質問だ。私は静かに目を閉じ、呼吸を整え、やがて目を見開いておもむろに答える。

愛だ。他に何があるというのだ。

しかし、この答えに満足して立ち去った観光客はいまだかつてひとりもいない。で、仕方がないので原材料などの説明をする羽目になる。

歴史的なことを言えば、きびだんごは多分おむすびのようなものだったのではないかと思う。きびやあわやひえ、あるいはもち米などでつくった団子だったのではないだろうか。とにかく、これから鬼退治に出かけるわけだから、戦場での兵糧である。決して甘いお菓子などではあるはずがない。腹が減っては戦にならぬというが、要するに腹ごしらえになるような食べ物だったと考えるのが自然だ。

現在、岡山で販売されているお土産のきびだんごは桃太郎伝説にあやかったお菓子で、その原材料の多くは水飴が占めている。言うまでもなく水飴は夏は柔らかく、冬は固い。業者は一斗缶で水飴を仕入れるが、真冬にこの一斗缶の水飴の中に手を突っ込むと下手をすると突き指をするほどの堅さである。これを釜の中で手間ひまかけて練ってゆくわけだ。他にもいろいろと材料を入れてゆくわけだが、きびだんごの食感を決めている大きな要因はこの水飴にある。質の高い水飴を用い、とことん練り込めば柔らかくて後味のさっぱりしたきびだんごになるのだ。

どれくらい練り込むかというと、練り込みにつかうヘラを持ち上げた時、そのヘラから落ちてくる原材料がまるで滝から落ちてくる川の水のごとくサラサラになるまで練り込むのである。初めて見た時は私も驚いた。あれほど固い水飴やらざらざらした砂糖やらが最後には川を流れる水のようになるとは。そこまで練り込むにはいったいどれだけの時間と労力がかかるのだろう。きびだんご作りは実に根気のいる仕事なのだ。

最近は機械も導入されているようだが、機械だけでは美味しいきびだんごにはならない。機械を補助的に使いながら、最後はやっぱり人の手で練り込んでゆかねばならないのだ。きびだんご王国で推薦しているきびだんごはそういう手間ひまかけたきびだんごである。

みなさんもいろいろときびだんごを食べ比べてみてほしい。徹底的に練り込んだきびだんごは柔らかく、そうでないきびだんごは固い。私は柔らかさをきびだんごを判定するひとつの基準にしている。

売店に行けば、チョコ入りのものやフルーツピューレ入りのものなど、これでもかというくらい種類があるが、まずは基本形ともいえるプレーンなきびだんごを味わっていただきたい。

 

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