きびだんご王国 | 桃太郎伝説ときびだんごについて、岡山の有志が集まって楽しく語るサイト

きびだんご王国 桃太郎伝説

Audible Audio Edition

紙の書籍か電子媒体か

今日、アマゾンUSAで洋書を物色していたところ、Audible Audio Edition というものに出くわした。要するに本の内容を朗読した音声データの提供である。ただし、CDではなく、あくまでも音声データによるダウンロード販売だ。

つまり、最近では紙媒体の書籍の他に電子書籍、朗読CD版、そしてAudible Audio Edition と、ひとつの出版物に四つの形態が揃っていたりするのだ。もちろん、全ての著作に対してではなく、今のところ売れ筋の作品に限られているようだが。

こうなると、どれを買おうか悩んでしまう。同じ書籍でも朗読音源があれば、例えば、車の運転中にも聞くことができるわけで、ビジネス書などを朗読音源で購入しておけば、出勤の途中でも内容を把握することが容易だ。

一方、iPad などを使える環境にあれば電子書籍もいいだろう。最近ではディスプレイのクオリティも上がり、それほど目も疲れないと聞く。なにより、朗読音声といい、電子書籍といい、重量がゼロという点が魅力だ。まとめて十数冊買っても重さがゼロというのは大変便利ではある。

う~む、悩む。私のように赤線を弾きながら読書をする者には、やはり紙媒体かなという気がするのだが… しかし、重さゼロで大量に持ち運べるという点を考えると… 悩ましいところだ。

おそらく、私の場合、最終的には両方買ってしまう可能性が高い。つまり、自宅では紙媒体を使い、出掛けるときは朗読音源か電子書籍で携帯するというわけだ。だが、こうなると出版社の思うつぼではないか。

ここはひとつ、紙媒体を購入した者には安く電子書籍や朗読音源が購入できる特典を付けてもらうしかない。今のところそんな特典はアマゾンにはないようだが、なんとかならないだろうか。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ。 

カテゴリー : もろもろ

丸暗記

丸暗記の効用

最近、丸暗記の効能を再評価している。

子供の頃から学校でも塾でも丸暗記はよくないと頭に叩き込まれてきた。最近の学習指導要綱はよく知らないが、かつては丸暗記と言えばダメな学習法と相場が決まっていた。当時の参考書などを開いてみても丸暗記では力はつかないと書いてある。

しかし、ひょっとして丸暗記こそ学問の王道ではないかと私は認識を新たにしているところだ。

きっかけはとあるピアニストの書籍だった。この中でリストの練習法について言及した著者は、推理小説を読みながらピアノを練習すると述べている。要するに、本でも読みながら練習しろというのがリストの教えなのだが、これは何も考えずに指だけ動かせという指示でもある。全く頭を使わずに無意識の状態で完璧に弾けるようになるまで練習しろということだ。

このリストの教えは前から知ってはいたが、私はあまり信用していなかった。だから、本当にその教え通りに練習して一流のプロになったという人の話を知って驚いたわけだ。大抵の先生は、「技術と音楽を切り離してはいけない。どんな技術練習でも音楽性を伴わなくてはならない」というだろう。至極真っ当な意見だ。しかし、リストの教えは正反対であり、私は長い間彼の意見に耳を貸さなかった。機械的な練習というものに懐疑的だったのだ。

だが、よく考えてみるとリストの教えは理にかなっている。考えなくても自動的に演奏できるまでに技術的な課題を克服しておけば、安心して頭を音楽に没頭できるというわけだ。この、考えなくてもというのは、要するに無意識にできるという意味である。これは何も音楽に限ったことではない。スポーツでも、語学でも、美術でも、おそらくあらゆる分野で応用可能な教えではないだろうか。

例えば、語学なら、基本的な例文などは無意識に口をついて出てくるまで暗唱しておくべきだろう。実際の会話でいちいち文法や単語を組み立てていたらとてもではないが間に合わない。考えるべきは話の内容であり、単語や語法は無意識に出てくるようでなくては使い物にならないはずだ。

算数でも我々は九九を丸暗記したではないか。インドでは19 x 19 まで暗記するらしいが、とにかく基本的な計算を暗記しているおかげでどれだけ日常生活が円滑に行われているかは言うまでもない。九九の丸暗記は芸術的でも数学的でもないかもしれないが、とにかく実用的である。

考えることの重要性はいくら強調してもしすぎることはないが、その前提として基礎的な知識や技能は無意識に活用できるまで頭と身体に叩き込んでおくべきである。機械的な暗記と言えば聞こえは悪いが、無意識のレベルにおける記憶の定着と言えば少しは理解が得られるのではないだろうか。

どうも、丸暗記という言葉がマイナスのイメージを持っているために誤解されているようだが、案外、丸暗記こそ無限の可能性を引き出す力の源かもしれない。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

シャア専用(その2)

ざくろ

最近、ざくろジュースにはまっている。最初は酸味が気になって飲みにくかったのだが、慣れてしまうと実に爽やかな飲みごたえだ。そこで、シャア専用の赤いきびだんごはザクロ味でいってはどうかと開発チームに提案してみた。

すると、返って来た答えはノーではないか。一体どうしたことだろう。理由を言え。理由を。

どうやら彼らの意見では同じ赤なら断然ストロベリーの方がウケるということらしい。確かにストロベリーは私も好きだ。適度な酸味もある。特にさちのかは酸味が強く、野性味溢れる苺だ。最近流行のあまおうなどただ甘いだけではないか。生食としてのさちのかは確かに大して人気はない。だが、スイーツとして加工したときは本当に美味しい。あるいは、さがほのかという品種もいいだろう。

おや、またしても話が逸れたが、私が推奨するザクロは本当にストロベリーに劣っているのだろうか。確かに酸味が強く、万人ウケする味ではないかもしれない。だが、健康によい果物だ。特にお肌に良いというのは、女性客に十分アピールできるのではないだろうか。そして、私が特に気に入っているのがミステリアスな味覚という点だ。正直、ざくろジュースを飲んでいて美味しいのか美味しくないのかよくわからない。すっぱいのが気になるが、なぜか飲んでしまう。実に不思議な味だ。赤いきびだんごは不思議な味でもいいのではないかと思ったりもする。

だが、開発チームはわかりやすい味にこだわっている。誰でもわかる甘い味覚。可愛らしいイメージ。そして、スイーツの定番という知名度。なるほど、そうなるとやはりストロベリーに勝るものはあるまい。どうやら、ストロベリーを中心にプロジェクトが進んでいくようである。まあ、同じ赤なら、すっぽんの血よりは良さそうだ。

ちなみに、開発スタッフの中にブルーベリーおたくがいる。私はブルーベリーが苦手なのだが、彼はどうしてもブルーベリーできびだんごを開発したいみたいだ。だが、どうだろう。生食のブルーベリーはまだ食べられるのだが、ジャムやジュースなどに加工したブルーベリーはどうしても好きになれない。好みかもしれないが、私は断然ザクロだ。それにブルーベリーでは赤いきびだんごにならないではないか。まさか青いきびだんごって、それじゃあランバ・ラル専用になってしまう。

とにかく、いろんな意見があってよいと思うのだが、やはりストロベリーだろうか。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : きびだんご

整理術

整理術

私はこれまでいろいろな整理術関連の書籍に目を通してきた。そこで推奨されている様々なファイリング法やスクラップ法などをあれこれ試してみた。そうして10年以上経過したわけだが、ついに私にぴったりの整理法にたどり着いた。

それは、もう二度と整理しない、という方法だ。

とにかく整理すれば、かならず書類の山ができる。どんなにがんばって整理しても最後には収拾がつかなくなるのだ。実際、私の書斎にはかなり厚めのリングファイルが時系列に並んでおり、その数は数十冊を超える。途中からファイリングをやめて封筒で管理するようになったため、今度はおびただしい数の封筒が書棚にぎっしり並んでいる始末だ。

ところが、こうして蓄えた資料だが、ここ10年以上触れていないものが大半である。ということは、無駄に部屋のスペースを占領しているだけではないのか。そういう疑問で頭が一杯になっていたわけだが、昨年あたりから徐々に整理する習慣を無くしてゆき、とうとう最近になって全く整理しないという境地に達したのである。

そもそも、どんなに丁寧に資料を整理したところで、いざという時に頭に浮かんでこなければ活用のしようがない。仮に全てをデジタル化してクラウドに上げたとしても、適切なキーワードが見つからなければ検索が機能しない。結局のところ、データは自分の頭の中で整理しておくしかないというのが私の結論だ。

まず、資料を作らず、必要事項は書籍に直接書き込む。何度も何度も参照した書籍なら該当箇所などすぐに探し出せる。線を引いたり書き込んだりしてエピソード記憶にしっかり収まっているからだ。そうなるとデジタルの検索機能など不要である。逆に言えば、必要な資料がどの書籍のどの辺りに書いてあったか思い出せないようなら、その資料は自分の頭に入っていないということであり、活用できなくて当然だと割り切ればよい。活用したければ頭に叩き込んでおけばよいのだ。

というわけで、私はいかに整理するかではなく、いかに頭に叩き込むかに労力をシフトした。資料作りやファイリングなどを作成する時間があれば、一冊でも多くの参考文献に当たった方がよいという発想だ。しかも、本はまるまる一冊読んだりしない。目次を見た後は必要な箇所だけ読んで次の本へ移る。一冊を精読する時間があったら、五冊でも十冊でも手を広げた方が効率がいい。本は必要な箇所だけを読む。このやり方は、なんのことはない、読むときに既に整理しているわけだ。いままでは読んでから整理していたのだが、今は読む前に整理を始め、読みながら整理し終えている。そして、読後にレポートやファイルは作らない。

とにかく、必要な箇所だけ記憶しておけばよいのだから、話は単純だ。そして、必要な箇所は折に触れて何度も読み返すことになる。結果として、必要な箇所だけは通算で精読したことになるわけだ。もし、何度も書棚からひっぱってくることがないようなら、その本は自分にとって大して価値のない本だったということになる。

こうして、本当に大切な本は、それ自体が資料でありファイルとなりうるのだ。そして、何度も参照することにより、反復作業によって記憶に定着してゆく。

慣れてくると、この方が時間が有効に使えて気分がいい。もう整理術とはおさらばだ。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

消費税

消費税は上げてほしくない

今日、国会で消費税の引き上げを柱とする社会保障・税一体改革関連法案が衆院を通過した。いずれ上げなくてはならない日が来るとは思っていたが、しかし、今このタイミングで上げる法案を通す必要があったのかどうか疑問だ。そもそも、民主党は上げないということで政権交代を果たしたのではなかったのか。全く政治家というものは信用できない生き物だ。

それはともかく、消費税の税率変更は、小売業社にとってはなはだ迷惑な話である。まず、言うまでもなくプライスカードを全て変更しなくてはならない。コンピュータの伝票発行システムの設定も変更が必要だ。包装紙などに価格を記載している場合は、包装紙を印刷し直すか、価格の上に貼る訂正シールを作らなくてはならない。顧客は、買うときに支払う金額が高くなることに不満があるだけかもしれないが、小売業界ではそれ以上に膨大な経費が掛かるのだ。

政治家はこうした小売業界の苦労を知っているのだろうか。もし知っていたら、まず8%、次に10%など二段階方式など唱えるはずがない。今も述べたように、税率が変更されると販売システムなどを変更しなくてはならないため、大変な労力を余儀なくされるのだ。だから、もし引き上げるなら、一度に引き上げてもらいたい。二段階方式など迷惑千万である。

ちょっと考えてもわかるが、百貨店などでは数えきれないほどの商品を扱っている。これら全ての商品についてプライスカードやタグを手作業で変えてゆかねばならないし、それに連動してコンピュータソフトの商品設定も手作業で変更しなくてはならない。この場合の価格表示だが、取引先によっては税込み価格の端数を切り捨てにするところや、四捨五入するところ、あるいは別の方式をとるところなど様々で、気をつけないと間違えてしまう。

さらに、納品伝票ときたら、納品先によって、売価、原価ともに税込み表示にするところとどちらも税抜き表示にするところがある。かと思えば、中には売価は税込み表示、原価は税抜き表示で納品伝票を書かねばならないところまである始末だ。

こうなると、当然のことだが、消費税が導入される前日は業界の担当者たちはみんな徹夜作業になる。実は何を隠そう、前回消費税が5%に上がった日、私はひとり徹夜で残業をする羽目になったのであった。だから、今後8%、10%と二段階に税率が引き上げられるというのは、正直なところ、悪夢でしかない。

というわけで、できることなら消費税は上げてほしくない。仮に上げるとしても一度で済ませてほしいものである。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ