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丸暗記

丸暗記の効用

最近、丸暗記の効能を再評価している。

子供の頃から学校でも塾でも丸暗記はよくないと頭に叩き込まれてきた。最近の学習指導要綱はよく知らないが、かつては丸暗記と言えばダメな学習法と相場が決まっていた。当時の参考書などを開いてみても丸暗記では力はつかないと書いてある。

しかし、ひょっとして丸暗記こそ学問の王道ではないかと私は認識を新たにしているところだ。

きっかけはとあるピアニストの書籍だった。この中でリストの練習法について言及した著者は、推理小説を読みながらピアノを練習すると述べている。要するに、本でも読みながら練習しろというのがリストの教えなのだが、これは何も考えずに指だけ動かせという指示でもある。全く頭を使わずに無意識の状態で完璧に弾けるようになるまで練習しろということだ。

このリストの教えは前から知ってはいたが、私はあまり信用していなかった。だから、本当にその教え通りに練習して一流のプロになったという人の話を知って驚いたわけだ。大抵の先生は、「技術と音楽を切り離してはいけない。どんな技術練習でも音楽性を伴わなくてはならない」というだろう。至極真っ当な意見だ。しかし、リストの教えは正反対であり、私は長い間彼の意見に耳を貸さなかった。機械的な練習というものに懐疑的だったのだ。

だが、よく考えてみるとリストの教えは理にかなっている。考えなくても自動的に演奏できるまでに技術的な課題を克服しておけば、安心して頭を音楽に没頭できるというわけだ。この、考えなくてもというのは、要するに無意識にできるという意味である。これは何も音楽に限ったことではない。スポーツでも、語学でも、美術でも、おそらくあらゆる分野で応用可能な教えではないだろうか。

例えば、語学なら、基本的な例文などは無意識に口をついて出てくるまで暗唱しておくべきだろう。実際の会話でいちいち文法や単語を組み立てていたらとてもではないが間に合わない。考えるべきは話の内容であり、単語や語法は無意識に出てくるようでなくては使い物にならないはずだ。

算数でも我々は九九を丸暗記したではないか。インドでは19 x 19 まで暗記するらしいが、とにかく基本的な計算を暗記しているおかげでどれだけ日常生活が円滑に行われているかは言うまでもない。九九の丸暗記は芸術的でも数学的でもないかもしれないが、とにかく実用的である。

考えることの重要性はいくら強調してもしすぎることはないが、その前提として基礎的な知識や技能は無意識に活用できるまで頭と身体に叩き込んでおくべきである。機械的な暗記と言えば聞こえは悪いが、無意識のレベルにおける記憶の定着と言えば少しは理解が得られるのではないだろうか。

どうも、丸暗記という言葉がマイナスのイメージを持っているために誤解されているようだが、案外、丸暗記こそ無限の可能性を引き出す力の源かもしれない。

 

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