このところ悲惨な交通事故のニュースが毎日のように飛び込んでくる。原因はまちまちだが、考え事をしていた、とか、居眠りをしていた、といったミスは人間である以上完全に取り除くことは不可能ではないだろうか。
私自身、考え事をしていて気がつくと数百メートル走っていたという経験がある。居眠り運転はさすがに一度もないが、今後一生の間に絶対にないと言い切ることは難しい。SF映画のようにロボットが運転したり、自動操縦装置が開発されたりしない限り、こうした事故を100%防ぐことはできないだろう。
実際、ひやっとした経験を持つ人は大勢いると思われる。彼らと事故を起した人たちとの違いは運だけかもしれない。そう考えると恐ろしい気がする。
ちなみに、私は交通事故に遭ったことが何度もある。子供の頃、近所の信号の無い交差点を走って渡ろうとして、左折してきた車と正面衝突した。そのときはおでこをモロに車にぶつけてしまった。この状況なら死んでもおかしくないのだが、車の速度が遅かったことと、急ブレーキが間に合ったおかげで、たんこぶができるくらいで済んだ。
その後、確か小学二年生くらいだったと思うが、今度は大通りの交差点で青信号になった途端に飛び出したらしく、直進してきたオートバイにはねられて意識不明のまま救急車で搬送された。このときはアゴの骨にひびが入った程度で助かったが、もう少しで大事に至るところだった。
ちなみに、私は搬送中の救急車の中で一度意識を取り戻した。だが、周りの医療関係者たちがあまりにも深刻そうな雰囲気を醸し出していたため、今起きるのはマズイと感じて気絶したふりをしていたらそのまま眠ってしまい、気がつくと手術台の上だった。どうやら、私は小学校低学年の頃から空気が読める子供だったようだ。
それはともかく、その後も自転車に乗っていて車にはねられたり、タクシーに乗っていて真横から車が突っ込んで来て激突したり、自ら運転する車がスピンして対向車線にはみ出し、対向車とぶつかったり、と交通事故の話題には事欠かない。
その他にも、階段から落ちたり、海に落ちたり、崖から落ちたり、と相当危険な目に遭ってきた。口から血を吐いたこともあるし、歯が折れたこともあるし、肩がはずれたこともあるし、目のすぐ上をブリキの板で切断し、もう少しズレていたら片目を失うところだったこともある。
そうしてみると、私は多分悪運が強いのだろう。これまで何度となく死んでいても文句は言えない経験をした。その度にギリギリセーフで助かってきたのだ。しかし、いくら悪運が強いと言われても実はそれほど嬉しくない。というのも、私がほしいのは悪運ではなく幸運だからだ。
正式な定義は知らないが、私の解釈によれば、なにもかも順調にいって幸せというのが幸運であり、悲惨な目に遭い、絶体絶命のピンチに遭遇するが、なぜか助かるというのが悪運だ。どちらも持っていない人よりはましかもしれないが、私はもう悲惨な目には遭いたくない。
そろそろ悪運ではなく幸運が訪れてほしい。
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