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きびだんご王国 桃太郎伝説

ちぐはぐ

ちぐはぐ

最近どうも調子が悪い。といっても体調が悪いわけではない。なんというか生活のリズムがちぐはぐなのだ。

ことの起こりは、先日の雨の日である。とあるカフェで仕事の打ち合わせをして外へ出てみると、入り口に置いていた傘が何者かに盗まれていた。幸い、折り畳み傘を予備に携帯していたおかげで雨にぬれずに帰宅できたが、世の中油断も隙もない。ここは日本だというのに、まったく情けないことだ。そんなに高価な傘ではなく、どこにでもある傘なのだが、自分の持ち物が盗まれるというのはやはり気分のいいものではない。

その後、今度はバスに乗っていて、ふとした拍子に肩からかけていたバッグのショルダーベルトの金具が壊れてしまった。老朽化というか金属疲労なんだろう。なにせ10年以上使っている鞄だし、もともと安価なかばんだ。考えようによってはこれまでよくもちこたえてくれたとも言える。しかし、肩から掛けられなくなると不便このうえない。ショルダーベルトだけどこかで購入するか、あるいは寿命ということで新しいかばんを買うか思案中である。

その後も、出版社のカタログを見て注文した洋書がなぜか絶版になっていて入手できなくなったり、歯磨き粉と間違えてシェービングクリームで歯を磨いたり、随分薄味のカップラーメンだと思って食べていたら、粉末ソースを入れ忘れていたり、とにかくちぐはぐなことが連続して起こっているのだ。そういえば、今朝も目が覚めてみると一晩中コンタクトレンズをはめたままだった。

いかん。このままでは、そのうち外を歩いていて頭上に隕石が落ちてきたり、初対面の女性に挨拶と間違えてプロポーズしたり、石けんをバターと間違えて食べたりするかもしれない。危険だ。あまりにも危険すぎる。

こういうときは休むしかない。大リーグなら控えの選手と交代するところだろう。ツキのない選手は調子にかかわらずベンチでほとぼりがさめるのを待つしかない。だが、私の場合、交代要員が存在しないのだ。困った。

とにかく、今は生活のバロメーターがよくない。しばらく静かに大人しくしていよう。

 

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最近の語学教材は便利

語学

最近、語学教材を勉強する際、テキストブックを見ないで、ひたすら音声データを聴くようにしています。ところどころ単語の綴りがわからない箇所が出てきますがおかまいなしです。とにかく、ひたすら音声データのみを聴き続けます。

そうして、ある程度覚えてしまうくらいまで聴き込んだら、初めてテキストブックを読むようにしています。そうするとテキストブックの内容がすばやく身体に入ってゆくのです。よく聴き取れなかった単語も、その段階で確認するとあっさり記憶できます。

私はこれまで、まずテキストブックの内容を辞書をひきながら学習し、ひととおり内容を把握してから音声データを聴いていました。しかしこのやり方はどうも効率が悪いみたいです。学習の段階でどうしても自分よがりの発音をしてしまい、それが脳裏に強く根付いて後から修正するのが結構大変だったりするのです。

通常、語学のテキストブックには付録として音声データが付いているわけですが、実際には音声データに付録としてテキストブックが付いていると考えた方がよいでしょう。発想の転換が大切です。

それにしても、書店に行くと語学教材がたくさん置いてあります。私の学生時代には音声データは別売りで、しかもカセットテープでした。聴きたい箇所を探すだけで時間を取られたりして、それはそれは非効率的でした。

それに対し、今の学生たちの学習環境ときたら、まさに至れり尽くせりではありませんか。音声データがCDやDVDで付いていたり、ネットからダウンロードできたりしますし、聴きたい箇所もデジタルですから一発で選べます。これで語学ができないという学生がいたら、もはや怠慢以外の何物でもありません。私の印象では、できないはずがないという状況です。

それはともかく、もはや若くないとはいえ、私もまだまだ学習意欲はあります。向学心のある者にとってはとても便利な時代になったと思います。

 

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文化証

文化を守れ

今、大坂で橋本市長が大坂市音楽団に対して自立を促している。最初この話を聞いたとき、文化に対して冷たいのかなと思ったが、同音楽団の経費を知って驚いた。なんと音楽士38名の小さな組織に人件費だけで年間3億6500万円(2012年度予算)というではないか。これは高すぎる。私なら、この規模の楽団なら年間1億円ももらえればなんとか運営してみせる。どう考えても経費の無駄遣いだ。橋本市長が異を唱えるのも十分うなずける。

ところで、みなさんはコンサートの適正価格をご存知だろうか。実は、有名でもない普通の音楽家の室内楽コンサートでも、一万円から数万円くらいもらわなくては採算が合わないのだ。でも、実際には3000円から4000円くらいが相場だから、実のところコンサートは基本的に赤字である。かといって、適正価格にすればチケットが売れない。これがクラシック関連のコンサートが抱える問題なのだ。オペラなど、莫大な経費がかかるコンサートとなると、もはやチケット収入で黒字にすることは不可能と言っていいだろう。

本当は、普段払っているチケット代が破格の安値であるということに人々が気づいて感謝すればよいのだが、そのような人はほとんどいない。それどころか高いと思っている人が多いのではないだろうか。バチ当たりどもめ!! 5000円以下のチケットなど本当はタダ同然なのだ。

こうした事実と現実とのギャップを周知させてこなかったのは音楽界の怠慢かもしれないが、年々文化予算が削られる今日、このままでは多くの音楽団体が消えてゆくに違いない。かといって、今更、チケット代の標準価格を全国一律に一万円程度に引き上げても観客は納得しないだろう。しかし、今のままではコンサートは赤字のままである。レコード会社が売り出しているアイドル歌手などは、コンサートはプロモーション活動の一環であり、コンサートから利益が出なくても、その後のCDの売り上げや関連グッズの売り上げで利益が確保できる。そうしたうまい話がないのがクラシック界の辛いところなのだ。

そこで、私は大胆な提案をしたいと思う。文化税の導入だ。国でできなければ、県や市単位で条例を制定して行えば良い。月々の収入から数百円程度収めてもらうのだ。給料から天引きすればよい。そして、文化証を発行する。このカードを提示すると、コンサートや美術展、その他様々な文化事業のチケットが3割負担で手に入るという仕組みだ。要するに保険証のパクリである。

もちろん、何でもかんでも適用されるわけではない。免許を取得していないニセ医者のところで保険証が使えないように、文化証も認可を受けた催し物に限って有効とする。出演者のギャラが極端に高いコンサートや不自然に高い経費を見積もっている美術展などは審査段階で振り落とし、認可を与えない。そうしなければ、残りの7割に充填する税金の意味が不透明になるからだ。認可の基準は、期待される税収から逆算して規模と数を割り出し、その範囲に収まらない数の企画が申請された場合は、例えばチケット代の安い方から優先するなど、なんらかの公平な基準を設けておけばよい。

あるいは、医者の診療報酬のように、文化証適用コンサートにおける演奏家の演奏報酬についても細かく規定し、規定以上に暴利をむさぼれないようにすればいいのではないだろうか。税金を使う以上、納税者が納得する方策を模索しなくてはならない。

とにかく、これならコンサートは本来の適正価格を維持でき、観客はいままでどおりの金額でチケットを買うことができる。チケットの販売状況を精査して、何年かに一度3割負担を2割に下げたり、4割に上げたりして調整してもよい。また、高齢者は1割負担にするとか、いろいろと工夫することもできるだろう。これならば、認可を競って質の高い催し物が増えるだろうし、観客動員数も増えるにちがいない。

クラシックを例に説明したが、ポップスなどでも芸能プロダクションに属さないアマチュアやフリーのミュージシャンなどは、もちろん大いに援助すべきである。美術や演劇なども含め、予算の許す範囲で広く文化活動を支援すればいいのだ。

こうして、岡山は全国有数の文化圏となるのである。えっ? 文化に興味のない人からも税を徴収するのかって? もちろんだ。健康で一生病院に行かない人からも保険料を徴収しているではないか。同じ理屈である。

あとは、これを実行する勇気のある政治家が現れるかどうかだ。

 

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心のアンチエイジング

海

私はこれまでアンチエイジングと言えば外見に関することだと思っていた。多くの人々が同様の考えを持っているのではないだろうか。

しかし、最近、真のアンチエイジングとは精神的な領域にこそ重きを置くべきではないかと考えるようになった。つまり、心のアンチエイジングだ。

と言っても、いつまでもガキっぽい甘ったれた考えを持ち続けろという意味ではない。失敗や挫折を経験し、知識や智慧を蓄えて大人になってゆくことは不可欠であり、だからこそ年をとることに意味があるのだ。年の功とも言うではないか。

問題は、新しいことに挑戦する気力を失ったり、もう若くないから何かを始めるのは遅すぎるなどと消極的になったりすることだ。私自身、年をとるということは、沢山あった夢がひとつまたひとつ消えてゆくことだと思っていた。銀河の星々のごとく、数えきれないほど無数に輝いていた夢が、少しずつ淘汰され、最後に残ったひとかけらの夢をひとつでもかなえるべく残された時間と競争するのが人生だと悟りかけていた。

今日までの人生を振り返ってみると、数々の挫折と怪我や病を得て、仕方なく遠回りをしたり、別の道を選んだりの連続であった。その結果、今の自分が存在しているわけで、それはそれでよしとしていたのだが、今ひとつ釈然としないものが心に宿っていたのだ。

そんな状態で外見だけアンチエイジングを心がけてきたわけだが、このままではマズイと感じるようになった。釈然としない心に気づいてはいたのだが、なるべく気づかないふりをしていたというのがより真実に近いかもしれない。

そうなのだ。右も左もわからず、手探りでもがいていた若かりし頃の自分を取り戻したくなったのだ。今では知識も技術もある。もし、あの頃の行動力や気力が蘇れば、今からでもいろんなことに挑戦できるのではないだろうか。確かにあの頃ほどの体力も時間もないが、それは別の方法で補うことを工夫すればよい。大切なのは外見ではなく中身の若さである。

この話題は本気になれば恐ろしく長くなるため、今日はここまでにするが、心のアンチエイジングのための手法はいろいろと議論されてよい。多分、それだけで一冊の本が書けるほど濃い内容になるはずだ。

この日記を読んでいる方々にも是非考えてみていただきたい。

 

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電子書籍

電子書籍

最近、我が国でも少しずつ電子書籍が増えてきた。といってもまだまだコンテンツが少なく、私が読みたいジャンルをカバーしていないため、当分は紙の書籍にしか興味はない。

だが、洋書となると話は別だ。すでにかなりの数の書籍が電子書籍化されており、日本から注文すると手元に届くまでに数週間かかる書籍が瞬時にダウンロードできる点は魅力的である。

先日、とある音楽関連の書籍を電子版で購入してみた。紙媒体では400ページくらいの書籍だが、これが重量ゼロでiPhoneに入ってしまう。考えてみれば当たり前だが、この重量ゼロというのは持ち運びを考えると大きなメリットだ。これなら、移動中に読んだりするのに荷物にならずに済む。フォントも奇麗で読みにくいということもなく、これはこれで満足した。

だが、期待はずれの面もあった。まず、音楽書籍であるから、当然のことながらあちこちに譜例が掲載されている。私としては、例えばこれらの譜例を指でなぞると音が聞こえるといった仕様にしてほしかった。ちょうど電子版の外国語の辞書のような要領で、例文をクリックすると音声が聞けるアレだ。この機能があれば音楽書籍は随分楽しいものになるに違いない。

しかし、まだそういう便利な音楽書籍はないようである。譜例の音源を用意している書籍もあるのだが、別途ダウンロードしなくてはならず、読書の流れを邪魔してしまう。これは残念だ。これなら重量を除けば、特に電子版を購入するメリットはない。CD付き、あるいはダウンロード音源付きの紙媒体で十分である。

すでに絵本などでは、動画を多用した、まさに電子版ならでは仕掛けを駆使している書籍もある。それに比べると音楽書籍は少し遅れているのではないだろうか。おそらく、将来的には音楽書籍なども私が提唱しているような仕様に進化してゆくはずだ。そうなると、紙媒体を購入していても、それとは別に電子版もほしくなるだろう。

私は古風な人間で、紙媒体と縁を切ることはありえないが、しかし電子媒体もその進化次第では必需品になるかもしれない。

 

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