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日傘

日差し

私は、これまで日傘などというものは女性だけが使うものだと思っていた。しかし、年々衰える肉体と年々強さを増す紫外線を天秤にかけ、とうとう今年から日傘を使用することにした。

もともと雨傘だって、ヨーロッパでは女性だけがさすものだと考えられていた。最初に雨傘をさした男性は笑われたそうだが、今では誰でも雨傘をさすのが当たり前になっている。ちょっと考えればわかりそうなものだが、誰だってずぶ濡れは嫌に決まっているではないか。日傘だって、まだまださす男性は少ないのが現状だが、近い将来、誰でも必要とするアイテムになるに違いない。

で、男性用日傘だが、ネットで調べてみるといろいろと販売されているらしい。といっても女性用ほどの選択肢はない。せいぜい色が男性っぽいといった程度だ。もっとも、女性用の日傘のように刺繍を施したり、フリルを付けたりといった細工は必要ない。あくまでもシンプルでよいわけで、当然のことながら日傘なのか雨傘なのか区別がつかないようなシロモノがほとんどだ。

確かに、晴雨兼用の傘もあって、考えようによってはその方が合理的かもしれない。一本購入しておけば、雨の日も晴れの日も使える。なるほど便利だし経済的だ。

しかし、いままで日傘など使ったことのない者が初めて使う日傘である。やはり、日傘という感覚を満喫したいではないか。とはいえ、男性用の場合、はっきり日傘とわかる外見の傘はなかなか見つからない。どうしたらいいだろう。

そこで、色にこだわることにした。普段は黒か紺の雨傘を使っているので、日傘はベージュにしよう。普段使わない色なので今までとは違うという意識が芽生えるし、ベージュだとなんとなく日傘らしいではないか。そして、持ち運びの便を考えて折り畳み傘としよう。折り畳み傘は強度の点で難があるが、雨風をしのぐためではなく、紫外線対策なので強度は気にしなくてよいだろう。ただし、紫外線遮断効果のある生地を使っていることが条件だ。これらを満たせば、晴雨兼用でも構わない。

というわけで、今年の夏から私のバッグには新しいアイテムがひとつ増えることになった。なんだか夏が待ち遠しい。初めて長靴を買ってもらったとき、雨が待ち遠しかったものだが、あの感覚に少しだけ似ている。

 

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迷惑メールよさらば

迷惑メールよさらば

少し前だが、契約していたサーバーを変更した。以前のサーバーでは、サーバー上で様々な迷惑メール対策ができる仕組みを備えていたため、いろいろと知恵を絞って迷惑メール対策をしていた。今から思うとかなりの労力を費やしたことになる。

さて、今度のサーバーは料金がはるかに安いこともあって、そのような仕組みがないようだ。したがって、今までサーバー上で捕獲していた迷惑メールが私のPCまで到達するようになってしまった。さあどうしよう。

最初は迷惑メールをメーラーに学習させて、迷惑メールが来たら受信トレイから除外し、専用トレイに直行するようにしていた。おそらく、多くの方々が同様の対策をとっていると思う。

だが、これだと迷惑メールに通常メールが混ざる可能性もあるため、最終的に削除する前に迷惑メールトレイの中を確認しなくてはならない。これは面倒だし、迷惑メールの存在に触れることになるため不愉快でもある。

そこで、私は迷惑メールの類いが舞い込むと有無を言わせず削除するようにメーラーを設定した。これなら迷惑メールが来たことにさえ気づかない。迷惑メールに触れることなく自動的に削除されるわけだから、迷惑メールとは無縁の生活に戻れるのだ。

ただひとつの問題は、迷惑メールに通常メールが混ざっていた場合だが、これは縁がなかったとして忘れることにした。どうしても私に伝えたいことがあるなら、書留郵便を使えばいい。電子メールを使うということは、届かないこともあるという危険性を承知の上だと私は解釈する。したがって、万一、通常メールが削除されてしまったとしても気にしないことにした。

するとどうだろう。生活が一変するではないか。迷惑メールや縁のないメールとサヨナラでき、平穏な人生が送れる。迷惑メールが不愉快なことは言うまでもないが、縁のないメール、あるいは誤って削除される不運なメールは運気を下げるメールであるから、そもそも目に触れない方がよいのだ。

こうして、本当に必要なメールだけをチェックするようにすると、余計な時間をロスしなくて済む。確かに、誤って削除したメールによって損失が生じる場合もあるだろうが、迷惑メールと格闘して消耗する時間と体力を考えると、費用対効果で怪しいものは全て削除の方針の方がはるかに優れているというのが私の結論だ。

最初は、もしかして大切なメールが失われたかもしれないと不安に思ったりもしたのだが、しばらくこの快適な生活に浸ると、そのような不安よりも時間を手に入れた満足感の方がはるかに大きくて気にならなくなってしまった。人生は一度しかない。煩わしいことにかかわっている暇はないのだ。

ただし、私のやり方を実践しようという方は自己責任でお願いします。 

 

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最近の書籍は挿絵がチープ

書籍

私は、書籍は文字がびっしりといった昔ながらの形態が好みである。図やイラストが多用されていると拒絶感を覚えることが少なくない。

確かに優れた手書きのイラストや的を得たグラフなどが挿入されていると、心が和んだり、理解の助けになったりする。それはそれでいい。問題は、いかにもコンピュータで作成したといった感じのチープなイラストや、過度な解説図などである。

特に、丸や三角や四角といった単純な図形を合成しただけのイラストには嫌悪感をもよおす。しかも、そんな単純な図形で人物を表していたりすると本の内容に関わらず絶対に買わない。無機質な挿絵には我慢がならないのだ。イラストレーターの品位とセンスを疑う。

その程度のイラストを教えているデザイン学校もどうかしていると思うが、そこを卒業してスキルを身につけたと勘違いしているデザイナーやイラストレーターにも呆れてものが言えない。コンピュータが使えるのは当たり前で、そこから先へどこまで行けるかが腕の見せ所ではないか。私はコンピュータソフトを使って、デフォルトの設定のままで図やイラストを描き、何の工夫もしない状態で納品する輩を見るとぶん殴ってやりたい気持ちになる。

そんなことなら、全て手書きでコツコツ書けばいい。昔の挿絵などは実に手間ひま掛けて作り込まれていたものだ。それこそ、挿絵の展覧会を開いてもよいくらいの秀作が多かった。それに比べ、最近の挿絵や図のチープなこと。見るもおぞましい光景である。デジタル全盛の時代とはいえ、やはり手のぬくもりのようなものが感じられないと私は落ち着かない。

特にひどいのがビジネス書だ。図解などと称している書籍にどうしようもないものが多い。もっとも、最近では萌え系のビジネス書籍もいろいろと出版されており、これはこれで別系統なのだが、私はこちらも好きになれない。

というわけで、私はよほど挿絵や図の美的センスが優れていない限り、文字だけでびっしり埋まった書籍を買うことにしている。

 

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接続詞

読書

この前、本屋で文章力を高めるノウハウについて書かれた本を立ち読みした。タイトルも著者も思い出せないのだが、購入しなかったところをみると、あまり内容に共感できなかったのだろう。

とにかく、詳しい内容は思い出せないのだが、良い文章を書きたければ接続詞に頼るな、といった助言がなされていた。接続詞に頼ると文章が稚拙になるらしい。接続詞の使用は最小限に抑えるべしといったことが書かれていたと記憶している。

本当だろうか? 私は大いに疑問に思う。確かに内容が浅く、あまり練られていない文章で接続詞を多用すると、接続詞ばかり目立ってしまい、性急な印象を与えかねない。だが、それは文章の内容に問題があるわけで、決して接続詞の責任ではないと思う。

私の日記を読んでいる方ならわかると思うが、私は接続詞を多用する。というか、接続詞こそ私の文章の生命線といっても過言ではない。私は接続詞で物事を考えるタイプの書き手なのだ。ただし、根が横着な人間なので、接続詞を用いてアウトラインを作成したりはしない。私の場合、文章は全て頭から書き下ろす。下書きもしないし、構成をじっくり練ったりもしない。しかし、後から分析すると接続詞を元に骨組みが明確に示されている場合がほとんどだ。

つまり、無意識のうちに接続詞で物事を組み立てていることになる。だから、良い文章を書くには接続詞を多用しろ、というのが私の意見だ。私が本屋で目にした書籍の著者と全く逆の主張ということになる。

そもそも、接続詞なしで明確な文章など書けるのだろうか。洋書を読んでいるときも真っ先に注目するのが接続詞だ。これを抑えておけば著者の主張がすぐにわかるからだ。接続詞は目印であり、道しるべのようなものだ。便利であるだけでなく、これがないと道に迷いかねない極めて重要な存在である。場合によっては、接続詞だけ拾い読みすればそのページの内容が把握できるという、速読の裏技としても使えるツールだ。

こう考えみると、なぜその著者が接続詞の使用を控えるように主張しているのかよくわからない。今度その書籍を見つけたら、是非購入しよう。奇書としてコレクションしておくのも悪くない。

 

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カフェで

モーニング珈琲

今朝、カフェでひとり静かに珈琲を飲んでいると、となりの席から若い女性たちの会話が聞こえてきた。なにやら英語の話らしい。近頃はパギャルに代表されるような、どーしようもない女ばかりだと嘆いている私としては久々に知的な会話が聞こえてきて感心した。

で、しばらく話を聞いていると、イギリス英語とアメリカ英語の違いについて語っているではないか。おおっ、最近の若い女性にしてはなかなかマニアックな話題だ。おじさんは嬉しいぞ。

というわけで、しばらく聞いてみた。すると、どうやらイギリス英語はわかりやすいがアメリカ英語はわかりにくいという内容ではないか。どうやら発音のことを言っているらしい。確かにアメリカ英語では単語によっては t をあまり明確に発音しないとか、複数の単語をつなげて発音するとか慣れないと聞き取りにくい点は認めよう。

しかし、専門書を読んでみるといい。私の経験ではアメリカ英語の方が読みやすいのだ。たまたま私の専門分野がそうなのかもしれないが、アメリカで出版された文献の方が文体が素直で読みやすいという印象を持っている。もちろん著者にもよるのだろうし、一概には言えないが、イギリスの文献はどことなく高尚なイメージだ。

おそらく、彼女たちはそういう本格的な文献の話ではなく、映画か何かの話をしていたのだろう。さらに続きを聞いてみたが、あまり深い内容の話ではなかった。要するに浅い女たちだった。

またしても、無責任に勝手なことを書いてしまっているが、そもそも他人の会話に聞き耳を立てること自体、ほめられたことではない。というか、はしたない行為だ。いかん。海より深く反省しなくてはなるまい。

というわけで、己の愚かさを恥じた私はそそくさとカフェを後にしたのだった。

 

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