きびだんご王国 | 桃太郎伝説ときびだんごについて、岡山の有志が集まって楽しく語るサイト

きびだんご王国 桃太郎伝説

禁チョコのその後

チョコレート

以前の日記にも書いたが、私は先月「禁チョコ宣言」をして以来、全くチョコレートを口にしていない。私は意思の強い男なのだ。

で、結果はどうかというと、あっと言う間に体重は元に戻った。さらに200gほど下がって、その位置で安定している。しかも、食事の量は以前より若干増やしているにもかかわらず、である。それどころか、食事の量を安易に減らすと途端に体重が下がってしまう体質に変貌してしまった。

食事の量を増やしても体重が増えないということは、いかにチョコレートが体重増加の要因であったかということだ。やはり、以前の日記で指摘した通り、バレンタインデーは身体に悪いという私の仮説が証明されたとみてよいだろう。これからはバレンタインデーのことを「メタボ促進デー」と呼び、チョコレートによる肥満に警鐘を鳴らし続けようではないか。

ちなみに、私が原則として口にしないものはいろいろある。チョコレートの他にもポテトチップスの類い、チーズ、アルコール、缶コーヒー、ピーナッツなどだ。しかも、これらは私の大好物なのである。私はこれを意思の力に対するチャレンジと呼び、結構楽しんでいる。コンビニなどでこうした食品の前を通ると思わず買いたくなる。そこで、ぐっと耐えるのが快感なのだ。

おっと、思わずマニアックな世界に入りそうになってしまった。が、私がいろいろと摂生をしているにはわけがある。それは仕事に対する責任感である。人間、いい仕事をしようと思えば、やはり身体が資本なのだ。すでに引退して余生を送ってる者なら話は少し違うかもしれないが、やはり現役として働いている以上、健康に気を使い、身体を整えるというのはプロとして当然の義務だと思う。などと偉そうなことを書いたが、何を隠そう、私は以前病気を患って仕事に穴をあけた苦い経験があるのだ。その時は大勢の方々に多大な迷惑を掛けてしまった。そうした反省の上に立って摂生に務めているというわけである。

もちろん、上記の食品を絶対に口にしないというわけではない。年に一度くらいは付き合いでビールを飲むことはある。パーティでピザが出されれば有り難くいただく。が、その程度だということだ。

というわけで、「禁チョコ」はまだまだ続く。

 

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おもてなしの心

おもてなしの心

どうやら毎年岡山への観光客が減っているそうである。その傾向は歯止めがかからず、県内でも有数の観光地である倉敷美観地区まで飲み込んでいるらしい。どうやら県内では県北の蒜山高原くらいしか観光客が増加していないと言うではないか。まずい。このままではかなりまずいと言えるだろう。なんといっても、きびだんごはお土産であり、観光客がいなくなれば存在価値を疑われてしまう。

原因はなんだろう。岡山は晴れの国と呼ばれるほど天候に恵まれた土地である。県内の大部分は活断層とも無縁で、地震の被害も古来より少ない。また、海も瀬戸内海という内海であるから穏やかで、津波などの被害もそれほど心配することもないだろう。台風が来ると高波で被害が出ることもあるが、全国各地と比べると平穏そのものである。自然災害に悩んでいる人々はみんな岡山へ引っ越せばいいのにとつくづく思うほどの恵まれた土地なのだ。ひょっとすると、風水害に関する限り、岡山は日本で最も安全な土地かもしれない。

これだけ恵まれた土地なのになぜ観光客に人気が出ないのだろう。地元の有識者の方々に話を伺ってみた。すると、風水害がない土地だから、地元民は困らない。だから互いに助け合うという習慣も精神も育まれておらず、よって観光客に大してもおもてなしの心が足りない。つまりよそ者に冷たい風土があり、それが観光客を引きつけない要素ではないかということであった。

なるほど。言われてみればそんな気もする。自然災害があまりないことで、岡山には団結心とか支え合う気持ちといったものが育っていないのかもしれない。選挙にしても祭りにしても様々なイベントにしても、確かに岡山では大きく盛り上がるといったことがない。いつもそこそこ。中途半端な感が否めない。

ここはひとつ、きびだんご王国だけでも温かく観光客をもてなそうではないか。そのための企画を立案し、サイトのコンテンツを充実させてゆきたい。もちろん、皆さんからのアイデアも大歓迎である。きびだんごの紹介や美味しい食べ方だけでなく、岡山の隠れた魅力についても発信してゆくつもりだ。

微力ながら岡山を盛り上げるためにこれからも努力してゆきたい。

 

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いつでもお好きなときに

おもてなし

ニュースによると、某ショッピングモールの24時間セールの流通総額がたった一日で130億円を記録したという。大変な金額だ。このニュースを聞いて私は驚くというより、呆れたのであった。

だいたい、そんなに買う必要などないではないか。よっぽどお金が余っているならともかく、今は世界的な不況で国内の経済も大変なときではなかったのか。みんなもっとお金を大切にしようよ。そう思ったのは私だけだろうか。

確かにタイムセールやバーゲンセールなどに人々が殺到する心理はわかる。「安い」というのと「今だけ」という二つのキーワードがあるからだ。でもよく考えてほしい。「本当に今必要」というキーワードも満たしているだろうか。

私の場合、本当に必要なものは普段からピックアップしてメモしている。そして絶えず優先順位を調整しておき、お金に余裕ができたときに順位に従って一括で買うのだ。若い頃は欲しいものは多少無理をしてでも分割で買ったりしていた。だが、それはもう昔の話だ。私は電話料金のような月々の支払いを除けば、あらゆる買い物は一括である。将来は景色のいいところに家を建てたいと思うが、一括でなければ買うつもりはない。一括で買えるものが私の経済力の範囲内のものであり、自分の経済力の範囲内で暮らしている限り何の問題も生じない。

だから、タイムセールやバーゲンセールなど「お得な」情報が耳に入っても全く心が動かないのである。必要なものを必要なときに必要なだけ購入する。これが私のスタンスだ。今買えばお得だからといって、来年必要なものを今購入するという発想は私にはない。どこがタイムセールをしようと、私の心の中のタイムセールと時期が一致しない限り、それはタイムセールでもなんでもない。「タイム」の支配者は私だ。他人ではない。

ところが、世の中の動向を見ていると、デパートやショッピングモールの「タイム」に自分たちの「タイム」を合わせている人々が実に多いことに驚く。「タイム = 時間」はそんなに安っぽいものではない。ひとりひとりが持つ宝ではないか。他人のでっちあげた時間に身も心もそして財布の中身までも合わせる道理はないのだ。一日130億円といえぱ、もちろん売り上げた会社は大喜びだろう。ひょっとすると我が国の経済にとってもプラスの側面があるかもしれない。だが、本当は不要だったのについ衝動的に買ってしまったという人々とその不要な商品の立場はどうなるのだろう。

テレビのCMなどを見ていても、消費者の心理をあおるようなものが多い。「考えている暇はない。今すぐお電話を!」といった狙いが透けて見える。確かにそれは商売の常套手段かもしれない。だが、私が商売人なら自分の商品を本当に必要とする人に納得して買ってもらえればそれでいいと思う。あおってまで売り上げを上げたいとは思わない。

「今だけ」ではなく「いつでもお好きなときに」どうぞ。こういう商売人もいていいはずだ。そういう商売人に活気が戻った時、この国の経済は本物になるのではないだろうか。

 

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桃太郎伝説補完計画

銀河

この日記もいろいろと多岐にわたる話題を扱っているため、書いている私も最近少々混乱気味である。特に桃太郎の裏話系の話がややこしくなっているようだ。

そこで、まとめというか、今後の計画というか、とにかく頭の中を少し整理しておきたい。

まず、補完計画と言えば、この日記では通常、「きびだんご補完計画」を指す。これは、新型きびだんごの開発がテーマだ。きびだんごはもともと兵糧のようなもので、きびを使ったおむすびのようなものだった。それが明治の初め頃に岡山のお土産として和菓子のひとつになった。その後、きな粉をまぶしたものや、チョコや餡やフルーツピューレを入れたものなど様々な亜種が生まれて今日に至っている。これを大幅に改造し、これまでにないきびだんごを開発しようというのが「きびだんご補完計画」だ。

次に、「桃太郎伝説ジェネシス」だが、これは桃太郎が生まれる遥か以前の物語で、銀河の彼方から奇跡の石が太陽系第三惑星にやってきたところから始まる。やがてこの石から七つの玉が作られ、後にきびだんごという隠語で呼ばれることになる。倭国の最初の女王である卑弥呼やその二代後の女王となった壱与(いよ)、さらに初期ヤマト王権まで巻き込む壮大な物語である。

そして、きびだんご王国が現在全力を上げて解明に乗り出しているのが、「桃太郎伝説エピソード I 」だ。これは桃太郎の父親の物語であり、桃太郎が誕生したあたりで終わる。温羅との関わり、そしてきびだんごの暗黒面が物語に陰を落とす。若く強い戦士であった桃太郎の父親が復讐の鬼と化す悲劇がテーマだ。だが、話は正義か悪かといった単純なものではない。複雑にからむ人間関係、そして利権と野望の渦。中でもヤマト王権を脅かすほどの力を得た吉備と出雲の熾烈な覇権争いなど、まだまだ解かなくてはならない謎が多い。

さらに、「きびだんご補完計画」を続けているNERFのゲンドー博士が不穏な動きをみせているのも気になる。伝説のきびだんごのうち三つがNERFの地下倉庫に眠っていることは以前の日記でも述べたが、残りの四つを巡って新たな野望が渦巻いている。つまり、きびだんご伝説はまだ続いているのだ。この未来のきびだんご伝説ともいうべき物語にはサイコガンを持つ宇宙海賊なども大暴れする。まさに収拾がつかない続編ともいうべき存在だ。もっとも、七つ集めたところで神龍(シェンロン)は出てこないが…

以上、これまでの日記を桃太郎伝説を軸に整理してみた。そして「ジェネシス」「エピソード I 」「新世紀」の三つの桃太郎伝説をまとめて「桃太郎伝説補完計画」と呼ぶことにしよう。とにかく、きびだんご王国が扱う桃太郎伝説関連の物語は内容が盛りだくさんである。

今後の調査に是非期待していただきたい。

 

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カテゴリー : 桃太郎伝説の裏話

引き籠もっています。

 本の森

都会での生活はストレスが多い。一歩外へ出ると人ごみやら排気ガスやらに巻き込まれてしまう。職場でも人間関係がなかなか難しい。面倒な客も多いし、雑用にも事欠かない。家に帰ってもリラックスどころか疲れがどっと出て気力が萎える始末だ。

そんなときは静かな田舎にでも出掛けるのが一番だ。新鮮な空気を吸い、小川のせせらぎを聞き、森のシャワーを浴びる…

しかし、忙しい毎日の暮らしの中ではそうそう田舎へ出掛けることもできない。

そこで、私がよく使うのが「本の森に逃げ込む」という手だ。私はもともと読書好きで、毎年あらゆるジャンルの本を100冊から150冊ほど読んでいる。今も同時に10冊以上読んでいるくらいだ。読書をしていると、内容にもよるが、日常生活の嫌な出来事を忘れて自分の世界に静かに浸ることができる。まさに都会の森林浴である。

というわけで、歴史やら物理やら生物やら経済やら政治やら心理やら大学入試問題集やらチェスやら将棋やらワインやらお茶やら漫画やら音楽やらビジネスやら、とにかく手当たり次第に本の森の中へ入って行くのだ。森は深ければ深いほどよい。外界の光が入ってこないほど深ければ、それだけ日常のストレスから解放される。非日常、これが私にとって読書の醍醐味なのだ。

ちなみに、醍醐味とは醍醐の味のことである。醍醐とは平安貴族が好んだといわれる乳製品の一種だ。古来より日本には乳製品などなかったと思っている人もいるかもしれないが、実は大昔からあったのだ。ただし、貴族の間でのみ楽しまれていたそうで、武士や一般人には普及しなかったようだ。もしかすると、あまりにも美味しかったため、貴族たちが独占し、他人には教えなかったからかもしれない。とにかく、醍醐は美味しいということで、それがいつの間にか様々な分野で魅力的な事柄を表すのに醍醐味という言葉が使われるようになった。

それはともかく、本の森は素晴らしい。中でも、最近私が特にはまっているのが辞書だ。辞書ならなんでもよいが、特にオススメなのが古語辞典である。最近では全訳とかいって、例文に現代語訳がついている。いたれりつくせりである。いにしえの日本語を探る旅はまるで時空を超えた旅をするようで実にスリリングだ。適当にあちこちのページをめくって、後は普通に書物を読むように辞書を読むだけなのだが、これが実に面白い。辞書は必ずしも引くものではないと痛感する今日この頃である。そうなのだ。辞書も物語も同じ書籍なのだ。

というわけで、人付き合いに疲れたり、仕事で行き詰まったりすると、私は辞書の中に逃げ込む。いわば、辞書の中に引き籠もるといった生活をしている。

こういう引き籠もりなら健全ではないだろうか。

 

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