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きびだんご補完計画(その2)

きびだんご補完計画

前回のきびだんご補完計画では、M.K.フィールドに守られた最強のきびだんご開発について述べた。試作品である零号機において、糖度と酸味のシンクロ率に問題があったというあの日記だ。

あれから一ヶ月、開発は予想以上に急ピッチで進んでいる。特務機関NERFのゲンドー博士によると、新しい適格者が現れたとのことで、改良を加えた初号期がすでに実験段階に入っているそうだ。

昨日この初号期のビデオを見たが、前回と異なり、外見がかなりスマートになっていた。相変わらずきびだんごと呼ぶには抵抗があるが、しかしこれなら何とかきびだんごであると言い張ることもできるだろう。外見上はそこまで完成度が高く仕上がっているのだ。

後は糖度と酸味のシンクロ率だ。前回と比べて格段に上がっているが、やや糖度が強すぎるきらいが否めない。このバランスは非常に難しく、いかに適格者といえど、相当な訓練をこなさなくては満足のいく結果を得ることはできないだろう。この問題については既に開発が始まっている弐号機で改善されていることを強く臨む。

また、M.K.フィールドにも問題が発見された。重すぎるのだ。せっかくきびだんごを守ってくれるフィールドだが、これが重すぎると、きびだんごのフォースが表面に出てこない。これではせっかくのきびだんごの個性が生きてこないのだ。このフィールドはきびだんごの暗黒面を遮断し、外敵からきびだんごを守るが、断じてきびだんごのパワーを遮ってはならないのだ。もちろん、合成着色料や保存料を用いることなど論外である。

これらの諸問題を解決し、最初の予定通り夏までに新型きびだんごを完成させたい。そういえば、名称もそろそろ考えなくてはならないな。レインボーきびだんごとか、UFOきびだんごとか、光の巨人とか、新世紀きびだんごとか、いろいろ案はあるが、まだ正式には決まっていない。

この日記を読んでいる方々には、まだ何のことかよくわからないだろうが、国家機密なのでこれ以上詳しく話すことはできない。

だが、従来のきびだんごの欠点を補完しなくては、きびだんごに未来はないのだ。
(画像はNERFの地下実験室で稼働中の新型きびだんご初号機)

 

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茶の喜び

お茶

先日、ふとした機会に日本茶ソムリエの和多田喜氏と出会った。噂は耳にしていたのだが、本当に情熱のある人で、お茶に対する思いが強く伝わってきた。

彼にお茶を淹れてもらいながら、お茶の歴史や文化、種類や製法について貴重なお話を聞かせてもらい、大変感動した。残念なことに予備知識があまりなかったせいで、彼の話の全てを記憶することはかなわなかったが、また次回話してもらえるだろう。

とにかく、日本茶の世界は奥が深い。私はワインと珈琲にはそれなりにうるさいのだが、日本茶は盲点であった。子供の頃より当たり前のように飲んでいたため、特に注意を払わなかったようだ。しかし、せっかく日本に生まれたのだから、この素晴らしい日本茶をもっとよく知り、味わおうではないか。最近では海外でも日本茶の良さが少しずつ知れ渡るようになり、専門店もできたりしていると聞く。しかし、日本に住んでいる我々の方が、より多くの日本茶に接することができるわけで、はるかに恵まれている。その気になれば茶農家を訪ねることもできる。当たり前だが、日本茶に関しては、我々は至れり尽くせりの環境にあるのだ。

にもかかわらず、日本茶を心から楽しめる茶房は少ない。大抵の喫茶店は珈琲か紅茶が主なメニューだ。全国の日本茶を取り揃え、それぞれに最適な淹れ方をしてくれる日本茶の専門店は驚くほど少ない。たまに和風茶屋があっても、せいぜい抹茶があるくらいで、煎茶や番茶などを沢山取り揃えている店はまずない。どうやら、煎茶や番茶は自宅で飲むもので、わざわざお金を払ってまで喫茶店で飲むものではないと考えられているようだ。

しかし、一口に煎茶といっても、生産者によって随分味が異なる。抽出する温度も、抽出の仕方も工夫次第で全く新しい世界が開けてくる。こうした世界を垣間見ることができる専門店はやはり必要なのではないだろうか。

要するに、日本茶にしても珈琲にしても、探求すれば奥が深いし、新たな世界が待っているわけだが、一方で手っ取り早く味わいたいというニーズもある。だから、ペットボトルや茶パック、フリーズドライといった商品が重宝されるのだろう。これらが悪いとは思わないし、私もときどき利用する。ただ、飲み物としては全くの別物という認識だ。これらを混同してはならない。

確かに、お湯を沸かし、湯冷ましをして急須に注ぎ、茶葉が開くのを待つ、といった作業は時間がかかる。急いでいるときはペットボトルの方がてっとり早い。ということは、お茶を楽しむにはゆったりとした時間が必要だということを意味する。現代の日本でこれだけペットボトルが流通しているということは、それだけ我々はせわしく生きているということにならないだろうか。

ひょっとして、私が最近お茶に惹かれているのは、ゆっくりと自分に向き合う時間を欲しがっているからかもしれないな。

 

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とあるフランス人の思い出

ストラスブール

私のフランス人の知り合いに、アルザスに住む恐ろしく個性的な男がいた。男と書いたが、果たしてあれを男と呼んでいいのかは複雑だ。とにかく同性愛者だったのだが、そっちの世界も奥が深いらしく、一言で説明するのは無理がある。が、今回はその話ではない。

彼は音楽家で、なかなか優秀なチェンバロ奏者だったのだが、とにかく器用な奴で自分の楽器を自作していた。自作したのは楽器だけではない。アパートの部屋も年中改造しまくっていた。その改造が趣味のレベルを大きく越えていたのだ。

なにせ、半年ぶりに訪ねようものなら、まず部屋の数が変わっている。大抵は増えているのだが、たまに減っていることもある。一年を通じて部屋数が同じであったためしがない。

ある夏など、いままでトイレがあった場所が忽然と消え、台所が二倍の広さになっていた。そして、それまで寝室があった場所に浴室ができているではないか。全くこの男の頭の中は一体どうなっているのだろう。なにが嬉しくて一年中部屋の改造ばかりしていたのか、いまだに理解できない。

彼とはもう二十年近く会っていないのだが、パリに住む知り合いのフランス人から貴重な情報を得た。彼はその後、パリ郊外へ引っ越し、とある劇団で歌手の伴奏者をしていたらしいが、そのうち自ら役者になってしまったそうだ。ただ、役者として成功している様子はないとのことだった。

まあ、フランス人というのはおかしな奴が多いものだ。例えば、リヨンという街に住む別の知り合いは、道に捨ててあった古いテレビを拾ってきて、それに衣類を掛ける金属製のハンガーを逆さまにして接続していた。要するにアンテナのつもりだ。そんなバカな、と思ったが、ちゃんと映るのには驚いた。いやはや、私の知り合いにはこんな連中が山ほどいる。ひょっとすると、私自身こいつらの影響を知らず知らずのうちに受けているのかもしれないな。

それはともかく、先ほどの役者に転向したフランス人だが、彼がまだチェンバロを弾いていた頃の思い出に傑作なことがある。

南フランスの中世の教会でのコンサートだった。教会といっても岩山の頂上である。なんとか人がひとり歩ける石畳の道があるだけで、車などは一切通れない。しかも山道は急で足を踏み外したら転げ落ちて大けがは間違いなしだ。で、彼と彼の仲間たちはこの山道をチェンバロを担いで登ったのである。これだけでも大したものだが、頂上の教会にはトイレがないため、トレイに行きたければ片道30分の山道を再び降りてふもとの村まで行かなくてはならない。もちろんその後30分以上掛けてコンサート会場である頂上まで戻ってくるわけだ。

このような過酷な状況のもと、彼は自作のチェンバロを得意げに演奏した。ハプニングが起きたのはコンサートの半ばすぎだった。この中世の教会には電気がないため、照明は蝋燭の火だったのだが、これが楽譜に燃え移ったのだ。彼は最後までなんとか弾いたが、音楽的にはとんでもないことになってしまったことは言うまでもない。

ちなみに、彼の自作のチェンバロだが、素人が見よう見まねで作っただけにミスも多く、幾つかの鍵盤は押しても音が出ない。それでは演奏にならないではないかと思うのだが、彼は出ない音を歌っていた。さすがはフランス人だ。我々日本人には無い発想に妙に感心してしまう。彼のようになりたいとは全く思わないが…

ところで、このコンサートでは彼が自作したのはチェンバロだけではなかった。なんと譜面台とイスまで自作していた。どちらも木製で、真っ黒に仕上げてあった。なんでもこのコンサートのために特別に作ったらしい。一体何の意味があるのかさっぱりわからないが、これが彼の感性なのだから仕方がない。なにせ一年中部屋の改造をしている奴だ。コンサートの度に譜面台とイスを自作しているのも彼らしいと言えば彼らしいではないか。

ところが、この譜面台とイス、コンサートの直前に完成したということで、まだペンキが乾いていなかったのだ。彼のズボンが黒色だったことと、教会内が暗かったことにより全く気がつかなかったが、当然彼のお尻はペンキで真っ黒になっていた。打ち上げ会場のイスが真っ黒に汚れてしまったことはゆーまでもない…

それにしてもフランス人たちのバイタリティには驚かされる。ただ単にいい加減と言えばそれまでなのだが、なんだかんだ言ってもそれで生き抜いてゆくのだから大したものだ。

ちなみに、イタリア人の友達とフランス人について語り合ったことがある。このイタリア人の言葉に私は耳を疑った。「フランス人は実に理路整然としている。この国では何もかもが規則正しく、我々イタリア人からみると、まるで別の惑星だ。」

う~む、近いうちにイタリア人の話もした方がいいようだな。

 

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カレーきびだんご?

カレー

今日の昼食は、田舎に出かけて自然食を売りにしているカレー屋を訪れた。小さな店内は薪ストーブで暖められ、なかなか快適な空間だった。周りの景色に不似合いなインド音楽が流れていたのに違和感を覚えたが、やがて気にならなくなった。

私は普段はあまりカレーを食べないのだが、かつてロンドンで暮らしていた頃は毎週のように食べていた。ロンドンにはインド人の移民が多く、インド料理店には不自由しない。また価格も手頃なため、ついつい立ち寄ってしまう。

さて、この店のカレーだが、今まで食べた事もない独特なものであった。皿の上にはご飯とカレー粉で煮たか炒めたかよくわからない野菜類が並んでいて、その横にはほぼ無色透明な豆のスープが置いてあった。店の主人いわく、上からスープを掛けて、あとは大胆に混ぜて食べよとのことだ。よくわからないが、言う通りにして食べてみた。

不思議な味で上手く評価できないが、美味しいといえば美味しくもあり、別に不満はないのだが、今ひとつカレーという気がしなかった。食べ終わった皿の上にはほぼ無色透明の豆スープの汁が残っているだけで、いわゆるカレーの色ではない。おなじみの黄色でもなければ、白でも緑でもなく無色透明である。私が普段から描いているカレーのイメージとは随分かけ離れたカレーであった。

恐らく、私が知らないだけで、カレーのレシピはおびただしい数があるのだろう。ロンドンで初めてインド人の作ったカレーを食べたときも、日本でそれまで食べていたカレーとの違いに随分驚いたものだが、どうやらこの料理、相当奥が深そうだ。そのうち、徹底的に調べてみる必要がありそうだな。そういう意味では、私のカレーに対する好奇心を呼び覚ましてくれた素敵な昼食だったと言えるだろう。

というわけで、久しぶりにヘルシーな有機無農薬野菜のカレーを味わったわけだが、ふと、カレーをきびだんごに応用できないかというアイデアが頭をよぎった。そうなのだ。岡山にはチョコレートきびだんごやフルーツきびだんご、さらには黒豆きびだんごやラムネきびだんごまで存在するが、カレーきびだんごはまだなかったと思う。なぜだ。どうして誰もカレーきびだんごを作らないのだ。美味しいかどうかは別として少なくともウケるに違いない。この日記を読んでいる業界の方には、是非勇気を出してトライしてもらいたい。

ちなみに、カレー粉をふりかけるだけなら、きな粉きびだんごの要領ですぐにでも可能だ。なんなら、きな粉と色がそっくりの辛いカレー粉を使って激辛きびだんごを作り、これをきな粉きびだんごにひとつだけ混ぜて、ロシアンきびだんごというのもアリだろう。運悪く激辛を口にした人はハズレというわけだ。

いやいや、どうせやるなら、心から美味いと感じるカレーきびだんごにした方がいいな。そうすると、カレー粉を振りかけるだけという安易な方法ではダメだ。やはり、原材料を練り込む段階からカレー味を極めねばなるまい。問題は甘さと辛さのシンクロ率だ。残念ながら私は適格者ではないため、このプロジェクトには貢献できないが、我がきびだんご王国が誇る特務機関NERFのゲンドー博士なら適格者を見つけてくるかもしれない。

いずれにせよ、カレーきびだんごについて、新しい情報が入り次第報告しよう。まあ、あまり期待はできそうもないが。

 

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後楽園

後楽園

日本三大名園のひとつ後楽園は、岡山が全国に誇る名園だ。四季折々の植物が楽しめ、丹頂鶴にもお目にかかれる。見所満載の観光施設である。特に丹頂鶴が園内に放たれる日は大勢の観光客が訪れ、カメラのシャッター音が鳴り止まない。ちなみに丹頂鶴の「丹」とは赤いという意味で、「頂」は頭のてっぺんという意味だ。つまり丹頂鶴とは頭のてっぺんが赤い鶴というわけで、釧路湿原を除けば、日本でお目にかかれるのは岡山くらいしかないはずだ。

だが、市内でタクシー運転手の方々と話をすると、近年観光客が少なくなって来ているという。この傾向はずっと続いていて歯止めがかからないらしい。う~む、このままではまずい。なんとか岡山の魅力をアピールせねば。この際、ミシュランでも高く評価されている後楽園を大々的にPRしよう。

ちなみに、つるの玉子本舗下山松壽軒(しょうじゅけん)という明治20年創業の老舗のお菓子屋さんには、なんと「後楽園」というそのものズバリのお菓子がある。なんでも「後楽園」を商標登録しているというのだからすごい。この商品は羊羹(ようかん)で、ごく普通の小豆の羊羹と白いんげんを天然色素で染めた紅羊羹の二種類からなる。いずれも一口サイズのしゃれた羊羹だ。甘すぎず、上品な味わいは日本の伝統菓子の良さを今に伝えている。

が、羊羹ではインパクトが弱い。やはり、後楽園を全国にPRするには、もっとド派手な何かが必要だ。一度口にしたら二度と忘れないような何かが。

そこで、私はキョーレツな炭酸飲料を開発することを提案する。クエン酸入りのコーラだ。その名も「コーラクエン」。何? ただのダジャレじゃねーかって? そう思ったアナタはまだまだ甘い。これには、「こりゃあ、食えん(こーら、くえん)」というもう一つのダジャレも融合されているのだ。つまり、ダブル・ダジャレだ。略してダブジャレ。ダジャレのレベルが違うのだよ。

で、これを全国の自販機で販売する。CMキャラクターは岡山が誇る悪役俳優、八名信夫がいいだろう。決め台詞は「まずい!! もう一杯!!」で決まりだな。

ところで、後楽園には庭園としての魅力の他に、様々な動物ウォッチングが楽しめるということをご存知だろうか。野生化したネコはもちろん、タヌキやイタチなども結構いる。園内には一般人立ち入り禁止区域というのがあって、どうやらそこで安全に生活しているらしい。たまに昼間でも後楽園の外周の道端や河原でタヌキの群れを見かけることもある。また、野鳥も豊富で、なんとカワセミの目撃例もある。後楽園の中にはパンダが十分生活してゆけそうな竹やぶもあれば、オランウータンがいそうなうっそうとした森林のような場所もあるし、谷川を模した清流やら池や沼、さらには田んぼや梅園まである。桜も見事だし、園内から入れる植物園には熱帯雨林コーナーがあってバナナまで植えている。と、もうなんでもありの無法地帯といってもいいパラエティ豊かな庭園なのだ。

とにかく、動物やら野鳥やら魚やら昆虫やら、生き物の観察や撮影には後楽園はもってこいの場所である。岡山市内では、都会のジャングルとまで呼ばれているのもうなずけるだろう。そういえば、後楽園に入ったきり生きて戻らなかった人も少なくないという都市伝説さえ存在したっけ。

ちなみに、私は小学生の頃、飼っていたカブトムシを100匹近く、園内に逃がしたことがある。「カブトムシの命はもうすぐ尽きるのだから、最後は逃してやりなさい」という父の助言に従って、父とふたり、夏の終わりに後楽園で逃したのである。今なら、カブトムシを大量に持って入ろうとすれば入り口でとがめられるだろうが、当時はおおらかだったのだろう。何せ、当時私は毎年夏に後楽園内で父とセミ取りをして遊んでいたくらいだ。今なら木が痛むとかなんとか言われて、捕虫網など堂々と持って入れないのではないだろうか。

さて、私が逃したカブトムシの子孫だが、果たして今でも後楽園で生活しているのだろうか。後楽園でカブトムシを見かけたという方は、是非きびだんご王国にメールしていただきたい。

 

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