きびだんご王国 | 桃太郎伝説ときびだんごについて、岡山の有志が集まって楽しく語るサイト

きびだんご王国 桃太郎伝説

アイデアと妄想

アイデア

デザイナーの佐藤可士和曰く、「実現しないアイデアは単なる妄想」であるとのこと。

ここまではっきり言われると少々腹が立つ。しかし、ヤツの言う通りである。どんなに魅力的なアイデアも実現しなければ何の意味もない。

思えば、今日までの人生、実現せずに塵と化したアイデアがどれほどあったことか。その度に妄想と言われ、夢想家と呼ばれてきた。中には私を危険視して去って行ったものまでいた。そうなのだ。どんなに美しい夢を描いても、どんなに画期的なアイデアを思いついても、実現しなければゴミに等しいのだ。

いやいや、考えることに意義がある、とか、アイデアが出てくるだけでも大したものだ、とか、慰めてくれる人もいるだろう。だが、正直、慰めてもらっても嬉しくない。やはり、最後までやり遂げなくては意味がないのだ。

ではなぜ実現しないのか。いい質問だ。原因はいろいろあるだろう。だが、その多くは結果論でしかない。最大の原因は、そもそも計画の初期段階で実現を可能にする手段を講じていなかったことだ。アイデアを着想する能力と、計画を立てる能力はイコールではない。にもかかわらず、アイデアを得た者が計画まで立てることがリスクを大きくしているのではないだろうか。

そこで、きびだんご王国ではアイデアを実現するためのスタッフを、あちこちから集めることにした。きびだんご王国だけではない、私個人に関してもだ。予算の許す限り、多くの方々から智慧をお借りしたい。

とにかく、今年は意識改革の年である。アイデアを次から次へと具体的な形にしてゆく。そのために汗をかきたい。

ちなみに、実現した妄想は奇跡と呼ばれる。 

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

おならだって

おならだって注目してほしい

私はおならをすると、「このおならを君に捧げよう !」と言って、近くにいる人にそのおならを捧げる習慣がある。なぜかと言われても困る。長年の習慣なのだ。誰にも捧げないとなると単なる垂れ流しのような気がして心が咎めるのだ。声に出して捧げることもあれば、密かに心の中で捧げることもある。私に見つめられたことのある人は、その直前に私がおならをしていたのかもしれないという事実に今気がついたことだろう。

確かに変な習慣かもしれない。しかし、これがくしゃみだったらどうだろう。ドイツでは誰かがくしゃみをすると、Gesundheit !(ゲズントハイト: 訳は難しいが、お大事に、くらいの意味)と周りの人が言う習慣があるし、フランスでは同様のシチュエーションで、 À tes souhaits ! / À vos souhaits !(アテスエ / アヴォスエ: 訳は難しいが、望みがかないますように、くらいの意味)と言う習慣がある。日本でも、誰かがウワサをしている、などと言うではないか。ところが、おならだとみんな口を閉ざしてしまう。本当にこれでいいのだろうか。くしゃみばかりえこひいきしていては、おならが可哀想ではないか。

そこで、私はおならをすると「君に捧げよう !」と言うことにしているのだ。だが待てよ。くしゃみの場合は、自分のくしゃみではなく、他人のくしゃみに対して発言をする習慣ではないか。となると、おならの場合も自分のおならではなく、誰かのおならに対して発言するのが筋かもしれない。

例えば、誰かがおならをすると、「縁起がいいね !」などと、みんなで言ってあげるのはどうだろう。あるいは、「有り難う。耳の保養になったよ !」とかはどうだろう。いや、ちょっと嫌味だな。「ナイス ! サプライズ !」もイマイチだ。「お幸せに !」くらいが無難かもしれない。とにかく、誰かがおならをすると、気づかないふりをしたりせず、大いに気づいて盛り上がろうではないか。おならだって注目してほしい。きっとそう思っているに違いないのだ。

えっ、注目してもらいたくないって ? そうかなあ。おならは立派な自己主張だと思うのだが。

ちなみに、英語には honorable(オナラブル: 尊敬すべき、という意味)という単語がある。そうなのだ。オナラブルは立派な人を指す形容詞なのだ。だから、日本でもオナラぶる人は大いに讃えるべきなのだ。一例を挙げよう。おならばかりしている部長がいれば、オナラブル部長と呼べばいい。これなら失礼に当たらないではないか。

ま、自己責任でお願いします。 

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

この忙しいときに

猫

最近、なぜか我が家に猫が住んでいる。

これはどういうことだろう。言っておくが、私は信条としてペットを飼ったりはしない。なぜならペットは二酸化炭素を排出するからだ。地球温暖化と戦うためにも、ペットなど飼っている場合ではないのだ。

ではなぜ、猫がいるのだろう。毎日リビングでくつろいでいると、少し離れた所からこっちをにらんでいる猫を見ていたが、ついにその謎が解けた。弟が拾って来たのだ。より正確に言うと、捨て猫を保護しているボランティアの方から里親の打診を受け、弟が名乗りを上げたということらしい。

ところで、この猫、ペットショップで買ってきた猫と違い、全く礼儀というものを知らない。一緒に住んでいながら、家族の誰にもなつかないのだ。触ろうとしても、ダッシュで逃げてゆく。ほおずりをしようとしたら、ほっぺたに噛み付かれた。猫パンチが目に入って酷い目に遭ったりもした。食事中にテーブルの上に飛び上がって皿を蹴散らすことなど朝飯前である。

要するに、部屋の中にいる野良猫状態なのだ。そのくせ、餌がほしくなると、寄って来て身体を擦りつけてくる。実に勝手な奴だ。しかもグルメときている。低価格のキャットフードなどは見向きもしない。それに趣味も多彩だ。例えば、夕食の後はサウナである。浴室に入り、風呂のふたの上でくつろぐのだ。それも、ふたの上にタオルを敷いてやらなければ納得しない。私がタオルを敷くまで待っている。一体どういう猫なのだ。

さらに、ここ数日、散歩に連れて行けと催促するようになった。夕方になるとドアに身体をぶつけてアピールし、その後、きちんと正座して私の方をじっと見ている。これがサインだ。仕方がないので散歩に出てゆくのだが、カラスやチョウに興味があるらしく、姿が見えなくなるまでじっと観察している。だいたい20分から30分くらいかかるのだが、忙しい私としてはいい迷惑だ。

で、弟はというと、猫がいるとのんびりできないらしく、猫を私に任せて、ひとり自室でマッサージチェアでくつろいでいる。確かにこの猫がいてはのんびりできないというのはわかるが…

こんなわけで、きびだんご王国にまたしても不確定要素が増えてしまった。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

ファインダー購入

部屋の風景

先日、ファインダーを購入した。私のコンパクトデジカメにはファインダーがなく、背面の液晶画面を見て撮影する仕様になっているのだが、イマイチ撮影をしているという感覚が得られず、少々不満に思っていたのだ。

長い間、フィルムカメラを使っていたため、どうしてもファインダーを覗くクセが抜けきれず、とうとう我慢の限界に達したため、ファインダーの購入に至った次第である。

そもそも、背面の液晶だが、野外では日光の状態によっては非常に見づらい。フードでもかぶせなければロクに画面を確認できないこともしばしばだ。それにカメラを顔から遠ざけねばならず、手ぶれもしやすいし、第一見た目がみっともない。

で、ファインダーを付けてみると、これがなかなか楽しいではないか。カメラ本体と連動しているわけではないので、ファインダー内には露出などの情報は何も表示されないし、ピントが合ったかどうかもファインダー内では確認できない。しかし、風景をファインダーで切り取るという感覚は貴重だ。最新のデジカメのような機能は何もないが、とにかく穴から覗くというスケベ心を満喫させてくれるアイテムである。なによりアナログなところがいい。ファインダーを覗いている間はデジカメを使っているという認識がしばし薄れるのだ。

とにかく、デジタル一辺倒で、機能てんこ盛りの製品が巷に溢れる今日、私としてはどこか古くさいアイテムに惹かれる。ノスタルジーといえばそれまでかもしれないが、より人間臭いといった方が表現としてはしっくりくる。そうなのだ。テクノロジー全盛の時代だからこそ、私は人間臭さにこだわるのだ。

製造過程で機械やコンピュータを導入しようと、やはりどこかに人の手、というか人の心が宿っているものこそ、大切にしてゆかねばならないのではないだろうか。

などと言ってみたが、あと数百年もすれば、人間臭さなど死語になっているかもしれないな。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ

PK戦

サッカー

FIFA(国際サッカー連盟)のブラッター会長が、PK戦での決着について「悲劇」を生む可能性があると述べ、将来的に何らかの変更を行う可能性を示唆したという。

確かに、PK戦による決着は面白くない。サッカーの醍醐味であるゴールによる決着ではなく、PK戦というのは精神衛生上あまりよくない。特に、シュートをはずした選手の中には一生トラウマが残る者もいるにちがいない。勝負の世界は厳しいものではあるが、しかし、サッカーのPK戦ほど残酷なものもないだろう。

もっとも、ゴールキーパーにとってはヒーローになるチャンスでもあり、中にはPK戦に情熱を注いでいるキーパーもいるのかもしれない。しかし、選手としても、サポーターとしてもPK戦での敗北は到底納得のいくものではない。とりわけ試合内容で勝っていた場合は無念の極みである。

この点、ゴールデンゴール方式というのもあって、延長戦で先にゴールを決めた方がそのまま勝利という、なんだか野球のサヨナラ勝ちに似たルールもある。これだと、延長戦で得点が生まれた場合、同点に追いつくことができないため、延長で点を取り合ってPK戦に突入という事態は避けられる。だが、これとて無得点のまま終了のホイッスルが鳴れば、結局はPK戦でしか決着がつかないことには変わりがない。

そこで、私が新ルールを提案しよう。

その1。開始前にPK戦を行う。

つまり、あらかじめPK戦を行っておき、万一同点で終了した場合は、試合前のPK戦の勝者の勝利とする。これだと、PK戦で負けていても、試合で勝てば帳消しになるため、PK戦でシュートをはずした選手もトラウマにはなりにくい。むしろモチベーションが上がるのではないだろうか。

その2。ファールの少ない方の勝ちとする。

同点で終了した場合、総ファール数の少なかった方のチームの勝利とすればいい。例えば、通常のファールを1点、イエローカードを2点、レッドカードを3点として合計し、点数の少ない方を勝ちとするわけだ。これだと、フェアなプレーに徹した方が有利となるため、試合の質も向上するだろう。

その3。再試合。

これは日程の関係で無理かもしれない。しかし、野球でも延長戦で勝負がつかないときは再試合になるではないか。サッカーでも日程が許すなら、再試合という選択肢もあっていいのではないだろうか。

以上が私の提案だ。この他にもボール支配率で決めるとか、いろいろとアイデアはあるだろうが、この辺りが妥当なところだと思う。

さて、ブラッター会長はどんな対策を講じてくるのだろう。楽しみだ。

 

きびだんご王国のFacebookページは、コチラ

カテゴリー : もろもろ