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きびだんご王国 桃太郎伝説

田舎へ行こう

田舎

このところ暇さえあれば書籍を購入しまくっている。

もともと私は読書好きで、我が家はもはや本を置く場所もないほど本だらけなのだが、何度も不要な本を売ったり、差し上げたりしても次から次へと増えるため、もうどうにもならない状態だ。これはまさに読書のメタボ状態と言えよう。

メタボと言えばやはり身体に悪い。ひょっとすると読書のメタボも問題があるのかもしれないな。そもそも既に一生の間に読み切れないほどの蔵書があることは間違いない。その上で、毎日のように本が増えているわけだから、これはどう考えてもマズイ。もしかすると、読書中毒にかかっているのかもしれない。ひょっとして、読書はタバコや酒のように依存症を引き起こしたりするのだろうか。この点に関しては一度医者に質問してみるしかあるまい。

問題は、私の読書の幅の広さだ。専門分野だけ読んでいれば最小の読書量で済むのに、なぜか趣味が多い。将棋やチェスや数学や物理学や語学や歴史や美術や音楽や生物学や古文や政治や経済や宗教や、その他、エッセイや旅行記や服飾や料理やワインやビジネスやらと、我ながらよくもまあこれだけいろいろ読むものだと呆れるほど何でも読んでいる。

さすがにこれだけ読んでいるともはや速読でも追いつかない。もうこうなったら、書籍を額に当てて脳裏に念写でもするしかない状態だ。はっきり言って、きびだんご日記など書いている時間もほとんどない。

しかも、私の場合、特に気に入った本は二冊買う。一冊は書き込み用で、もう一冊は保存用だ。もはや、田舎に広い土地を買って巨大な書庫を備えた家を建てるしか道は残されていないかもしれないな。う〜む、それまでに本の重みで床がぬけなければいいのだが…

 

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投資?

投資

フェイスブックの上場に伴って株を購入したものの、その後の値下がりで損失を出した投資家たちが訴えを起すらしい。なんでも公示価格が高すぎたのではないか、などとぬかしているらしい。

はっきり言っておく。高いと思えば買わなければいいのだ。

そもそも、株などというものは、バカが買えば上がり、バカが売れば下がる。それだけだ。だから相場の動きに一喜一憂する必要などない。企業の価値に対して安いと思えば買って長期保有し、値が上がるのをひたすら待てばよいし、高すぎると思えば最初から手を出さなければいい。

私の場合、株を買うときは、企業について徹底的に調べる。最低でも過去10年間の財務諸表には目を通す。その上で様々な指標についてデータを解析し、将来の成長を予測する。さらに経営者が書籍を著していたらそれも読む。また、雑誌のインタヴューなどがあれば、それも入手する。

そうして、入念に調べあげた上で、この会社なら大丈夫と確信したものの中から、さらに絞り込んで投資する。そして、一度信じて購入した株は5年、10年と長期保有する。だから、毎日の株価の変動など全く気にしない。たとえ買った株が半値に下がっても、自分の目に狂いがなければやがて値を戻し、最終的には利益をもたらすはずだ。だから安心して待っていればいい。逆に言えば、そこまで自信がないのなら株など買ったりはしない。

よく、証券会社に勧められた株を買って損をしたといって怒る人がいるが、本末転倒だ。証券会社は株の売買手数料で儲けているので、株が上がろうが下がろうが、極端なことを言えばどうでもいいのだ。売買取引さえ成立すれば手数料収入が発生する仕組みなのだ。結局、損失は投資家の自己責任となる。

だから、投資家は自分の目で判断して行動するしかない。損をして慌てるくらいなら投資などしなければよいのだ。

おそらく、今回騒いでいるのは、短期間に儲けを出そうとしているトレーダーやその系統の人たち、あるいはブームに踊らされて甘い夢を見た人たちではないだろうか。私はデイトレーディングのような短期投資は一切やらないので、彼らには何の共感も同情もない。どうして、みんな目先の利益にばかり関心があるのだろう。本来、企業の株を買うということは、その企業を応援するということではないのか。自分が好きで応援している企業の株なら、値が下がってもにっこり笑って保有しておけばいいではないか。

要するに、フェイスブックが好きで応援しようという人たちではなく、ブームに乗っかって一儲けしてやろうと欲をかいた人々が群集心理で上場に集まって来たというのが今回の騒動の正体なのだろう。ま、よくある光景だ。今回は規模が大きかったのでいつもより騒がしいが…

それにしても、人間の欲というものはどうにも気分の悪いものである。

 

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安全運転

安全運転

福岡市では職員の飲酒にまつわる不祥事が後を絶たないため、とうとう一ヶ月の禁酒命令が出たらしい。確かに、2006年に起こった三児死亡事故は記憶に新しい。その後も次から次へと事件、事故が続き、なんとかしなければという福岡市長の気持ちもわかる。とりわけ、交通事故は深刻な問題だ。

恐らく、近い将来、飲酒をするとエンジンがかからない車が実用化されるだろう。自動で車間距離を確保したり、ブレーキをかけたりといった機能も標準装備されるにちがいない。

一方、老人によくある、ブレーキとアクセルの踏み間違えを防ぐにはどうしたらいいだろう。駐車場で壁との距離を計測し、ある程度の距離に近づくとアクセルを踏んでも作動しなくするという機能が搭載されるのだろうか。

しかし、こうした機能てんこ盛りの車だと、整備も大変だし、故障も多いのではないだろうか。それならばいっそ、人工知能を搭載して全自動で車に運転をまかせてしまった方が早い。そういえば、そんなアメリカのテレビ番組があったっけ。そうそう、「ナイトライダー」だ。ナイト財団が開発したキットと呼ばれる人工知能を搭載したスーパーカー、その名もナイト2000が大活躍するアクションドラマで、主演のマイケル・ナイトに演技力は無視してルックスで選ばれたデビット・ハッセルホフが毎回能天気なわざとらしい演技でお茶の間を湧かしたアノ番組だ。

特に最終回でナイト2000がオープンカーに変身し、美女をはべらして遊びに興じるシーンは、えっこんな結末でいいの、と思わず声を失ったものである。

それはともかく、人工知能を搭載するといろいろと面白いことが起こる。まず、運転中に人工知能が話しかけてくるのだ。これはいい、話し相手がいれば居眠り防止にもつながる。さて、どんな会話が成り立つのだろうか。

例えば、酒を飲んでハンドルを握ると、人工知能が「おまえはもう死んでいる」とのたまう。スピードを出しすぎると「今捕まれば簡易裁判で罰金二桁だぜ」とか、交差点では、「もしかすると子どもが飛び出すかもな」などとささやく…

ちょっと待て、人工知能は自動操縦するんじゃなかったっけ。なら、そんな会話は無用ではないか。いやいや、そうではない。人工知能も学ばなくてはならないのだ。あらかじめプログラムされた動作を行うだけなら、人工知能の価値はない。人工知能は、ドライバーとの会話を通じて、そのドライバーにとって理想的なパートナーに進化してゆくのだ。

だから、ドライバーが無能だと、人工知能も無能になってゆく…

だめだ、結局、ドライバーが努力して安全運転をする以外はないようだ。

 

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野生の勘

野生

ネットでニュースに目を通していたら、中高生の七割が努力は報われると信じているというレポートが掲載されていた。

はっきり言おう。努力は平気で人を裏切る。

だが、嘘が女のアクセサリーであるように、裏切りもまた努力のアクセサリーなのだ。だからあまり気にしなくていい。というか、いちいち気にしていたら努力とおつきあいはできなくなる。

そうなのだ。報われるから努力するわけではないのだ。報われるかどうかわからなくても努力する。そう腹をくくらなければ、そもそも努力などしても仕方がない。

ところが、努力は必ず報われると勘違いしている輩が後を絶たない。そういう輩は努力が報われないと陰湿な報復をしたり、誰かに八つ当りしたり、反社会的な行為に及んだり、中には自殺したりする者まで出てくる。

だから、七割もの中高生が努力は報われると信じているというのは、ある意味危険な数値だ。私が教師なら、努力してもダメなときはダメだと教えるのだが、現行の教育指導要綱では、努力の美徳を説くことになっているのだろう。

確かに、受験を控えた学生にとっては努力すれば受かると説くことは意味がある。受験の場合、出題範囲も受験日もあらかじめ決まっているので、容易に対策が立てられるからだ。大学受験くらいなら、病気等のアクシデントを除いて、誰でも努力すればなんとかなるだろう。

それに対し、人生においては、問題の出題範囲も不明なら、出題日も不明だ。そもそも今歩いている道にゴールがあるかどうかすらわからない。もしかすると、その先は崖になっているかもしれないのだ。もしそうなら、努力しても崖に落ちるだけである。

ある意味、社会とは弱肉強食のサバンナのようなところかもしれない。だとすれば、本能とか勘とか、そういった生来の能力がサバイバルの鍵となろう。

努力も大切だが、生物に本来備わっているはずの野生の勘を失わないようにしたい。

 

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日食

皆既日食

今日は朝から金環日食の話題で列島がフィーバーしていたようだ。なにが楽しいのかさっぱりわからないが、確かに珍しい現象ではある。

驚いたのは、ほんの数分間の出来事のために、わざわざ飛行機に乗って海外からやって来た外国人が大勢いたことだ。ヨーロッパに端を発した経済危機がこの惑星に暗い影を落としているというのに、その影だけではまだ不十分らしく、今度は太陽を覆う影を求めてこの国を訪れて来たというのはどういうことだろう。

それはともかく、日食時には太陽について様々な観測が行えるらしく、天文学者や物理学者にとっては非常に大切な瞬間である。そういえば、アインシュタインの相対性理論が証明されたのも日食時の観測の結果だった。

だが、日食で分かることは天文学や物理学だけではない。この惑星の住民がマスコミに踊らされ、我も我もと同じ行動を取るという群集心理がまたしても確認されたのである。

中には、金環日食を指輪に見立てて結婚のプロポーズをした男性までいるというではないか。正気か? と思わず唸りたくなるような出来事だ。地球や月の運動と男女の間に何か関係があるとは私には思えない。テレビでは微笑ましいニュースとして伝えていたが、どういうことだろう。もしかすると、私にはロマンが足りないのだろうか。

そもそも、日食とは太陽と地球の間に月が割り込んで来る現象だ。こんなときにプロポーズなどすれば、将来誰かが二人の間に割り込んで来ることを暗示しているようではないか。私としては二人の将来に不安を禁じ得ない。まあ、どうでもいいことだが…

ちなみに、日本の神話に天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に隠れた話があるが、あれは十中八九、皆既日食のことに違いない。古代の皆既日食といえば、紀元前138年、紀元158年、紀元248年が確認されている。そして卑弥呼が死んだのが紀元248年だ。この不気味な一致は、天照大神の正体が卑弥呼だとする説の有力な根拠のひとつとなっている。

真偽のほどは分からないが、古来より日食とは人騒がせな現象だ。
(画像は皆既日食)

 

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