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野生の勘

野生

ネットでニュースに目を通していたら、中高生の七割が努力は報われると信じているというレポートが掲載されていた。

はっきり言おう。努力は平気で人を裏切る。

だが、嘘が女のアクセサリーであるように、裏切りもまた努力のアクセサリーなのだ。だからあまり気にしなくていい。というか、いちいち気にしていたら努力とおつきあいはできなくなる。

そうなのだ。報われるから努力するわけではないのだ。報われるかどうかわからなくても努力する。そう腹をくくらなければ、そもそも努力などしても仕方がない。

ところが、努力は必ず報われると勘違いしている輩が後を絶たない。そういう輩は努力が報われないと陰湿な報復をしたり、誰かに八つ当りしたり、反社会的な行為に及んだり、中には自殺したりする者まで出てくる。

だから、七割もの中高生が努力は報われると信じているというのは、ある意味危険な数値だ。私が教師なら、努力してもダメなときはダメだと教えるのだが、現行の教育指導要綱では、努力の美徳を説くことになっているのだろう。

確かに、受験を控えた学生にとっては努力すれば受かると説くことは意味がある。受験の場合、出題範囲も受験日もあらかじめ決まっているので、容易に対策が立てられるからだ。大学受験くらいなら、病気等のアクシデントを除いて、誰でも努力すればなんとかなるだろう。

それに対し、人生においては、問題の出題範囲も不明なら、出題日も不明だ。そもそも今歩いている道にゴールがあるかどうかすらわからない。もしかすると、その先は崖になっているかもしれないのだ。もしそうなら、努力しても崖に落ちるだけである。

ある意味、社会とは弱肉強食のサバンナのようなところかもしれない。だとすれば、本能とか勘とか、そういった生来の能力がサバイバルの鍵となろう。

努力も大切だが、生物に本来備わっているはずの野生の勘を失わないようにしたい。

 

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