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きびだんご王国 桃太郎伝説

眠れる森の女王

きびだんご王国の冬の森

先日、先祖の墓参りに出かけた際、山道に倒れていた朽木の表皮をめくってみたところ、大きなスズメバチが気持ち良さそうに眠っていた。女王蜂である。

スズメバチの生態についてよく知らない人のために解説しておくと、毎年晩秋の頃にスズメバチの巣は全滅する。最後の日、新しい女王蜂はオスバチたちとともに巣を出てゆく。この旅でオスバチの多くは天敵に食べられたりして命を落とすが、運の強いオスバチは選ばれて女王蜂と交尾する。交尾を終えたオスバチは役目を終えて寿命が尽きるが、女王蜂だけは朽木の中などにもぐって冬を越すのである。そして初夏に活動を再開し、巣を作るのだ。

つまり、初夏に最初に出会うスズメバチは女王蜂だ。この時期はまだ巣の基礎が完成しておらず、働きバチも生まれていない。新女王はまさに一匹狼状態である。だから、滅多に攻撃してこない。助けにくる仲間がいないわけだから、強い態度に出られないのである。

耳より情報その1: 初夏のスズメバチは怖くない。

で、せっせと巣作りをし、卵を生む。この時期卵から孵化するのは全てメスの働きバチである。最初は女王自ら子供たちの世話をするが、やがて子供たちが親になると、女王蜂は産卵に専念するようになる。こうして、秋頃までスズメバチの巣は拡張を続けるのだ。

そして秋が訪れる頃、巣の中では新女王が誕生し、やがてはじめてオスバチも誕生する。こうして生命のリレーが続いてゆくのである。毎年、秋頃にスズメバチの被害が頻繁に報告されるが、それは新女王の誕生により、スズメバチの巣が厳戒態勢にあるからにほかならない。

耳より情報その2: 秋のスズメバチは怖い。

さて、スズメバチに限らず、ハチは苦手という人が多い。やはり刺されると痛いということがあるからだろう。私はミツバチに刺されたことがある。それほどではないが、やはり痛みはあった。スズメバチはまだないが、相当痛いはずだ。スズメバチに刺された人の傷跡を見たことがあるが、まるでクレーターのように窪んでいた。

ちなみに、ミツバチは一度針を刺すと、お尻の部分が針ごとちぎれてしまう。針の根元にある毒袋もいっしょにちぎれるため、相手の身体に針がささったまま毒の注入は継続されるという仕組みだ。しかし、身体の一部がちぎれるため、そのミツバチはしばらくして死んでしまう。つまり、ミツバチにとって針を刺すという攻撃は捨て身の技である。

一方、スズメバチはというと、なんと何度でも針を刺すことができるのだ。スズメバチの場合、針を刺してもお尻の部分はちぎれたりしない。だから好きなだけ刺してくる。

スズメバチの針は実は二本あって、普段はぴったりくっついている。それぞれの外側にノコギリのようなギザギザがついており、この二本の針を前後にスライドすることにより、針が相手の体内にどんどん深く刺さっていく仕組みになっている。スズメバチに襲われたらとにかく逃げるべし。

耳より情報その3: スズメバチは何度でも針を刺せる。

ところで、スズメバチは我々人間だけでなく、養蜂家が飼育しているミツバチの大敵でもある。養蜂家にとっては害虫以外のなにものでもない。スズメバチに襲われるとミツバチの飼育箱ひとつくらい全滅してしまう。被害は甚大だ。養蜂家が飼っているミツバチは西洋ミツバチが大半で、日本のスズメバチに対抗する術をもたないのである。

それに対し、日本固有種のミツバチの場合は、集団でスズメバチを囲い込み、窒息死しさせるという戦術を身につけている。まさに大和魂だ。ただ、日本のミツバチは独立心が旺盛というか、要するに逃げてしまう習性が強く、また採蜜量が少ないために養蜂家には人気がないそうだ。

というわけで、皆さんも冬の山や森に出かけたらスズメバチを探してみよう。でも決して起さないように。

 

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津波対策

津波

昨年の大地震に伴う津波では甚大な被害がもたらされた。日本が地震大国である以上、今後も津波とは縁が切れそうにない。古来より、ショーコリもなく津波による損害を受けてきた我々だが、もうそろそろ津波を克服する手段を開発すべきであろう。

もっとも単純なのは防波堤を築く事だ。これは昔からやってきた。だが、今回のように10メートル近い大きな津波がくれば従来の防波堤などひとたまりもない。かといって30メートルを越えるような防波堤を海岸線に隈無く建設するというのは非現実的である。

どうやら、ここにこそ人類の英知を結集し、新しいテクノロジーを生み出す必要がありそうだ。

例えば、津波のエネルギーを熱などの別のエネルギーに変換して沿岸部へ到達しないようにするというのはどうか。しかし、これでは波力発電と同じで目新しいものはないし、大津波なら波力発電のキャパシティを越えるので、やはり解決策にはならない。

そこで、まだ誰も着想していない新次元の解決法を提案する。

それは、人工衛星から特殊な電波を海面に照射し、津波に対して逆位相の波を起こして、これを津波にぶつけるという案だ。ようするにヘッドフォンのノイズリダクションの原理と同じである。音が波であるという性質を利用し、逆位相の音波をぶつけることで、騒音が耳に届かないようにするアレである。津波が発生したことをうけて、沿岸部から沖へ向けて逆位相の津波を発生させる。これが、沖から沿岸部へ迫る津波と中間地点でぶつかり、津波が消えてなくなるという仕組みだ。

津波の発生をリアルタイムで把握し、全く同じ大きさの波を同じ速度で正確に沿岸部から沖へ向けて発生させなくてはならない。確かに難しい技術だが、現在の人類のテクノロジーなら十分可能ではないだろうか。

ただひとつだけ問題がある。人工衛星から人工的に津波を発生させることができるようになると、これを軍事に転用する国が出てくるであろうということだ。津波発生装置を武器として使用すれば、大量破壊兵器となりかねない。

でもまあ、全ての国が持てばお互い様だし… って、それは核兵器拡散思想と同じではないか。危ない、危ない。

やはり津波は危険だ。

 

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食生活の基本

きびだんご王国の食事事情

テレビでカニ料理の番組をやっていた。カニを食べるときはみんな静かになるね、とか言いながら、出演者たちは結構ワイワイ盛り上がっていた。

が、私にはカニを食べて盛り上がる理由がよくわからない。実は私はあまりカニを食べないのだ。別に嫌いなわけではないが、陸生哺乳類であるヒトが海の底を這い回るカニを食べるという行為に合理的な説明がつかないのだ。進化論でも分子生物学でも説明がつかない。説明がつかない以上、積極的に食べる理由がない。

動物にはみな食性というものがある。それぞれの生活空間で手に入るものを効率よく食べている姿こそ自然なのだ。川のカニならいざしらず、数百メートルから場合によっては800メートルを越える深海に棲息するカニなど本来我々の食性から考えるとありえない話だと思う。しかも、ベーリング海のカニ漁ときたら、毎年何人もの死者が出るという命がけの漁だと言うではないか。そこまでして食べたいのか、と思わずツッコミを入れたくなる今日この頃である。

カニだけではない。フルーツなどもそうだ。南国のフルーツは身体を冷やす効果があり、それゆえ熱帯地方に住む人間にとってありがたい食べ物なのだ。これを北国の人が食べると身体が冷えて健康に悪い。北国の人には北国のフルーツが身体に適しているのだ。だから、日本人には本来バナナとかパッションフルーツなどは必要ないのだ。

最近では地産地消という言葉が普及してきているが、農業行政上の意味だけでなく、今述べたような意味があると私は解釈している。自分が暮らしている土地で取れるものを食す。これこそ自然な食生活の基本だ。ライオンが海に潜ってタラバガニを食べたり、クジラが木に登ってバナナを食べたりしたら不自然この上ない。

というわけで、我々は身近で手に入るものを食べていればよいのである。珍しい食材や異国の食材はごくたまに話のネタに食べるくらいに考えておけばよいのではないだろうか。

いや、待てよ。二日前の日記にも書いたが、私は珈琲をよく飲む。でも、珈琲豆はアフリカや南アメリカを主な原産地とする南国の果実だ。私としたことがなんということだ。言っていることとやっていることに整合性がないではないか。う〜む、でもそこが私の魅力だからよしとしておく。ただ、珈琲には身体を冷やす効果があるに違いない。幸い私は冷え性ではないが、冷え性の方は珈琲は控えた方がいいだろう。

 

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iうちわ

ここのところアップル製品が世界を席巻している。一昔前のソニーが鎮座していた王の座は今やアップルのものだ。

かつてトランジスタ・ラジオやウォークマンが革新的な製品として人々のライフスタイルさえ変革してしまったように、今やアップルの製品が未来を切り開いている。iMacに始まり、iPod、iTunes、iPhone、iPadとその快進撃は留まる所を知らない。もうじきiTVの登場により、いよいよ総合的な家電会社へと変貌を遂げるともうわさされている。

しかし、天才スティーブ・ジョブズ亡き後、果たしてこれまでのように革新的な製品を生み出し続けることが可能なのだろうか。iTVは恐らくiTunesからダウンロードした映画がハイビジョンで見られるのがウリだろう。それに様々な機能が付き、コンピュータとしても、また自宅の監視カメラとしても使えるような製品だと思われる。

だが、私がCEOならその程度のテレビでは満足しない。ここはひとつ、匂いがするテレビを開発したいものだ。例えば料理番組を見ているとその料理の匂いがテレビから漂ってくるというスグレモノだ。匂いを電波で飛ばせばよい。なに? それは難しい? だったら、例によってパロアルト研究所から技術を盗んでくればよい。(パロアルト研究所とは、1970年にゼロックスが開設した研究開発企業。MacやWindowsのGUIもここで生まれた技術。)

う~む、テレビだけでは物足りないぞ。さらに深く家電の世界に飛び込もう。i洗濯機はどうだ。これはすごいぞ。なんと洗濯物がダウンロードできる。って、意味不明だな。失礼しました。気を取り直してiコンロはどうだ。タッチパネルになっていて指一本で触れると触れた場所が熱くなる。親指と一差し指で触れておいて指を広げると熱源が拡大し、二本指で触れたまま動かせば熱源を自由に移動できる。

また、家電ではないが、極薄のペーパー液晶で服を作れば面白い。服の色と柄は好きな時にダウンロードすれば自由自在に変えられる。歩きながら角を曲がったとたん、全く別の色と柄に変身というのも可能だ。ネクタイくらいならすぐにでも実用化できそうだが…

いや、所詮アップルは他人の会社だ。私がこれ以上口を挟むのは僭越というものであろう。何かやりたかったらきびだんご王国でやればよい。

とはいえ、きびだんご王国には家電を開発するほどの予算はない。できるとすれば、せいぜいソフトウェア開発くらいだろう。そうだ、iPadのアプリケーションを作ろうではないか。今から開発すれば夏までには完成するかもしれない。今年の夏も暑そうだし、クールビズのためのキラー・アプリというのはどうだろう。

名付けてiうちわだ。うちわといってもただのうちわではない。岡山が世界に誇る撫川うちわだ。この撫川うちわをiPad用のアプリにするのだ。使い方だが、アプリをダウンロードしてアイコンをクリックすると、iPadのスクリーンいっぱいに撫川うちわの画像が表示される。その画像が表示された状態でiPadをパタパタと振って風を起こすのである。まさに究極のエコアプリと言えよう。

なに? うちわアプリなら既にあるって!? みんな考えることは同じだな。でも撫川うちわはまだないはずだ。同じうちわアプリでも撫川うちわは風のクオリティが違うのだよ。

 

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珈琲で一休み

アメリカン珈琲

私は珈琲はどちらかというと薄く淹れたものが好みだ。しかし、喫茶店でアメリカンを注文することは滅多にない。なぜかというと美味しいアメリカンを提供してくれる喫茶店が滅多にないからだ。(本当はアメリカンとは薄い珈琲という意味ではないが、日本では薄めの珈琲として一般に通用している。)

何年か前だが、岡山の市街地から少し離れたところにある地元では有名な喫茶店でアメリカンを注文した。が、これがこの世のものとも思えないほどマズかったのである。どれくらいマズいかというと、泥水と間違うほどだった。私は出された珈琲をそのまま残して店を後にした。全くといって飲んでいなかったわけだから、店側としてはこれほどの屈辱はあるまい。が、本当にマズかったのだ。店員にはマズかった旨をおだやかな口調で紳士的に述べた。少し離れたところでオーナーらしい男性が不安そうに我々の会話に耳を立てていたが、知ったこっちゃない。申し訳ないが飲めないものは飲めないのだ。

それからしばらくして、今度は県庁通りに面したこれまた比較的地元では知られた喫茶店に入り、やはりアメリカンを注文した。こんどはほとんどお湯といってよいシロモノだった。暖かい色水といった感じだ。ただ薄いだけ。コクも香りもない。よくこれで金を取るものだと呆れ果ててしまった。

その後、程度の差こそあれ、アメリカンが本当に美味しい喫茶店は滅多にないことに気づいた私は、喫茶店では素直にブレンドかやや濃いめの珈琲を注文することにした。無難な選択だ。アメリカンが美味しい喫茶店は今のところ岡山市内では一軒しか見つかっていない。

なぜそんなことになるのか。恐らく、喫茶店のオーナーからするとアメリカンなどというものは邪道の部類に入るのではないだろうか。そのため力を入れないか、ひょっとすると古くなった珈琲豆をアメリカンに回しているのかもしれない。

私が美味しいと感じる珈琲は、薄いにも拘わらず、コクがあって芯がしっかりした存在感のある珈琲だ。美味しい珈琲を飲むために、私もいろいろと工夫しているのだが、10回淹れて1回くらいしか成功しない。やはり、薄い珈琲はなにかと難しいのかもしれない。

まず、豆だが、粗く挽かなくてはならない。私の場合かなり粗めに挽く。粗い方が抽出が薄くなるためだ。

次にお湯の温度だが、濃い珈琲に比べて薄い珈琲は若干高めに設定する。その方が美味しい。だいたい摂氏90度弱といったところだろう。濃い珈琲なら80度あるいはもっと低くても美味しいはずだ。あくまでも個人的な意見だが。

そして抽出だが、私の場合、いろいろ試してみた結果、コーノ式円錐フィルターが一番やりやすかったのでこれにしている。一杯分だけ抽出するより二杯分抽出する方が上手くいきやすいので二杯分抽出する。プロに話を聞くと、薄めの珈琲の場合、蒸らした後に下に落ちてくる最初の一滴が珈琲の芯を決めるそうだ。緊張の一瞬。その後、一本の線のように抽出液が落ち始めたら、後はもうひたすらお湯を注ぎまくる。薄く仕上げるためにはここで躊躇してはいられない。

ちなみに、一本の線のように落ちる抽出液がカップ(この場合は二杯分)の三分の一程度になったところでストップするのが、かなざわ式だそうだ。なんでもその後でお湯で希釈して飲むとのこと。確かに理にかなっている。私は面倒なのでそうしないが、途中から一気にお湯を注いでいくと、後のほうはフィルターから落ちてくるのはほとんどお湯だけといった状態になるので、実際には希釈しているのと同じだと思う。これで薄い珈琲が出来る。

ちなみに、イタリアでは、アメリカンはカフェ・アメリカーノと呼ばれ、作り方も異なる。私がイタリアで飲んだ経験からすると、普通の珈琲カップにエスプレッソが注がれ、それと一緒にお湯が出てくる。なんのことはないエスプレッソのお湯割りだ。

やり方はいろいろだが、ようするにお湯で希釈するという点では共通認識と言えよう。理屈は簡単なのだが、どうしてなかなか美味しくできないのか。恐らく、原因は蒸らし方と最初の一滴のクオリティにあると思う。別のプロの方に伺うと、全く蒸さないという選択肢もアリだとのこと。素人の場合、下手に蒸すとかえってマズくなることも多いらしい。プロでも蒸さないというポリシーを貫いている方もいるそうだ。う~む、奥が深い。

ともあれ、本当に美味しい珈琲は私にとって至福のひとときである。薄いがゆえに微妙なコクを感じとることができる。特に、あっさり味の珈琲豆と個性の強い珈琲豆をブレンドしたものを淹れると、最初はなんのことはない味だが、途中からもう一方の個性の強い味が浮き上がって来て一杯で二度楽しめる。薄く淹れた珈琲の醍醐味である。

そういう醍醐味を味わえる喫茶店が近所にあるといいなあ。

 

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