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記憶力が…

記憶力

どうも最近記憶力に不安がある。実は、現在600ページ程度の英語の参考書をやっていて、比較的短い長文が200ほど掲載されているのだが、これを全て暗記しようとしている最中だ。

学生時代ならどうということはない。数ヶ月もあれば覚えられたはずだ。ところがどうだろう、今日試しに幾つか文章を記憶をたよりに大学ノートに書いてみたが、なんとノート1ページあたり10カ所程度も間違いがあるではないか。意味はほぼ同じだが別の単語を選択していたり、スペルに誤りがあったり、副詞や副詞句がごっそり抜けていたりとミスのオンパレードで唖然としてしまった。

俳優が舞台や映画で覚えなくてはならないセリフと比べれば大した量ではないはずだが、どうにもお恥ずかしい限りである。世の中には高齢の役者で、ものすごく長いセリフを完璧に覚える方もいらっしゃるというのに、まだ40代の私がこのざまとは…

そういえば仲代達矢も言っていたな。「役者ほど素敵な職業はない。ただ、セリフさえなければ…」う~む、わかるぞその気持ち。そう言えば、確か彼はセリフを紙に書いて部屋中に貼付けて覚えると聞いた事がある。とある同時通訳者の方も部屋中に単語や熟語を貼りまくっていると言っていた。やはり、簡単に記憶できる魔法など存在しないのだ。

かつての自分を思い出しても、暗記は力技だったような気がする。若い頃、山川出版社の世界史小辞典を一冊まるごと記憶していたが、指の汗で辞典がボロボロになっていた。やはりそれくらいがんばらなければダメなのだ。そういえば、あの頃は一日14時間、365日毎日勉強していた。それに比べて社会人となってからというもの、日々の仕事に追われてロクに勉強時間も確保できない毎日だ。

もしかすると、記憶力が低下したのではなく、ただ単に努力する時間が不足しているだけなのかもしれない。自分の脳のせいにするのはまだ早いかもしれないな。

とはいえ、時間は限られている。有効活用する方法を模索せねばなるまい。

 

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言葉を学ぶというのも…

言葉を学ぶ

以前の日記にも書いたが、ネットにおける日本語は最近かなり乱れている。もっとも、ネットだけでなく新聞のような紙の媒体も同様だ。先日も地元の新聞に「豹変する」という言葉が間違った意味で使われていた。この日記を読んでいる人には常識だが、豹変するというのは褒め言葉である。ネガティブな意味はない。もちろん、大勢の日本人が間違った使い方を続ければ、やがて間違った使い方が正規の使い方となるだろう。言葉は常に変化しているからだ。

それはともかく、私が困るのは、例えば英語の勉強をしようとして、ネットから英文を得る場合だ。日本語が乱れていることから容易に想像できるが、英語も乱れているに違いない。ネイティブの人々が使っているからといって正しい英語である保証はどこにもないのだ。日本人はネイティブという言葉に弱く、彼らの言葉は常に正しいものとして受け入れようとするが、これは危険だ。日本で英語を教えている外国人だって、どの程度正しい英語を使っているかわかったものではない。中には、相当訛りのあるネイティブや、国語力の乏しいネイティブもいるはずだ。ネイティブだからといって安心してはいけない。

日本人だって、例えば、夫の海外赴任に付いて行って、現地で日本語教師のアルバイトをしている主婦もいるだろう。果たして彼女たちが訛りの無い正確な発音で日本語を教えているだろうか。あるいは正しい日本語の知識を持ち合わせているだろうか。例えば、「姑息な」というのは「一時しのぎの」という意味であり、決してセコイという意味ではない。だが、間違って使っている日本人は多い。外国で日本語を教えている日本人の中にも間違って教えている者がいるに違いないのだ。

同様に、日本に留学してきた外国人学生や、日本に派遣された外資系の会社員やその家族たちがアルバイトや副業で教えたりしている場合、彼らが専門のアナウンサーのように正しい発音と言葉遣いで教えているかどうか疑問だ。いや、アナウンサーでさえ、最近は怪しい人が少なくないのだが…

アレルギー問題になった某有名石鹸のように、ネイティブを集めてやたら宣伝している語学教室といえども、実は粗悪な講師ばかりかもしれない。さらに、ネットに氾濫している英文も迂闊には信用できない。また、ビジネス書などの英文もおやっと思う事がときどきある。もっとも、ビジネス書は日本語翻訳本もかなりヤバイことが多いが…

この点、名文として高い評価を得ている文豪たちの作品を勉強するというのは、確実だし、安全だ。だが、内容が高尚すぎて疲れるというのが正直な感想である。

う~む、言葉を勉強するというのは日本語、外国語を問わず、なかなか難しいものだ。

 

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梅雨入り

梅雨

今日から中国地方は梅雨に入った。晴れの国岡山もさすがに雨が降っている。

ちなみに、きびだんご王国のスポンサーである老舗のお菓子屋、つるの玉子本舗の平和町本店では、雨の日は「雨の日の飴」をサービスしている。もちろん、合成着色料を使っていない飴だ。さりげなく書いたが、合成着色料なしの飴は珍しい。雨の日は飴の日と心得て、是非桃太郎大通りの本店へお出かけ願いたい。

それはさておき、これから当分の間雨と付き合わないといけないとなると、少々憂鬱である。傘を持って出掛けることが多くなりそうだが、以前の日記にも書いた通り、今年は一度傘を盗まれている。カフェで一服している間に盗難に遭ったのだ。さて、どうしたものだろう。何か対策はないものだろうか。

ひとつ考えられるのは、カフェなどの店に入る際、傘も持って入ることだ。傘立てが店内にある店なら問題ないが、ドアの外にある店も多いため、やはり持って入るのが安全だろう。店から出た途端、傘が無くなっていて、しかも土砂降りというのが最悪のシナリオだ。

とはいえ、濡れた傘を店内に持ち込むとお店に迷惑がかかることも考えられる。そこで、商業施設などに見られるような傘用のビニールを持参しておき、これに傘を差し入れて持ち込むというのがいいだろう。少々面倒だが、極めて実用的だ。

それが嫌なら、自転車と同様にチェーンなどを使って傘をどこかに固定しておくしかあるまい。さすがにそこまでやると大げさだが、それにしても、そんなことまで考えなくてはならないとは日本も落ちぶれたものである。世界第二位の経済大国の地位から転落したのもうなずける。不景気は人の心まで卑しくするのだろうか。

ここはひとつ、岡山を盛り上げるために何か策を講じようではないか。せっかく晴れの国岡山に来たのに雨が降っていた、という観光客には雨の日の特典を差し上げるというのはどうだろう。上に書いた、つるの玉子本舗の「雨の日の飴」のような発想だ。それをもっと豪華にすればいい。雨の日はホテル半額とか、後楽園で素敵なプレゼントがもらえるとか、そういう嬉しい企画だ。一年を通じて雨の日が少ないという絶対的な自信の表れとして、ますます晴れの国をPRできるではないか。予算は税金だが、観光客が増えれば税収は増す。

梅雨を逆手に取って岡山を盛り上げる方法を考えてみるのもいいかもしれない。

 

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砂時計

砂時計

みなさんは砂時計を使っているだろうか。最近では、アンティークなインテリアとして用もないのに砂時計を部屋に飾っている人以外、あまり縁がないのではないだろうか。

だが、私にとっては生活必需品である。砂時計の用途は、早い話、ストップウォッチのそれに近い。ただし、使い方によっては砂時計の方がはるかに便利なのだ。

まず、最も普通に見られる3分の砂時計の使用法だが、これは主にお茶の蒸らし時間を計るのに使っている。もちろんカップ麺にも重宝することは言うまでもない。時計だと、知らず知らずのうちに時間が過ぎてしまい、しまった、と思うことが少なくない。ストップウォッチだと、時間がくればアラームで教えてくれたりもするのだが、あまりにも味気ない。その点、砂時計だと、砂が落ちる気配が感じられるし、なにより、ガラス越しに見える砂の分量で視覚的に時間の経過がよくわかるのだ。

また、1分の砂時計は、例えば、英書などを読む時に重宝する。私の場合、1分間に200文字を目安に読んでいくのだが、そのペースを確認するのに使う。もちろん、お茶の蒸らし時間計測にも便利だ。お茶は種類によって蒸らし時間が短いものや長いものがあり、また、味の好みでも蒸らし時間は変化する。だから、3分の砂時計と1分の砂時計は私にとって必需品である。

また、私はもっていないが、その他にも用途に応じていろいろの砂時計がラインナップされている。例えば、30分の砂時計とか60分の砂時計などもある。なるほど、私は読書など、30分単位で行うことが多いのだが、30分の砂時計が手元にあれば便利だと思う。ただ、さすがに30分、60分ともなればそれなりに高額だ。

ちなみに、砂時計の砂だが、私は全て砂鉄のものを使っている。ただでさえ誤差のある砂時計だ。少しでも誤差の少ない素材はと言えば、砂鉄だろう。最近では色のついた奇麗な砂が入った砂時計もあり、なかなかオシャレだが、私は粒子が整っている砂鉄派だ。

というわけで、私の部屋では砂時計はインテリアではなく、実用品として日々大活躍している。

 

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なりすまし

ワイン

ニュースで連日報道されているが、元オウム真理教信者の高橋容疑者が、住民票を悪用して実在の人物になりすましていたという。どうしてそんなことができたのか不思議だが、悪用された本人はさぞや驚いているだろう。近いうちに全容が解明されるだろうが、同様の手口で逃亡している様々な犯罪者がいるかもしれない。なんとしても追求してもらいたいものだ。

さて、なりすましはよくないということだが、白状すると私も過去に一度だけ他人になりすましたことがある。あれは15年以上も前のことだが、南フランスを旅行していた折、とあるレストランでソムリエの田崎真也になりすましたことがある。

そのレストランは客である私を随分と待たせた。すっかり機嫌を害した私は、その店の新米ソムリエに対して、「俺はソムリエのタザキだ。お前の仕事ぶりはなっていない。」と一喝してやったのだ。すると、可哀想にその新米ソムリエはすっかりビビってしまい、手が震えて、開けようとしたワインのコルクを途中で割ってしまった。顔を真っ赤にした彼は、汗を拭きながら、代わりのワインを取りに厨房の奥へ消えて行った。しばらくして戻って来た彼は、「ムッシュー、不手際をお詫びします。よかったら、こちらのワインをどうぞ。」といって、最初に注文していたワインよりもはるかに上等なワインを提供してくれたのだ。こうして、私はタダで高級ワインにありついたというわけである。

すっかり味をしめた私は、その後もしばしば…  って、そんなことはありません。一度っきりです。私は根が善人ですから。

それはともかく、他人になりすますというのはよくない。どうか皆さんはそんなことはしないでいただきたい。

はて ? ちょっと待てよ。そういえば、もう一度だけ他人になりすましたことがあったっけ。確かあれは20年以上前だが、ロンドンでロンドン・シンフォニーオーケストラのヴァイオリン奏者になりすまして、楽屋口からアーティスト専用のエレベータでホールに侵入し、ステージの裏手にある、オーケストラ団員専用のバーで、ドリンクをタダで飲んだことがある。

う~む、まあ、もう時効だ。今となっては微笑ましい思い出ではないか。とにかく、なりすましのコツは堂々と振る舞うことだ。経験者が言うのだから間違いない。

というわけで、なりすましは絶対にダメだよというお話でした。

 

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