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言葉を学ぶというのも…

言葉を学ぶ

以前の日記にも書いたが、ネットにおける日本語は最近かなり乱れている。もっとも、ネットだけでなく新聞のような紙の媒体も同様だ。先日も地元の新聞に「豹変する」という言葉が間違った意味で使われていた。この日記を読んでいる人には常識だが、豹変するというのは褒め言葉である。ネガティブな意味はない。もちろん、大勢の日本人が間違った使い方を続ければ、やがて間違った使い方が正規の使い方となるだろう。言葉は常に変化しているからだ。

それはともかく、私が困るのは、例えば英語の勉強をしようとして、ネットから英文を得る場合だ。日本語が乱れていることから容易に想像できるが、英語も乱れているに違いない。ネイティブの人々が使っているからといって正しい英語である保証はどこにもないのだ。日本人はネイティブという言葉に弱く、彼らの言葉は常に正しいものとして受け入れようとするが、これは危険だ。日本で英語を教えている外国人だって、どの程度正しい英語を使っているかわかったものではない。中には、相当訛りのあるネイティブや、国語力の乏しいネイティブもいるはずだ。ネイティブだからといって安心してはいけない。

日本人だって、例えば、夫の海外赴任に付いて行って、現地で日本語教師のアルバイトをしている主婦もいるだろう。果たして彼女たちが訛りの無い正確な発音で日本語を教えているだろうか。あるいは正しい日本語の知識を持ち合わせているだろうか。例えば、「姑息な」というのは「一時しのぎの」という意味であり、決してセコイという意味ではない。だが、間違って使っている日本人は多い。外国で日本語を教えている日本人の中にも間違って教えている者がいるに違いないのだ。

同様に、日本に留学してきた外国人学生や、日本に派遣された外資系の会社員やその家族たちがアルバイトや副業で教えたりしている場合、彼らが専門のアナウンサーのように正しい発音と言葉遣いで教えているかどうか疑問だ。いや、アナウンサーでさえ、最近は怪しい人が少なくないのだが…

アレルギー問題になった某有名石鹸のように、ネイティブを集めてやたら宣伝している語学教室といえども、実は粗悪な講師ばかりかもしれない。さらに、ネットに氾濫している英文も迂闊には信用できない。また、ビジネス書などの英文もおやっと思う事がときどきある。もっとも、ビジネス書は日本語翻訳本もかなりヤバイことが多いが…

この点、名文として高い評価を得ている文豪たちの作品を勉強するというのは、確実だし、安全だ。だが、内容が高尚すぎて疲れるというのが正直な感想である。

う~む、言葉を勉強するというのは日本語、外国語を問わず、なかなか難しいものだ。

 

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