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下手な翻訳にうんざり

翻訳書

今日、とあるパレスチナ人の書いた思想書というか哲学書というか文化評論書とでもいうベき書籍を読んでいた。彼の書籍を読むのはこれが三冊目だが、内容が深く、普段軽薄なビジネス書などを多読している私にとっては大切な著者である。

が、今回の書籍は内容が非常に難しく、はっきりいってよくわからない。表現が哲学的なせいかと思って読んでいたが、原因がわかった。翻訳が下手なのだ。まあ、いつものことだが、翻訳書を読んでいてよくわからない場合は、まず翻訳が原因だと考えて間違いない。

普通に通用する日本語を使えばよい箇所で、わざわざカタカタ表記の外来語にしてみたり、否定の否定のそのまた否定みたいな、結局どっちなんだといった言い回しが出て来たり、もう読みにくいことこの上ない。こちらは辞書を引く時間を節約しようとして翻訳書を買っているのに、何度も何度も読み返さないと意味がわからないような翻訳文では、かえって時間がかかってしまう。どうやら原語で読み直した方がいいようだ。

とにかく、一度読んで意味がわからなければ翻訳として失格である。少なくとも私が翻訳する場合は、誰でも一度でわかるように仕上がっているかどうか入念にチェックする。誰が読んでも正確に意味が伝わるようでなければ翻訳家としてギャラを得てはいけない。

とはいえ、巷には出来損ないの翻訳書がゴロゴロしているのが現実だ。私の場合、外国の小説などは著者ではなく、翻訳家の名前を見て購入したりしているほどである。それほど優秀な翻訳家は貴重な存在だ。

ところが、専門書の場合、大抵その道の専門家が翻訳していたりする。つまり、その分野のプロではあるが、翻訳に関してはプロではないという方々が翻訳しているわけだ。だから、専門書の翻訳書は質の低いことが多く、大抵の研究者は原著を読むことになる。

どうやら、解決策は原著を読む速度をアップするしかないということらしい。

 

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岡山晴れ子(その2)

岡山晴れ子

以前、5月1日から新発売の岡山銘菓「岡山晴れ子」についてお知らせしました。きびだんご王国のスポンサーでもある、創業明治20年の岡山の老舗菓子舗、つるの玉子本舗の新製品です。

岡山県産の清水白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、作州黒豆を使った三種の可愛らしいバターケーキですが、桃太郎大通りのつるの玉子本舗本店でしか入手できませんでした。

この度、岡山駅キオスクでも取り扱われることとなり、明日、5月11日より店頭に並ぶそうです。そういえば、先日も地元の新聞に記事が掲載されていましたね。岡山の新しい名物として定着するとよいのですが。

きびだんご王国でも近いうちに実物を入手して詳細をレポートしたいと考えています。とにかく期待しましょう。

以前の日記にも書きましたが、今岡山駅の売店ではめまぐるしく新製品が登場しています。いままで大きなスペースを占めていたきびだんご類が淘汰され、空いたスペースに地産地消のお土産コーナーが出来たためです。「岡山晴れ子」も地産地消の新作菓子としてデビューするわけですが、同様に新しいお菓子が次から次へと生み出されています。

まさに岡山駅はお土産の戦国時代といった様相を呈してきました。みなさんも是非岡山駅の売店に出掛けてみてください。きっと新しいお土産の数々に驚かれると思います。これだけお土産が増えてしまうと、もう何を選んだらいいのかわかりません。

そういう方は、迷わず「岡山晴れ子」をどうぞ。

 

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冷やしきびだんご(その2)

夏は涼しく

昨日の日記できびだんごを冷やすとなかなかいけるという話をした。冷やしたきびだんごをパフェに入れてみたりして結構楽しんだという話だ。

しかし、よく考えてみると、日本には昔から冷たいお菓子を食べる文化があったのではないか。例えば、餡だ。確かに炊きたての餡はほかほかであり、太鼓まんじゅうなどは熱くないと美味しくない。冷えた太鼓まんじゅうなど食べる気がしない。

酒蒸しまんじゅうなどでも、やはり蒸したてが一番美味しい。最近では冷凍した酒蒸しまんじゅうを出荷前に温め直したりするところもあるようだが、一度冷凍した酒蒸しまんじゅうはお酒の香りがしないので興ざめだ。やはり酒の香りを満喫するには出来立ての酒蒸しまんじゅうに限る。もちろん、冷凍さえしなければ、冷えても酒の香りは残るようだが…

さて、話が少し横道に逸れた。冷やした餡の美味しいお菓子について述べよう。ずばり、水まんじゅうである。あるいは水ようかんも挙げられるだろう。これらは冷たいほど美味しいといっても過言ではない、夏を代表する冷菓だ。どちらも美味しいが、私のおすすめは水まんじゅうである。賞味期限が短いのが玉にきずだが、私にとって水まんじゅうは夏の密かな楽しみだ。

で、肝心の冷やしきびだんごに話を移すが、要するに、水まんじゅうのように夏の定番として冷やしきびだんごを広めてはどうかと思っているわけだ。一年中、常温で食されるきびだんごだが、岡山の夏の風物詩としてスポットを当ててはどうだろう。カフェなどで冷やしきびだんごを提供する店が増えれば話題にもなる。観光客も喜ぶだろうし、岡山のPRになるではないか。

何も、私がやったようにパフェに入れたりしてアレンジしなくても、そのまま冷やすだけでも十分美味しい。冷茶などと一緒にいただくとさらに清涼感が増すだろう。抹茶にも合いそうだし、後楽園などで観光客に振る舞ってみるというのもいいかもしれない。

というわけで、きびだんご王国は冷やしきびだんごを強力にプッシュします。皆さんも是非お試しください。

 

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冷やしきびだんご

夏はアイスで

最近すっかり暖かくなった。バックパックを背負って街を歩くと背中に汗をかくほどだ。こういうときはどうしても冷たいものがほしくなる。

そこで、冷蔵庫を開けてみたが、あいにく何もなかった。どうしたものだろう。アイスクリームでも買いに行くか。いやいや、やっと仕事がはかどってきたところだし、外出時間がもったいない。そうだ、目の前にあるきびだんごをアイスでいただこう。

というわけで、さっそくきびだんごを冷蔵庫に入れてみた。待つこと一時間。冷たいお茶とともに冷えたきびだんごをいただいてみると、なんと美味いではないか。これなら夏はアイスでいけるかもしれない。

というわけで、アイスきびだんごのレシピを考えてみよう。まず、コーラに入れてみた。が、まずい。というかコーラにきびだんごを入れる積極的な理由が見当たらない。それどころかストローの邪魔にさえなる。これは却下だ。

次にフルーツパフェにトッピングしてみた。これはいける。特に冷えたバナナとよく合うではないか。もしかすると、この出会いはショッキングかもしれない。そもそも現在開発中の新型きびだんごも要冷蔵だし、きびだんごを冷やすということは何の問題もない。というか、アイスならではの魅力がきびだんごにはあるのだ。

そういえば、某社がラムネ味のきびだんごを販売していたっけ。ラムネ味ならまさにアイスに適しているのではないだろうか。

う~む、冷やしきびだんご、またはアイスきびだんごというのは新しいジャンルとして定着する可能性を秘めている。うどんやそばだって、熱いものと冷たいものがあるではないか。きびだんごだって、冷たいものをいただく文化があってもおかしくない。そうだ、冷やしきびだんごを広めるのだ。

というわけで、みなさんも是非、今年の夏は冷やしきびだんごをお試しください。

 

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不安だ

不安

最近どうも一人前でない日本人が多いような気がする。

まず気になるのは言葉遣いだ。これは新聞やテレビといったメディアの責任もあるが、とにかく間違いが多すぎる。

最も多いのが、次の二つだ。

1) 檄を飛ばす
2) 豹変する

1) は檄文と呼ばれる決起を促したり賛同を求めたりする文書を送りつけるということで、激励するという意味ではない。よく、高校野球に関する放送や新聞記事で監督が選手に檄を飛ばすなどという表現に出くわすが、大間違いだ。

2) は、豹の毛が生え変わって美しくなるということから、立派な人物は過ちを認めて考えを改めるという意味で、褒め言葉である。よく、選挙のときは減税路線だったのに当選したとたん増税路線に豹変したなどという表現を耳にするが、大間違いだ。

こうした大間違いの日本語に出会うと、その人物の教養を疑うわけだが、しかし、今回私が指摘したいのは、こうした間違い以前の、もはや日本語の体をなしていないメチャクチャな日本語で会話をしている若者が多いということだ。はっきりいって、このレベルになると、もはや通訳を介さないかぎり意思の疎通は不可能だ。

敬語が使えないのは当たり前。ら抜き言葉も当たり前。それどころか、会話そのものが成り立たない日本人が増殖しているのが今の日本だ。こんな状態で本当に小学生から英語など学ぶ必要があるのだろうか。なにせ社会人になっても日本語が話せない者が続出している今日である。私は不安を感じて仕方がない。

だが、問題は若者だけではない。最近は情けない老人も増えた。普通、老人ともなれば人生を長く歩いて来たわけだから、若者の手本となるのが当たり前だ。ところが、何も悟っていない、忍耐も思慮も何もかも欠けている老人が多い。私が彼らの親ならどなりつけてやるところだが、私の方がはるかに若いのでそうもいかない。

私は老人に接するとき、彼らから人生を学ばせていただこうと考える。ところが、こっちが教えてやらねばならないような事態に遭遇すると、がっかりを通り越して戦慄さえ覚えてしまう。日本が崩れていくような恐怖を感じるのだ。

こうした一人前でない日本人は何が原因で増えているのだろう。世の中が便利になりすぎたせいだろうか。自然を破壊しすぎたせいだろうか。食生活が偏ったからだろうか。教育のせいだろうか。政治のせいだろうか。それとも低俗なテレビ番組のせいだろうか。

う~む、わからない。だが、日本にとって、日本人の劣化ほど恐ろしいものはないと思う。そういえば、光宙(ぴかちゅう)などという名前を子供に付ける親もいるという。こんなヘンテコリンな名前をキラキラネームなどと呼ぶそうだが、そんな名前を付ける親がいる家庭で育った子供たちが社会人になる頃、この国はどうなっているのだろう。

不安だ。

 

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