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GWも終わり

会社員たち

今日でGWも終わりだが、全く休みのなかった私は特に何も感じない。むしろ、明日の朝、休みぼけした会社員たちと乗り合わせるバスが憂鬱だ。GW中、市内を走るバスはいつも空いていてゆったり座れた。明日からまた混雑すると思うと気が重い。これなら、ずっとGWのままでいてくれた方がこっちは仕事がはかどって助かるのだが…

だいたい、私ならバスなど乗らずに歩くであろう近距離の通勤にバスを利用する会社員の多さには辟易とする。岡山市内の場合、通勤バスのドル箱路線は、岡山駅停車場と中国銀行本店前停車場の間だ。この距離なら徒歩でも15分程度である。わざわざバスに乗る必要はない。歩けばいいのだ。その方が健康のために良いし、経済的でもある。途中でカフェに寄ってもよいし、歩いた方が楽しいと思うのだが、なぜか、毎朝会社員たちでバスはいっぱいである。

どうやら、日本人は運動がおっくうな人が多いのではないだろうか。そういえば、バスで通勤する会社員は男女を問わずメタボ気味な人が少なくない。あきらかに運動不足だ。バスなんか乗らないで歩けばいいのに。

などとまっとうなことを言ってみたが、要するに私は混雑していないバスにゆったりと座りたいだけなのだ。またしても自分勝手な日記を書いているわけだが、よく考えると、こうした運動不足のメタボ会社員たちが毎朝バス料金を大量に払ってくれるおかげで、私が利用する田舎行きの赤字路線の運営が成り立っているわけだ。そう考えると彼らに感謝しなくてはなるまい。

私の乗るバスは中国銀行本店前停車場を過ぎた途端、乗客がわずか数人というガラガラ状態で、その後一時間近く田舎道を走ってゆく。私はもちろん終点まで行くわけではなく、その後25分くらいの地点で降りるのだが、どう考えても中国銀行本店前停車場以降は完全な赤字路線だ。だから、横着なメタボ会社員たちがいなければ、この路線はとうに廃止されていたかもしれない。

というわけで、見方を変えると不愉快な事象も有り難くなったりする。恐らく、世の中にはそうした事柄が少なくないのではないだろうか。何か嫌なことがあっても、腹を立てる前に事態の裏を読んでみるくせを付けるのもいいかもしれない。

 

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無意識の活用法

無意識の活用

昨日の日記で無意識の有用性について述べたが、ここでひとつ面白い話を思い出した。それは、歴史に残る作曲家でありピアノ奏者であったリストの教授法だ。彼が弟子に与えた助言は、ピアノを練習するときに、音楽に集中しないで、何か本でも読みながら弾けということだったらしい。

最初、この話を聞いたとき、そんな練習法は馬鹿げていると思って相手にしなかったのだが、今考えてみると、これは無意識にピアノを弾く練習法ではないか。つまり、意識しなくても完璧に手が動くという状態を身につける訓練法なのである。

確かに無意識に手が動いて完璧に弾くことができれば、技術のことは考えないで表現に集中できる。だから、表現の前に技術的な課題を無意識のレベルでクリアしておこうという発想だ。

う~む、さすがはリストだ。個人的にはあまり好きな作曲家ではないが、しかし学べるところは学んでみるべきである。彼の方法、すなわち、寝ているときだけでなく、起きているときも無意識を活用するという方法は研究の価値がある。

問題は、ピアノを弾くといった肉体の運動に関する技能には有効でも、果たして知識の習得といった知的な学習にも応用が効くかどうかである。例えば、絵画を鑑賞しながら英単語を記憶するとか、チェスをしながら教科書を読むといった方法に効果があるのだろうか。

こうした、言ってみれば「ながら勉強」とでも言うような勉強法が果たして有効かどうか確かめる方法はたったひとつ。自分で実験してみることだ。

というわけで、これからしばらくこの集中しない勉強法を取り入れてみることにする。結果はそのうち日記で公表することにしよう。

 

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無意識は寝て待て

記憶の整理

脳科学の本を読んでいると、寝ている間に脳が記憶の整理を行っているという解説に出くわすことが多い。おそらく、既に事実として確認されているのだろう。

確かに、単語や年表の記憶などは寝る前に行ってぐっすり寝ると、朝になってある程度記憶されていたという経験が何度かある。

だが、記憶の整理は何も知識の記憶だけに留まらない。例えばピアノを弾くとか自転車に乗るといった運動に関する技能もやはり寝ている間に上達が確認されるのだ。自転車に乗れるようになったのは小学生の頃なのでもはや記憶が薄れているが、何度も何度も失敗しながら、ある日突然それまでの困難がウソのように楽々と乗れるようになったことを覚えている。

ピアノだって、何時間練習しても上手く弾けないと思っていたら、ある日突然弾けるようになっていたりする。要するに無意識のうちに記憶の整理がなされていたに違いない。思えば、我々が二本足で歩けるのも、運動能力を制御する様々なパラメーターが無意識のうちに脳内で整理されているからだろう。

ということは、知識も技能も寝ているうちに身に付くということではないか。しっかり学習してしっかり寝る。どうやらこれが成果を上げるコツのようだ。確かにあらゆる知識も技能も、いちいち考えながらやっていては実践では役に立たない。反射的に対応できて初めて使い物になるわけだ。ということはやはり無意識の力が鍵を握っていると言えよう。無意識おそるべし。

問題は、当たり前のことながら、無意識は意識的に制御できないということだ。だから無意識の活用法は、「信じて待つ」ということになるだろう。

しっかり学習した後は、無意識を信じてぐっすり眠る。ということは、寝る間を惜しんで学習するなどというのは本末転倒ということになるわけだ。

というわけで本日の教訓: 無意識は寝て待て

 

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風邪をひきました

以前の日記にも書きましたが、私の風邪はおならから来ます。数日前、夜中になぜかおならが立て続けに出ました。出そうと思えば何度でも出るという状態だったのです。面白がって連続おならに挑戦しましたが、途中で数えるのがめんどくさくなってやめました。とにかく連続しておならが出るときは風邪のサインです。

で、翌朝目が覚めると喉が痛くなっているではありませんか。鼻水も出ます。やはり風邪ですね。私の場合、風邪のひき始めには必ずおならが何度となく連続して出るというジンクスが完璧に機能しているみたいです。病気の諸症状が出る前におならで分かるわけですから、ある意味便利です。おならが出ないときは体調が良く、おならが出るときは病気等の兆候と判断すればよいわけですから。

ちなみにいったん風邪の症状が出るとおならはぴたっと止まります。要するに風邪などの病気にかかる直前にしかこの現象は現れないのです。

ところで、私と同じように風邪がおならから来るという人はどれくらいいるのでしょうか。まさか私くらいしかいないということはないと思うのです。もしそうなら、私は変人ということになってしまうではありませんか。

某製薬会社がやっている「あなたの風邪はどこから」というCMでも、喉から、鼻から、熱からという三種類の薬が用意されていながら、おならからという薬が用意されていません。この点から見ても、おそらくおならから風邪が来るという人は少数派なんでしょうね。でも、たとえ少数派でもそういう人がいる限り、おならから来る風邪用の薬も開発するべきではないでしょうか。

ここはひとつ、全国のおならから風邪が来るという人々で団結を図るべきだと思います。私も風邪はおならから来るという方は、是非きびだんご王国までメールでご連絡ください。署名を集めて製薬会社に陳情しましょう。

 

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報道番組

報道

つい先日、京都の祇園で悲惨な交通事故があり、報道番組が連日その話題でもちきりだと思っていたら、同じ京都の亀岡市で登校中の児童らが死傷する事故が起きた途端、祇園の話題はどこかへ消え去り、亀岡の事故一色となった。と思っていたら、今度は群馬県藤岡市の関越自動車道で激しいバスによる死傷事故が起きた途端、亀岡の話題は消え失せ、毎日関越自動車道の事故の話題ばかりである。

本来なら、問題の本質を深く追求するのが報道番組の役目だと思うのだが、どうやら新しい話題が登場する度にそれまでの話題とおさらばするのが実態のようだ。確かに限られた放送時間で全てを取り上げることは難しく、新しい話題にシフトしなくてはならない事情も理解できなくはない。しかし、決して忘れ去られてはならない事件や事故がこうもあっさり話題に上らなくなる報道番組には違和感を覚える。

限られた時間といいながら、なぜかどうでもいい芸能人の話題や大リーグの結果なども伝えているではないか。そんな時間があったら風化させてはならない事件や事故について検証報道を続けてほしい。よく、役所は事件や事故が起きてから後手後手に対策を立てると報道番組は批判するが、事件や事故が起きてから過去の事例に検証を加える自分たちの態度に対する反省は全く聞こえてこない。これはフェアではないだろう。

それに、さっきまで沈痛な表情で暗いニュースを読んでいたアナウンサーが、「次のニュースです」と言った途端、満面の笑みを浮かべて嬉しいニュースを読み上げるというのも、ありふれた光景とはいえ、やはり違和感を禁じ得ない。

そこで、私からの提案だが、この際、「明るいニュース(仮題)」という報道番組と「暗いニュース(仮題)」という報道番組を立ち上げる。それぞれ一時間程度でいいだろう。「明るいニュース」ではひたすら明るい話題だけを取り上げ、「暗いニュース」ではひたすら暗い話題だけを取り上げるのだ。もちろんキャスターも分ける。前者ではキャスターには爽やかな装いで登場してもらい、スタジオのセットも明るくする。逆に、後者では地味な服装でセットも厳かにするというわけだ。

これなら何の違和感も生じない。それに、暗い話題が嫌だという人はチャンネルを変えて見なければ済む。「明るいニュース」だけ見ていれば心も和むだろう。また、芸能やスポーツはそれ専用のワイドショーやスポーツ番組に譲って、あくまでも報道に徹するのだ。こうすれば、それぞれのニュースに対して十分な時間を割くことができ、重要な事件や事故についての継続的な検証報道も可能だ。新しい事件・事故が起こっても過去の事件・事故を消し去ることも少なくなるだろう。

問題は、暗いニュースを長年担当したキャスターには暗いというイメージが定着してしまい、その後バラエティー番組などへの進出が難しくなるということだ。嫌がるアナウンサーも少なくないと思うが、くじ引きでもして決めるしかない。

とにかく、私がプロデューサーなら、報道番組の常識を変えてみせる。

とはいえ、視聴率が取れるかどうかかなり怪しい。いつものことだが、今日も無責任な日記になってしまった。

 

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