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接続詞

読書

この前、本屋で文章力を高めるノウハウについて書かれた本を立ち読みした。タイトルも著者も思い出せないのだが、購入しなかったところをみると、あまり内容に共感できなかったのだろう。

とにかく、詳しい内容は思い出せないのだが、良い文章を書きたければ接続詞に頼るな、といった助言がなされていた。接続詞に頼ると文章が稚拙になるらしい。接続詞の使用は最小限に抑えるべしといったことが書かれていたと記憶している。

本当だろうか? 私は大いに疑問に思う。確かに内容が浅く、あまり練られていない文章で接続詞を多用すると、接続詞ばかり目立ってしまい、性急な印象を与えかねない。だが、それは文章の内容に問題があるわけで、決して接続詞の責任ではないと思う。

私の日記を読んでいる方ならわかると思うが、私は接続詞を多用する。というか、接続詞こそ私の文章の生命線といっても過言ではない。私は接続詞で物事を考えるタイプの書き手なのだ。ただし、根が横着な人間なので、接続詞を用いてアウトラインを作成したりはしない。私の場合、文章は全て頭から書き下ろす。下書きもしないし、構成をじっくり練ったりもしない。しかし、後から分析すると接続詞を元に骨組みが明確に示されている場合がほとんどだ。

つまり、無意識のうちに接続詞で物事を組み立てていることになる。だから、良い文章を書くには接続詞を多用しろ、というのが私の意見だ。私が本屋で目にした書籍の著者と全く逆の主張ということになる。

そもそも、接続詞なしで明確な文章など書けるのだろうか。洋書を読んでいるときも真っ先に注目するのが接続詞だ。これを抑えておけば著者の主張がすぐにわかるからだ。接続詞は目印であり、道しるべのようなものだ。便利であるだけでなく、これがないと道に迷いかねない極めて重要な存在である。場合によっては、接続詞だけ拾い読みすればそのページの内容が把握できるという、速読の裏技としても使えるツールだ。

こう考えみると、なぜその著者が接続詞の使用を控えるように主張しているのかよくわからない。今度その書籍を見つけたら、是非購入しよう。奇書としてコレクションしておくのも悪くない。

 

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