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きびだんご王国 桃太郎伝説

きびだんご王国の使命

ジェネシスの夜明け

私の知らないところでアキモト長官とCIA48が調査を進めていた桃太郎伝説ジェネシスだが、どうやらとんでもないことになっているようだ。

ジェネシスの世界とは、温羅伝説以前の物語であり、桃太郎もその家族も誰一人登場しない。それならば、もはや桃太郎伝説とは言えないではないかという気もするのだが、話はそう単純ではないようだ。規律違反でCIA48をクビになった二人の元諜報員を問いつめ、彼女たちの握っていた秘密を聞き出してみた。すると、そこには驚愕の事実が存在したのだ。

桃太郎伝説ジェネシスとは、きびだんご誕生の物語なのである。もともときびだんごとは隠語で、その実態は不思議なパワーをもつ奇跡の石である。この石は銀河の彼方より太陽系第三惑星にもたらされた。CIA48の調査によると、その時期は弥生時代の初期あたりであるという。あるいはもっと前かもしれない。また、地球にもたらされた経緯だが、隕石によるものか、あるいは地球外生命体によるものか今のところ不明である。

この石から作られた七つの玉を所有していた卑弥呼は、その恐るべきパワーで国を治めていたという。だが、その玉を狙って闇の勢力が動き出した… 死期が近いことを悟った卑弥呼は七人の巫女に玉を託した。こうして全国に散らばった七つの玉を再び集めようとして血なまぐさい戦いが繰り広げられたのだ。これがジェネシスの物語である。

そして、時が過ぎ、七つの玉のひとつが吉備の国で見つかった。こうして玉のもつ不思議な力を得て温羅は巨大な城を築き、大和朝廷をも脅かす存在となったのだ。ちなみに七つの玉には卑弥呼が付けた名前がある。それぞれ、火、水、土、風、猿(智)、犬(力)、雉(愛)という。もうおわかりだろう。桃太郎伝説とは、七つの玉を取り巻く英雄物語なのである。

いずれにしても、ジェネシスは荷が重い。当分の間、封印しておいた方が無難だ。我々は当面、エピソード I に専念した方がいいだろう。エピソード I の謎だけでもどこまで解明できるかわかったものではない。きびだんご王国は、誰でも知っている桃太郎の昔話を語り、お土産となっているお菓子のきびだんごを広めるために活動しているわけだが、それは仮の姿であり、実は、エピソード I を追求することが開国の使命であったのだ。ジェネシスはいわば副産物である。

とにかく、エピソード I については、しっかりした報告をしてゆきたいと思っている。できれば、CGを使いまくったハリウッド映画のようなコンテンツを提供したいのだが、残念ながら今のところ予算がない。よってイラスト付きの報告書になるか、あるいは漫画みたいなものになるかもしれない。いずれにせよ、視覚的にわかりやすいエピソード I を目指している。

乞うご期待。

 

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ジンクス

暴走する離別エネルギー

私にはひとつ強力なジンクスがある。それは、私が誰かの家に泊まると、その家の夫婦が必ず離婚するというジンクスだ。

いったい何組が離婚したのだろう。もはや両手の指では数えきれない。恐らく20組以上にはなると思う。最初は単なる偶然だと思っていたのだが、ここ25年の間に私を泊めてくれたご夫婦でまだ離婚していないという話は皆無だ。とにかく面白いように、いや失礼、不思議なくらいにバタバタと皆別れてしまうのだ。そういえば、たった一組だけ例外があるが、このご夫婦とは20年近く音信がないため、実のところどうなったかは不明である。

なぜだ。どうして私に関わった人々に別れが訪れてしまうのだ。理由はよくわからない。もはやそういう宿命だとでも言うしかない状況だ。このジンクスは私をよく知る人々の間では結構有名で、彼らは絶対に私を家に泊めてくれない。大切な家庭を守るためには、どうしても私を泊めるわけにはいかないのだ。

ちなみに、これらの人々の中にとある縁結びの神様を奉る神社の息子がいる。なんでも私が参拝してからご利益がめっきり失せたとかで、私はその神社に出入り禁止となってしまった。

しかし、これではまるで、私は疫病神か何かのようではないか。このままでは私の存在そのものに疑義が生じてしまうかもしれない。確かに私の身体からある種の離別エネルギーというか、負のフォースが発散されていることは間違いない。私としては、何のフォースも持たない凡人よりは、たとえ負のフォースでも持っている方が面白い人生が送れそうな気がしているのだが、不幸が訪れた人々にとっては全然面白くないらしい。困ったものだ。

待てよ。この力を活用して縁切寺で働くという手もあるな。努力次第では、全国の縁切寺の頂点に君臨することも夢ではない。しかし、そんなことをして負のフォースが暴走でもしたら大変なことになる。フォースの暗黒面ほど恐ろしいものはないのだ。

というわけで、今のところ有効な解決策は見当たらない。が、私の存在は愛にとっての試金石になりうることは間違いない。絆に自信のあるカップルはどうか私を泊めていただきたい。

挑戦をお待ちしています。
(画像は暴走する離別エネルギー) 

 

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星に願いを

星に願いを

私は子供の頃、星占いをする人たちはみんな天文学者だとばかり思っていた。冥王星がどうのこうのという話をしているわけだから、天文学に精通しているにちがいないと思ったのだ。

で、私も天文学を勉強した。

まず、挑戦したのが惑星の軌道計算だ。惑星の軌道も計算できないような奴が星占いなどできるはずがない、というのがその理由だった。とはいえ、当時中学生だった私にはそれは大きな問題だった。なにか参考書が必要だ。

そこで『天文計算入門 -球面三角から軌道計算まで-』(長谷川一郎著、恒星社、1978)という書籍(絶版)を買ってきた。これは、球面三角法を基礎として惑星の軌道計算を求めるというものだった。全七巻からなる天文ライブラリーの最後の巻で、彗星の軌道計算や日食予報など天文計算法の入門書である。

中学生には難解な本で、しかもまだ習ったことのない様々な公式を駆使した計算のオンパレードだったため、学習は困難を極めた。コンピュータもない時代だ。電卓を叩きながら、ノートを何冊もつぶして毎日計算に明け暮れたものである。

そして、数年に及ぶ軌道計算との格闘の末、私がたどり着いた結論は、

星占いと天文学とは関係がない

というものだった。断言しよう、星占いなどの本を書いている人たちで、軌道計算に精通している者はまずいない。彼らは天文学や宇宙工学など勉強しないで、テキトーに星占いの本を書いているのだ。そんないい加減な占いの本など買うだけ無駄である。そもそも、木星や土星の運行と私の人生に何の関係があるというのだ。まだ一度も行ったことがない惑星に私の命運を握られてたまるか、というのが正直な感想である。

惑星というと、なんとなくロマンを感じるが、これが島占いだったらどうだろう。「アナタの生年月日からすると、アナタの島はヤップ島だ。ヤップ島の来年の運勢は最悪なので、アナタは来年ロクなことがないだろう」などと言われて信じる人がいるのだろうか。恐らくいない。ヤップ島など行ったことも見たこともない島が、自分の命運を握っているなどと一体誰が信じるだろうか。しかも、その占い師自身、一度もヤップ島に行ったことがないとなると、もはや論外だ。だが、ヤップ島を火星に変えた途端、信じる人が出てくるから不思議だ。おかしい。明らかにおかしいではないか。

ところが、どんなにおかしくても、この国では星占いの本が売れるのである。みんな騙されてはいかん。星占いの本を書いている連中は、星の軌道も計算できない連中なのだ。10年後に天王星がどこにあるかわからないのに、10年後の運勢を天王星と関連付けて占うなど論理的にありえないではないか。

もし、海王星のアナタには来年いいことがある、などと言われたら、来年の海王星の位置についてその占い師に質問してもらいたい。海王星の衛星の数や大きさもついでに尋ねてみるといい。これらに答えられないようなら、その占い師はインチキである。やはり、占いの本など、売らないに限るな。

はっきり言おう、未来など占っても意味がないのだ。なぜなら、私の理論では未来など存在しないからだ。3年後の世界は3年という時間が経過しなければ訪れないのである。もし「現在」において既に未来がどこかに存在するのであれば、占い師よりも先に科学者がそれを求める計算式を発見するはずだ。

そういう意味では、天文学者はすでにある程度未来を予測していると言える。だが、彼らの予測は物理法則の上での計算にほかならない。占いに人々が期待しているのは物理法則上の予測ではないはずだ。やはり未来を求める計算式はまだ発見されていないと言えるだろう。

計算式が発見されない以上、未来は白紙のままである。私が占い師なら、白紙の本を出版しよう。それこそまさに正直な占い本ではないか。読者はそこに自分で未来を書いてゆけばいい。

と、ここまで書いて、はっと気づいた。もしかすると占いとは科学に対するアンチテーゼの側面を持っていないだろうか。古来では、天候も占いの対象だった。農業や漁業などに決定的な意味を持つ天候は昔の人々にとって死活問題だったのだ。現代では人工衛星などのデータを駆使した天気予報が取って代わった。かつては不吉な予兆と恐れられた日食や月食も天文学で解明された。地球に接近する流星も常時観測されている。こうして、占いの分野は次から次へと科学に浸食されてきたのだ。

最も人々の関心を集める占いの分野は恐らく恋愛関係だと思うが、これだって、やがて全人類にID番号が与えられ、指紋、声紋、網膜はおろかDNAまで中央コンピュータで一元管理される時代になると、気になるあの人との相性など一発で判明するに違いない。また、自分に向いている職業も、将来かかる疾患も全てDNAレベルで即座に判明してしまうだろう。

こう考えてみると、最後に残る占いの分野とは一体なんだろう。ひょっとしてそんな時代でもまだ占いを信じる人が残っているのだろうか。

ひとつ占ってみるか。

 

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製造者か販売者か

木の実ざくざくナッツケーキ

皆さんは売店でお土産のお菓子を買う時、どんなことに注意しているだろうか。パッケージのデザインだろうか。商品のネーミングだろうか。あるいは値段だろうか。

私はと言えば、真っ先に箱の裏側を見る。原材料表記などが記載されている箇所だ。注意するポイントはいくつかある。まず、合成着色料や保存料の有無だ。いわゆる赤色40号とか黄色4号といったタール系の着色料が含まれている場合は絶対に買わない。これらのタール系着色料は海外では禁止している国もあるくらいで、発ガン性が疑われているからだ。日本では禁止ではないため、いまだに多くのお菓子で見られる。特にアメ類には含まれている方が普通といっていいくらいだ。皆さんも一度チェックしてみるといい。また、保存料はソルビン酸などで、これも避けたい。

ちなみに、洋菓子屋さんのショートケーキやスポンジケーキに真っ赤な洋酒漬けのチェリーが使われていることがあるが、あれはほぼ100%合成着色料である。私は天然色素による洋酒漬けの赤いチェリーを探したことがあるが、全国の問屋に問い合わせたところ、とうとう見つからなかった。国内で流通しているものは全て合成着色料の赤色を使ったチェリーだったのだ。従って、店主が自分で天然色素で漬けている場合を除き、全て合成着色料であると思って差し支えないだろう。

赤だけではない、緑もその他の色も、一般に鮮やかなものは大体合成着色料と考えた方が無難だ。天然色素ではどうしても発色が地味になる。だから私は地味な発色のお菓子を買うことにしているのだ。ただし、天然色素でもびっくりするほど発色を良くする裏技がある。それは漂白だ。例えば、白いんげん豆の粉は真っ白ではなく、ややくすんでいるため、そのまま天然色素で染めると地味な色になる。ところが、この粉をあらかじめ漂白して真っ白にしておけば、鮮やかな発色が得られるのだ。しかし、お客の口に漂白剤が入ることになりはしないだろうか…  やはり、発色の鮮やかなお菓子は避けた方が無難だ。

次に、原材料の表記の順番を見る。原材料表記では、含有量の多い順に表記するという決まりがあるのだ。だから、例えば白桃○○というお菓子で、デカデカと白桃の文字を強調していても、肝心の白桃が原材料表記欄の最後の方に書かれていれば、ほとんど入っていないということを意味する。缶珈琲などでも、珈琲が後ろの方に記載されていたり、特にミルク珈琲で、ミルクが後ろの方に表記されているものは、私は買わない。少ししか入っていないのにデカデカと商品名で強調するというやり方は、あまり男らしくないと思うからだ。あるいはインチキと言ってもいい。

そして、最後にチェックするのが「製造者」ないし「販売者」という欄だ。商品には会社名が記載されているが、この会社が自分で作っているお菓子なら「製造者」という欄を設けて表示している。一方、下請けに作らせている場合、あるいは既製品を仕入れている場合は「販売者」という欄を設けているはずだ。

これは私の経験であり、常にそうだとは言えないのだが、一般に「販売者」という表示のあるお菓子はまず美味しくないと考えてよい。少し考えればわかることだが、本当にこだわりをもって美味しいお菓子を作れるなら、自分で売るだろう。下請けとして、あるいは既製品として自社の名前を伏せて他社に卸すという場合、高いモチベーションを持てるとは思えない。また、仕入れている方も、他人に作らせておいて、心を込めているなどとは言えないはずだ。もちろん、自社で製造しても美味しくない商品はあるだろうし、下請けが作ったお菓子でも美味しいものもあるだろう。だが、少なくとも自社で責任を持って製造しているお菓子を私は食べてみたいと思うのだ。

みなさんも、売店でお菓子を買うときは、是非箱の裏を見てもらいたい。「販売者」と記載されているお菓子が多いことに気づくだろう。その場合、箱の表に表記されている会社名は実はお菓子屋ではなく、商社であることが少なくないのだ。

私はお菓子屋のお菓子を買いたいと思う。
(画像は、合成着色料、保存料、安定剤、香料を含まず、ナッツは全て有機無農薬、スポンジは放し飼い地鶏の有精卵という、手作りナッツケーキ。ココで買える。) 

 

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アキモト長官の報告(補足)

桃太郎伝説の闇

昨日の日記で、アキモト長官からの報告について述べたが、彼は桃太郎の父親が吉備の国に潜入した理由として、伝説の七つのきびだんごの秘密を探るためであると言及していた。が、これは恐るべきことである。私の知る限り、伝説の七つのきびだんごのルーツは温羅伝説よりも何世紀も昔にさかのぼる話だ。つまり、エピソード I よりも前の物語、いわば桃太郎伝説ジェネシスの世界だ。まさかとは思うが、CIA48は既にジェネシスにまで調査対象を広げているのだろうか。アキモト長官、なかなか腹の読めない男だ。恐らく、報告書に記載の無い情報を幾つか隠しているに違いない。例えば、桃太郎に双子の妹がいたとか… そういえば、最近規律違反でCIA48をクビになった諜報員が二名いたっけ。彼女たちに聞けば何かわかるかもしれないな。

それはさておき、ジェネシスの物語で鍵を握る人物は卑弥呼だ。彼女もきびだんごにさえ出会わなければ平穏な生涯をまっとうすることができたであろうに…

とにかく、古来よりきびだんごの秘密に深く関わった者には不幸が訪れてきた。アキモト長官の身に何も起こらなければよいが。

さて、その後の調査で我々は桃太郎の両親が出会った場所をある程度特定することに成功した。それは吉備の中山で、当時この場所で行われていた祭りで出会ったらしい。恐らく厄払いを目的とした花祭りのようなものだったと思われる。古来より、花は散ると同時に風に乗って病や厄を四方八方に広めるという言い伝えがあり、これを沈めるための祭りが当時この辺りで行われていたらしい。

温羅伝説の時代、現在の岡山の市街地の大半はまだ海で、中山の頂上付近からは港が見下ろせたはずだ。風光明媚なこの場所で行われた祭りでは、隠密として活動していた桃太郎の父も、このときばかりは気を許して大いに楽しんだに違いない。そして、祭りの主役とも言うべき温羅の娘はさぞかし着飾って美しかったであろう。二人の出会いは運命のいたずらというほかない。

ちなみに、吉備の中山は、古今集や枕草子にも出てくる全国的にも名を知られた吉備随一の聖なる山だ。ところが、肝心の温羅の山城に関しては、日本書紀から抹殺されたのをはじめ、いかなる資料にも出てこない。当時としては別格の山城だったにもかからわずである。よほど知られては困る秘密があったに違いない。

我々は歴史の闇に葬られ、昔話にカモフラージュされた桃太郎伝説の真実をこれからも追求してゆきたい。

とにかく、調査を続行する。

 

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