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近頃、開けないファイルが多い

パソコン

最近、拡張子が四桁のファイルが添付されて届くことが多く、ウンザリしている。言うまでもなくウィンドウズ系の迷惑な仕様だ。

もともと私はウィンドウズが好きになれないのだが、仕事上縁を切ることができず、今でも仕事と割り切って使っている。プライベートではもちろんMacだ。で、仕方なく使っているウィンドウズに予算を掛けるつもりはなく、いまだにOSはXP、Officeは2000という状態である。実はOSも2000のままで良かったのだが、なぜかXPにバージョンアップしてしまった。

さて、問題は最近のOfficeだ。どうやらコイツが四桁の拡張子を垂れ流しているらしい。実に迷惑な話だ。Office2000ではファイルを開くことさえできないではないか。仕方がないので、旧バージョンとの互換性を重視した保存形式を選んで保存し直した上で再送してくださいと先方にお願いすることになる。あるいは、シンプルなテキスト形式でもいいのだが。

とにかく、自分が最新のソフトを使用しているからといって、周りの人々も最新のソフトにバージョンアップしていると思い込んでいる輩が多いのには閉口する。本人はスマートに仕事をしているつもりだろうが、実際には時間が無駄になっていることも少なくない。

そもそも、ワープロの機能などは2000年の段階で既に完成の域に達している。その後のバージョンアップは新しいOSへの対応や、ネット機能などの充実といった、いわばどーでもいい機能の付け足しだ。ワンクリックで複雑なグラフが作れたり、気の利いたイラストが挿入されたりと、なるほど無能な社員の陳腐な報告書を見事にカモフラージュする機能は充実したかもしれない。だが、肝心の内容は人間の頭脳次第であり、こちらは長い間バージョンアップされた気配がない。

ところで、マックロソフトと言えば、なにかと余計なお世話をしてくれるソフトが多い。メーラーなどでも、頼んでもいないのにデフォルトでリッチテキストが選択されていたりする。どうしてプレインテキストにしないのだろうか。まあ、現在ではネット回線も大容量化し、リッチテキストでメールを送信するのがむしろ当たり前の時代になったが、一昔前はプレインテキストで送るのが常識であり、リッチテキストで送信しようものなら、たちどころにひんしゅくを買ったものである。

実際、不用意にリッチテキストで送信し、相手からお叱りを受けたこともある。当時の回線ではデータ量が大きいと相手に迷惑を掛けることも少なくなかったのだ。だから、私は今でもメールは全てプレインテキストで送信している。リッチテキストで送られてきたメールに対する返信もすべてプレインテキストに変換して送信している。私にとってはこれがネチケットだ。

とにかく、最新のソフトを何の疑問もなくそのまま使うというのは問題が少なくないということは認識しておいた方がいいだろう。便利であるということと、実際に有効であるということは必ずしもイコールではない。

結局は使う人間の智慧に勝るものはないのだ。

 

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一休み

一休み

最近どうも物覚えが悪くて嫌になる。洋書を読んでいても既に何度も辞書で引いたはずの単語が思い出せずイライラすることが多い。決して記憶力が低下したとは思わないのだが、なぜか学習効果が鈍っている。

考えられることは幾つかある。まず疲労だ。年齢とともに疲労回復力が衰えてくる。身体が疲労すると脳も疲労し、結果として集中力が満足に発揮できなくなっているのではないだろうか。最近、仕事に忙殺されて睡眠時間も不規則になっているし、やはり生活そのものから見直さなくてはならない時期にきているのかもしれない。

そういえば、ある時代劇作家は毎朝5時に起床し、散歩をして朝食を取った後、午前中だけを執筆活動に当てると言っていた。午後からは休息だそうだ。それでいて次から次へとベストセラーを生み出し続けているのだから大したものだ。これなど、集中力と休息をうまく取っているお手本ではないだろうか。

私の場合、きびだんご王国の国王としての仕事の他に、プライベートな仕事やら何やらと二足、三足のわらじを履いているため、この作家のようにゆとりのある一日を過ごすことは夢のまた夢である。それでも、睡眠時間の確保や早起き、適度な運動など取り入れるべき事柄はいろいろありそうだ。

思えば読書法やら記憶法やら整理法やら様々な工夫をして仕事をこなしてきたが、そもそもライフスタイルがすっきりしていて十分な休息を取り、ここぞという時に集中力を発揮することができれば、問題の大半は解決するのではないだろうか。どうやら、私はいろいろと問題を複雑にしすぎる傾向があったようだ。年齢的なものもあるだろうが、これからはもっとシンプルに生きてみたい。

手始めに仕事の内容を精査し、やらなくてもよさそうな仕事は思い切ってやめてしまおう。外注できる仕事は外注すればいい。自分にしかできない大切な仕事に集中するのだ。極端なことを言えば、死期が近づいた時、最後にどうしてもやっておかなければならない仕事だけに集中すればいい。他のことは実は大したことではないに違いない。 

人生の最後に何を成し遂げたいのか。どこにいたいのか。誰と過ごしたいのか。そんなことを絶えず頭の隅に置いておくというのは大切なことではないだろうか。 

 

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ノウハウ本

書籍

本屋で立ち読みをしていてふと気づいたのだが、どうも最近安易なタイトルの書籍が多くないだろうか。例えば、「努力しなくても成功する○○のワザ」とか「誰でも億万長者になれる○○の法則」とか「あっさり夢が叶う○○の習慣」とか「あなたも今日から○○になれる秘密の言葉」とか「ラクして、自由自在に○○できる方法」といった類いの書籍だ。

なるほど、なんとかして売り上げを伸ばそうという努力は評価しよう。だが、タイトルにあるような表現に著者は責任が取れるのかといえば、取れるはずがあるまい。だいたいそんなうまい話があれば本など書かずに自分ひとり人生を満喫していれば済む話だ。いや、既に著者は成功を収めており、その成功を人々にお裾分けしたいから書いてみたと主張するかもしれない。だったら、無料でノウハウをお裾分けすればいい。既に十分成功しているのなら、さらに本を売って儲ける必要などないと思うがいかがだろう。

もしかすると、こんな安易なタイトルの本が売れるというのも、ここ30年近く続けられたゆとり教育のせいかもしれない。厳しい競争を避け、なるべく快適に人生を過ごすことを教えられた世代の人々には、このようなタイトルが心地よいのかもしれない。

しかーし!! 熱血青春ドラマを地で行く学生生活を送った世代としては、こういう安易なタイトルの書籍には違和感を禁じ得ないのだ。私なら、もっと深くて趣のあるタイトルの書籍を出版するだろう。

例えば、「努力してもダメかもしれない○○のワザ」とか「誰かひとりでも億万長者になればラッキーな○○の法則」とか「あっさり挫折する○○の習慣」とか「あなたも30年後には○○になれるかもしれない秘密の言葉」とか「苦労して、試行錯誤の上に○○できる方法」といった感じだ。あるいは、「努力は人を平気で裏切る」とか「もうダメだと思った時はあきらめろ」などというタイトルも捨てがたい。

う~む、我ながら美しいタイトルだ。思わず買ってしまいたくなる衝動を抑えきれない。実は本屋に行く度にこういうタイトルの書籍を探しているのだが、いまだにお目にかからないのだ。なぜだろう。大ヒット間違いなしなのだが。

それはさておき、安易なタイトルの書籍がこれだけ書店に溢れているということは、世の中にはそのような書籍を読んでも成功しない人が溢れているということを意味する。

結局、成功する人は一握りなのだ。そして一握りであるがゆえに、一般的な方法論などは存在しないのである。あるのは一握りの人にだけ有効な特殊なノウハウだ。だから彼らの成功体験などまねしても上手くいかないのだろう。

などと言ってみたが、もし私が成功したら、恐らく「君にもできる○○の教え」などというタイトルの書籍を出版して儲けるだろう。実は私も結構ワルなのだ。

 

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赤鉛筆は…

三菱uni

以前にも日記で書いたが、この惑星の住人はテレビの話題や有名人の発言やらに踊らされやすい。トマトがダイエットに良いとなると翌日からスーパーのトマトが品薄になる始末だ。ちなみに、先日のテレビでトマトを煮ると花粉症の原因物質と同じ物質が抽出されるとかで、花粉症の症状を激しくする効果があると言っていた。おそらく、翌日からトマトの売り上げが落ちたのではないだろうか。

こうした群集心理の例は他にもいっぱいある。明治ヨーグルトR-1もそうだ。身体に良いとテレビで紹介されるやいなや、スーパーはおろか、ネットでも品切れ状態が続いている。私など、うわさになってから一度も現物を拝んだことがない。おそらく付近のスーパーなどでは売り切れの上、再入荷の見込みもないのだろう。明治乳業は嬉しい悲鳴だと思うが、調子に乗って生産ラインを拡張した頃にブームが去ったりすると、設備投資が回収できなくなって大変なことになるかもしれない。そういえば、たまごっちがそうだった。

さて、私は昨日の日記で赤鉛筆として三菱uniのARTERASE COLOR シリーズの GERANIUM 312番を紹介したのだが、本日文具店に立ち寄ってみると、相変わらず在庫の山であった。なるほど、私には何の影響力もないということか…

ま、別にどうでもいいことだし、流行に左右される世の中に反発を覚えている私だから気にすることはないのだが、それでも正直少しさみしい気がするのはなぜだろう。もうそこまで春が来ているというのに寒いじゃないか。みんな、 GERANIUM 312番を買えよ。頼む、買ってくれ!!

などと叫んでも事態は好転しない。 やはり私自身がもっと影響力を持てるほどに大きくならなければならないのだ。かつて赤いザクがシャー専用と呼ばれたように、GERANIUM 312番が私の代名詞となるべく活動を続けてゆくしかない。

結局、今日の日記は何を語りたいのだろう。流行に流されるなと言いたかったのに、途中から流行を生み出せる人々に対するひがみになっているではないか。う〜む、毎日のことだが何の計画もなく日記を書いているとついこうなってしまうようだ。もっとも、きびだんご日記に責任という文字はないのだが…

今のところ、国王である私がひとりで毎日日記を書いているわけだが、もう少し暖かくなる頃には不特定多数の「国民」にも日記を書いてもらうつもりである。そうなると、いよいよ無法地帯に、いや、バラエティに富んだ日記になるだろう。

最後にもう一度、赤鉛筆はGERANIUM 312番だ。

 

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私の読書作法

書籍

私が大の読書好きであるということは以前にも述べた。当然のことながら読書作法についてもこだわりがある。例えば、線引きに用いる赤鉛筆は三菱uniのARTERASE COLOR シリーズ(消しゴムで消せる色鉛筆なのだ)のGERANIUM 312番だけ、赤ペンはサクラクレパスのPIGMA 0.1mmだけといった具合である。

しかし、もっと大切なのは読み方そのものであろう。これについては、古今東西の様々な読書指南書を読みあさった。各界の著名人の方々の読み方も参考にさせていただいた。例えば、井上ひさし氏のように赤鉛筆で線を引き、しおりが付いていなければ自分で紐を糊で貼付け、索引がなければこれまた自分で作って貼付けるといった工作をする人、養老孟司氏のようにBの鉛筆を使う人、齋藤孝氏のように三色ボールペンを使う人、松岡正剛氏のように紙面を編集する人などである。

もちろん、速読や遅読、精読、乱読、そして積ん読にいたるまであらゆる読書法を試してみた。大真面目に書籍をまるごと一冊要約してワープロに打ち込んだこともある。コピーをとって様々な線引きやマーカーの入れ方を徹底的に試行錯誤したこともある。

とまあ、こんな感じで、肝心の読書をする時間はどうなったんだというくらい、読書法の研究に多大な時間を費やしてきたのである。

で、結論はどうかというと、これは書籍の内容と目的によって柔軟に対応するということにどうやら落ち着いた。細かく分けるときりがないのだが、大きく分けると趣味の読書と仕事の読書ということになろう。

趣味の読書は正直どんな読み方でもいい。じっくり読んでも、あっさり流し読みしても、あるいは途中でやめてもいい。

問題は仕事の読書だ。知識やノウハウなどを限られた時間で確実に吸収しなくてはならない。正直、年齢を重ねるにしたがって時間との戦いを意識するようになった。若者の一年と中年の一年は意味合いがかなり違う。我々中年には無駄な時間はないのだ。

最も確実に力がつく読書法は一ページずつ要約することだが、これは時間がかかりすぎるので今はやっていない。その代わり、書籍をノート代わりに使い倒すという方法に切り替えた。そうなのだ。仕事で使う書籍はもはやノートである。線を引き、マーカーで印を入れ、覚え書きや記号を書き込み、さらに必要なら関連資料を貼付ける。洋書などはこの方法で使い倒しているうちにバラバラになってしまい、製本屋に製本し直してもらう羽目になることもある。一方、日本の書籍はまだバラバラになったことがない。多分日本の製本の方が質が良いのだろう。ちなみに紙も日本の方が良いことが多いようだ。

とにかく、徹底的に汚して頭に入れるというのが私の仕事における読書作法である。最終的には本を開くとそのページの内容が音声で聞こえてくるようになるのが理想的だ。この点、画像として視覚で記憶する流派の方々とは異なる。確かにページをレイアウトも含めて画像として記憶するというやり方も効果はあるとは思うが、私の場合は何度も黙読し、場合によっては声に出して読んでいるため、聴覚による記憶が主な記憶の手段なのである。だから、目を閉じた状態で頭の中でページをめくりながら内容を確認するといった技は苦手だ。私の場合、基本的に書籍は手元になくてはならない。その代わり、ページをめくればそのページの内容が聴覚による記憶で蘇る。

とここまで書いて気づいたのだが、私のやり方だと、電子書籍ではうまくいきそうにない。電子書籍は汚せないからだ。ただし、音声データで書籍の内容を読み上げてくれるソフトがあれば、案外耳から理解し、記憶することが可能になるかもしれない。が、これはもっと若い世代の人々に譲ろう。私は紙の書籍で勉強を続けたいと思う。

う〜む、紙の文化だけはなくなってほしくないものだ。 

 

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