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安全運転

安全運転

福岡市では職員の飲酒にまつわる不祥事が後を絶たないため、とうとう一ヶ月の禁酒命令が出たらしい。確かに、2006年に起こった三児死亡事故は記憶に新しい。その後も次から次へと事件、事故が続き、なんとかしなければという福岡市長の気持ちもわかる。とりわけ、交通事故は深刻な問題だ。

恐らく、近い将来、飲酒をするとエンジンがかからない車が実用化されるだろう。自動で車間距離を確保したり、ブレーキをかけたりといった機能も標準装備されるにちがいない。

一方、老人によくある、ブレーキとアクセルの踏み間違えを防ぐにはどうしたらいいだろう。駐車場で壁との距離を計測し、ある程度の距離に近づくとアクセルを踏んでも作動しなくするという機能が搭載されるのだろうか。

しかし、こうした機能てんこ盛りの車だと、整備も大変だし、故障も多いのではないだろうか。それならばいっそ、人工知能を搭載して全自動で車に運転をまかせてしまった方が早い。そういえば、そんなアメリカのテレビ番組があったっけ。そうそう、「ナイトライダー」だ。ナイト財団が開発したキットと呼ばれる人工知能を搭載したスーパーカー、その名もナイト2000が大活躍するアクションドラマで、主演のマイケル・ナイトに演技力は無視してルックスで選ばれたデビット・ハッセルホフが毎回能天気なわざとらしい演技でお茶の間を湧かしたアノ番組だ。

特に最終回でナイト2000がオープンカーに変身し、美女をはべらして遊びに興じるシーンは、えっこんな結末でいいの、と思わず声を失ったものである。

それはともかく、人工知能を搭載するといろいろと面白いことが起こる。まず、運転中に人工知能が話しかけてくるのだ。これはいい、話し相手がいれば居眠り防止にもつながる。さて、どんな会話が成り立つのだろうか。

例えば、酒を飲んでハンドルを握ると、人工知能が「おまえはもう死んでいる」とのたまう。スピードを出しすぎると「今捕まれば簡易裁判で罰金二桁だぜ」とか、交差点では、「もしかすると子どもが飛び出すかもな」などとささやく…

ちょっと待て、人工知能は自動操縦するんじゃなかったっけ。なら、そんな会話は無用ではないか。いやいや、そうではない。人工知能も学ばなくてはならないのだ。あらかじめプログラムされた動作を行うだけなら、人工知能の価値はない。人工知能は、ドライバーとの会話を通じて、そのドライバーにとって理想的なパートナーに進化してゆくのだ。

だから、ドライバーが無能だと、人工知能も無能になってゆく…

だめだ、結局、ドライバーが努力して安全運転をする以外はないようだ。

 

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野生の勘

野生

ネットでニュースに目を通していたら、中高生の七割が努力は報われると信じているというレポートが掲載されていた。

はっきり言おう。努力は平気で人を裏切る。

だが、嘘が女のアクセサリーであるように、裏切りもまた努力のアクセサリーなのだ。だからあまり気にしなくていい。というか、いちいち気にしていたら努力とおつきあいはできなくなる。

そうなのだ。報われるから努力するわけではないのだ。報われるかどうかわからなくても努力する。そう腹をくくらなければ、そもそも努力などしても仕方がない。

ところが、努力は必ず報われると勘違いしている輩が後を絶たない。そういう輩は努力が報われないと陰湿な報復をしたり、誰かに八つ当りしたり、反社会的な行為に及んだり、中には自殺したりする者まで出てくる。

だから、七割もの中高生が努力は報われると信じているというのは、ある意味危険な数値だ。私が教師なら、努力してもダメなときはダメだと教えるのだが、現行の教育指導要綱では、努力の美徳を説くことになっているのだろう。

確かに、受験を控えた学生にとっては努力すれば受かると説くことは意味がある。受験の場合、出題範囲も受験日もあらかじめ決まっているので、容易に対策が立てられるからだ。大学受験くらいなら、病気等のアクシデントを除いて、誰でも努力すればなんとかなるだろう。

それに対し、人生においては、問題の出題範囲も不明なら、出題日も不明だ。そもそも今歩いている道にゴールがあるかどうかすらわからない。もしかすると、その先は崖になっているかもしれないのだ。もしそうなら、努力しても崖に落ちるだけである。

ある意味、社会とは弱肉強食のサバンナのようなところかもしれない。だとすれば、本能とか勘とか、そういった生来の能力がサバイバルの鍵となろう。

努力も大切だが、生物に本来備わっているはずの野生の勘を失わないようにしたい。

 

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日食

皆既日食

今日は朝から金環日食の話題で列島がフィーバーしていたようだ。なにが楽しいのかさっぱりわからないが、確かに珍しい現象ではある。

驚いたのは、ほんの数分間の出来事のために、わざわざ飛行機に乗って海外からやって来た外国人が大勢いたことだ。ヨーロッパに端を発した経済危機がこの惑星に暗い影を落としているというのに、その影だけではまだ不十分らしく、今度は太陽を覆う影を求めてこの国を訪れて来たというのはどういうことだろう。

それはともかく、日食時には太陽について様々な観測が行えるらしく、天文学者や物理学者にとっては非常に大切な瞬間である。そういえば、アインシュタインの相対性理論が証明されたのも日食時の観測の結果だった。

だが、日食で分かることは天文学や物理学だけではない。この惑星の住民がマスコミに踊らされ、我も我もと同じ行動を取るという群集心理がまたしても確認されたのである。

中には、金環日食を指輪に見立てて結婚のプロポーズをした男性までいるというではないか。正気か? と思わず唸りたくなるような出来事だ。地球や月の運動と男女の間に何か関係があるとは私には思えない。テレビでは微笑ましいニュースとして伝えていたが、どういうことだろう。もしかすると、私にはロマンが足りないのだろうか。

そもそも、日食とは太陽と地球の間に月が割り込んで来る現象だ。こんなときにプロポーズなどすれば、将来誰かが二人の間に割り込んで来ることを暗示しているようではないか。私としては二人の将来に不安を禁じ得ない。まあ、どうでもいいことだが…

ちなみに、日本の神話に天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に隠れた話があるが、あれは十中八九、皆既日食のことに違いない。古代の皆既日食といえば、紀元前138年、紀元158年、紀元248年が確認されている。そして卑弥呼が死んだのが紀元248年だ。この不気味な一致は、天照大神の正体が卑弥呼だとする説の有力な根拠のひとつとなっている。

真偽のほどは分からないが、古来より日食とは人騒がせな現象だ。
(画像は皆既日食)

 

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自分の五感を信じよう

自分の五感を信じよう

最近、とある石けんが原因のアレルギー問題で集団訴訟がなされているらしい。私が驚いたのは、被害者の数だ。問題の石けんは非常に高価で、ちょっと買うのをためらうような値段なのだが、にもかかわらず、おびただしい数の人々が購入していたという事実に違和感を覚える。

おそらく、テレビCMの影響であろう。この国の住民は自分の五感で判断せず、テレビCMや芸能人の発言などを元に判断してしまうという短絡的な購買動向を示すようだ。

しかし、テレビCMを大量に流せるということは、その費用を価格に転嫁しているわけだから、実際の商品の値打ちは随分低い。そう考えるのが当たり前なのだが、なぜかテレビCMをやっていると、飛びついてしまう人が大勢いるらしい。

だが、真実は逆なのだ。本当に厳選された原材料を使った商品なら、テレビCMなど流す予算はない。もし、最高級の素材で作った商品にテレビCMを加えれば、今回の石けんなどよりもはるかに高額の石けんになってしまう。つまり、誰も買わないような値段になるわけだ。だから、良心的な商品なら、たいしてテレビCMなどしないということになる。つまり、テレビCMをしていない商品こそ、我々は買うべきなのだ。

ちなみに、私は大々的にコマーシャルしている商品はまず買わない。私のライフスタイルであり、哲学と言ってもいい。これは一般論だが、商品が粗悪であればあるほどコマーシャルに力を入れるのが業者というものだ。典型的なのが、新聞の折り込み広告に入っているパワーストーンとかミラクルパワーの指輪といった商品だ。こうした折り込み広告を見れば、広告のノウハウが凝縮されており、大変勉強になる。購入者の喜びの声とか、某大学教授(大抵外国人)の推薦の言葉とか、様々なデータ(出所不明だが)によるグラフなど、フルカラーで徹底的に作り込んでいる。なぜ、そこまで作り込むのかといえば、商品が三流だからだ。

というわけで、CMほど当てにならないものはない。あまり名前を出したくないのだが、某蜂蜜屋などは怪しさマックスだ。3文字の健康食品会社や青汁関連もうさん臭いことこの上ない。

ま、私は手を出さないが、みなさんは自己責任でどうぞ。

 

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次世代テレビ

回路

ニュースで聞いたが、日本の家電産業が苦戦しているらしい。特にテレビの販売で韓国勢に圧倒されているというではないか。恐らく円高の影響もあるだろう。後進国への売り込みで遅れをとっていることも大きな要因に違いない。

そこで、活路を見いだすべく、有機ELの開発で複数の企業が提携するそうだ。確かに有機ELのディスプレイは美しい。コスト面で難があるが、次世代の大型ディスプレイはやがて有機ELが主流となることは間違いない。この分野でも日本と韓国は当分の間しのぎを削り続けることになるだろう。

だが、所詮はディスプレイの鮮やかさにすぎないではないか。そもそも私のように視力の悪い者には違いがよくわからない。現在のテレビでも十分満足しているし、さらに画像が鮮明になったところで、人物の顔のしわや毛穴がはっきりしたりして、かえって気持ち悪くなることも予想される。これは、ハイヴィジョン化された現在のテレビで毎日感じていることでもある。

だから、より鮮明に、より大きくといった競争にはあまり興味が湧かない。それよりも、どうせやるなら、もっと画期的なテレビを開発してはどうだろう。より薄く、より大きく、より鮮やかに、とくれば、その次に来るものは何だろう。さあ、あなたなら何を思いつくだろうか。

私の意見はと言えば、ズバリ、匂いのするテレビだ。

例えば、料理番組を放送するとする。すると、テレビから料理の匂いがただよってくるという仕組みだ。ドラマで食事のシーンがあれば、やはり匂いがする。香水のコマーシャルなどでは必須の機能ではないだろうか。これはウケる。この機能を搭載したテレビなら、多少高額でも売れまくること間違いなしである。もはや価格競争などしなくてもいい。

この機能はテレビ以外にも様々な家電に応用できる。スマートフォンなどには真っ先に搭載されるだろう。電子辞書や電子書籍にも有効だ。犯罪捜査にも活用できるに違いない。

恐らく、この匂い機能(スメル・ファンクションと呼ぼう)の開発に成功すれば、日本の家電は再び世界をリードすることができるのだ。時価総額でアップルを追い抜くことも夢ではない。かつてウォークマンでソニーが世界を斡旋したように、スメル・ファンクションでもう一度世界の頂点に立とうではないか。

というわけで、有機ELなどどうでもいいから、匂いの出るテレビを開発して下さい。

 

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