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トキに想う

トキ

ときどきネットサーフィンをしていると、トキのニュースが目に留まる。絶滅したトキをなんとか復活させようというあの取り組みだ。

正直なところ、既に絶滅したわけだから、これを無理に復活させると生態系に影響があると思うのだが、どうなんだろう。このプロジェクトに取り組んでいる人々は随分熱心だが、そんなにトキが舞う姿を見たいのなら、そもそも絶滅する前になんとかするのが筋だ。

確かに、全滅寸前で保護を開始した経緯があるのだが、要するに間に合わなかったのだ。それもこれも元はと言えば全部人間のせいである。人間の都合でトキを絶滅させておいて、今度は人間の都合で復活させようとしている。なんだかおかしな話ではないか。

それでもトキの優雅な姿を見たいなどという純粋な気持ちで活動している人々には同情の余地がある。気に食わないのは、観光資源として金の匂いを嗅ぎ付けて活動している輩だ。

それはともかく、一度絶滅した生物を復活させるのは容易ではあるまい。このプロジェクトには相当な苦難が待ち受けているだろう。

さて、万一うまくいって、トキが復活したとしよう。素晴らしい。再びトキが自由に空を飛び回る姿があちこちで見られるようになる。実に美しい光景だ。だが、勢い余って増えすぎたらどうなるのだろう。生態系に多大な影響を与え、さらにフン害などに地元民が悩まされることになったとしたら…

こんなことは言いたくないのだが、恐らく駆除の対象になるはずだ。とすると、トキ復活プロジェクトを応援しすぎると、最後はトキの駆除に繋がるというブラックジョークのような事態も起こりうるわけだ。

結局、人間は自分勝手な生き物なのだろう。トキが可哀想である。

 

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美容院で一服

珈琲

私はヘアカットは美容院のお世話になっている。カットとカラー(白髪染め)を定期的にお願いしているわけだ。

で、こうした店でカラーを頼むと、染めている間に何か飲み物が出る。だいたい珈琲、紅茶、日本茶が選べる。ソーダやジュースが出てくる店もある。せっかくだから有り難くいただくのだが、問題はそのクオリティだ。

私はほぼいつも珈琲を選択するのだが、いまだに私を満足させる珈琲に出会ったためしがない。もちろん、美容院は喫茶店ではないため、そこまで飲み物に期待するのもどうかと思う。しかし、カットとカラーを頼めば、軽く一万円はかかる。なかなか結構な値段だ。ここまでくれば立派なサロンだし、ただ髪を切るというニーズを満たせばそれでよいとは思わない。やはり、リラクゼーションを顧客は求めるのではないだろうか。

とすれば、やはり飲み物のクオリティは重要だ。私としては、これからの美容院は珈琲豆くらい自家焙煎してもらいたいと思う。上品な珈琲の香りに包まれてヘアカットをしていただく… う~む、なかなかリッチなひとときではないか。

何? 自家焙煎などやっている暇はない? まあそうだろうな。私もそこまで要求できるとは思っていない。だが、せめて選び抜かれた珈琲豆くらい揃えてもよいのではないだろうか。コクも深みもない珈琲など出されてはとてもではないがリラックスなどできるはずがない。いつだったか、たしか東京だったような気がするのだが、とある美容院で出された珈琲は限りなくただの色水といったシロモノだった。カットの腕前はともかく、そういう店には二度と行くことはないだろう。

と、ここで私はいいことを思いついた。最高級の珈琲豆を持参すればよいのだ。美容院で、「お飲物は何になさいますか?」と尋ねられたら、おもむろに珈琲豆を取り出し、「これで淹れてくれ」と頼むのである。ついでにマイカップも持参すれば完璧だ。

どうだろう。なかなかいいアイデアだと思うのだが、店によっては嫌な顔をされるかもしれないな。いや、場合によってはひんしゅくを買うかもしれない。

う〜む、難しい問題だ。やはり好みは別としてクオリティが安定しているジュースやソーダ類にした方が無難かもしれないな。 

 

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学ばなくては

学ぶ

先日、病院で定期検診を受けた。今回は心電図の検査もしたのだが、医者の話によると心臓の筋肉が若干肥大しているとのこと。なんでも高血圧の影響だそうだ。

う~む、気になる。というわけで、いろいろと詳細を聞いてみたのだが、専門的な内容なので素人の私にはよくわからなかった。医者いわく、「あまり気にしなくて結構です。気にしたところで、治療法もありませんし…」

なるほど。そうか、気にしなくていいのか。って、ますます気になるじゃねぇか。そもそも、治療法がないということは、気にしなくていい理由になりうるのだろうか。

しかしまあ、三年半ほどまえに本格的な治療を受けるまで高血圧を野放しにしていたこともあり、身体に異常のひとつやふたつはあってもおかしくない。というか、ある意味立派な闘病生活者ではある。詳しいことは書かないが、当分病院とは縁が切れそうにない。

というわけで、来週もまた病院へ行かなくてはならない。正直、病院は嫌いだ。病院と聞いただけでテンションが下がる。我が岡山市の中心街では病院を誘致するとのことだが、あんなテンション下がりまくりの施設を商業地域に持ってこようという人々の気持ちが理解できない。病院の近くでは食事もショッピングもする気にならないではないか。どうせなら、もっと明るいアミューズメント施設やスポーツ施設でも誘致すればいいのに。

それはともかく、当分の間病院と縁が切れない以上、うまく折り合いをつける方法を見つけなくてはなるまい。病院で一番困るのは時間が無駄になることだ。これに関しては読書や語学教材のリスニングなどで対応しているが、周囲の雑音が多くて閉口していた。幸い、ノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォンを導入したおかげで、かなり勉強に集中できるようにはなった。だが、勉強机がないため、書き込みをしたり、下線を引いたりといった作業はかなりの制約を受ける。

とまあ、これでも工夫に工夫を重ねているのだが、まだまだ病院での時間を有効に活用するワザを極めるところまではほど遠いようだ。いつか極めたら、病人のための徹底学習マニュアル本でも書こうではないか。でも売れないだろうな。私が観察したところ、病院で勉強している患者はほとんどいない。みんな朝からテレビでワイドショーを見ている有様だ。そういえば、別の医者が言っていたが、病院で時間を過ごすことの副作用はワイドショーの見過ぎで頭がパーになることだそうだ。

納得である。だから病院で効率よく勉強するノウハウ本などが出版されていないのだ。要するに需要がないということだろう。だが、きびだんご王国のためにも私は学ばなくてはならないのだ。

私の挑戦はまだまだ続く。 

 

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一杯の森林浴

森林浴

いつも飲んでいるお茶が切れてしまった。さっそくネットで注文したのだが、届くまでまだ二、三日かかるようだ。それまでしばらく寂しい思いをしそうである。

私がいつも飲んでいるお茶とは、高知県いの市の山茶である。いわゆる釜炒り製法のお茶で、中国茶のような外見だが、これがなかなか風味が豊かで美味しいのだ。有機無農薬という点もうれしい。値段は高めだが、それだけの価値はある。

で、これを切らした後、間に合わせに自宅にあったティーパックのお茶を淹れてみた。ペットボトルにもなっている普及茶だ。するとどうだろう、あまりのまずさに飲めないではないか。これは大げさではなく、本当に飲めないのだ。まず、香りがおかしい。なんだかお茶漬け海苔のような匂いがする。おそらく何かの香料だろう。味にも深みはなく、飲んでいて気持ちが悪くなった。

なんということだ。高級茶を飲むようになる前は、あれほど飲んでいたペットボトルやティーパックのお茶がこれほどまずかったとは。いったん高級茶を飲み始めるともはや後戻りはできないようだ。とにかく香りといい味わいといい、全く別物である。

ちなみに、高知県いの市のお茶の他にもいろいろと好きなお茶はあって、例えば、静岡県のお茶も好きである。特に浜松市の天竜川上流のお茶や静岡市の安倍川上流のお茶が美味しい。本当は、全国のお茶をいろいろと飲み比べてみたいのだが、いかんせん予算がないため、気に入ったお茶をローテーションで飲んでいる。そのうち未知のお茶にも手を伸ばしてみたいものである。

とにかく、お茶の世界は広くて深い。別に極めようと思っているわけではないが、やはり日本人に生まれたからには、日本茶を満喫しようではないか。ちょっと値段が高くても本当に価値のあるお茶を飲めば、十分心が満たされる。

私の感覚では、日本茶というのは森林浴のようなものなのだ。目を閉じて飲んでみると、一瞬、林や森の中にいるような気分が味わえる。出来のいいお茶なら、本当にこの感覚が沸き起こる。そもそもお茶とは植物であり、自然そのものではないか。茶葉とは、人の手によって、味や香りが凝縮されて眠っている状態であり、それが水の中でゆっくりと自然に帰るのだ。だから、お茶を飲むとは自然をいただくことであり、まさに森林浴である。

実は、一度ものすごいお茶を飲んだことがある。それは冷茶で、飲んだ瞬間に緑色のイメージが頭の中に広がるとともに、目の覚めるような鋭い刺激が口の中に切れ込んできた。まさに切れ込んでくるという表現がぴったりのお茶だった。残念ながらそのお茶の銘柄が思い出せないのだが、いろいろと飲んでいればいつかまた出会うこともあるだろう。

それもまた楽しみのひとつとしよう。

 

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ほぼ日手帳活用法

ほぼ日手帳

今年から私は、ほぼ日刊イトイ新聞プロデュースのほぼ日手帳を使っている。サイズはカズンと呼ばれるA5サイズのものだ。最初はちょっと大きいかなと思ったのだが、使っていると余白になんでも書き込めるので重宝している。

手帳と言えば、予定を書き込んだり、映画やコンサートのチケットを貼付けたりといった「出来事」を記録するツールとして活用されるのが普通だ。私も基本的にはそうした使い方をしている。

しかし、私の場合は勉強用のノートとしての機能の一部をこの手帳に移しているのだ。具体的には、洋書を読んでいてなかなか覚えられない単語などを書き込んで単語帳にしたり、記憶に値する文章に出会うと、忘れないうちに書き込むようにしている。また、ふと思いついたアイデアなどを日にちの枠など無視して書き込んでいる。

実を言うと予定表などはGoogleカレンダーに記入しているので、紙の手帳はなくても困らないのだ。もちろん、重要な予定は手帳にも複写しているが、私にとって手帳の役目とは脳の働きの補助である。

ただし、手帳はあくまでも手帳であり、これを辞書や書籍がわりにしようとは思っていない。記載した単語やフレーズなどは出来る限りその週のうちに記憶してしまい、よほど必要にせまられない限り後からめくり直して調べるということはしない。週をまたいで記憶できない事柄は次の週のページに再び記載する。それだけだ。

こうして手帳を活用するようになってからというもの、勉強がはかどるようになった。今現在必要な情報は手帳を見ればわかるので、単語は単語帳、企画は企画書などといちいち探さなくて済む。いわばなんでも帳といった感覚だ。最初は細かく手帳に情報を転記していたが、面倒だし、記憶の入り口だけ記載しておけば困らないことに気づいてからは、なるべく簡潔に記載するようにしている。

とはいえ、若い頃は、ノートなどなくても簡単になんでも記憶できたのだ。長大な演説の原稿でも私はいつも完全に記憶してこなしてきた。ところが、最近ではあれこれと工夫をしなくてはならない有様である。やはり年齢的なものもあるのだろうか。

年齢と言えば、なんと私は自分の年齢を一歳間違えていた。今日気づいたのだが、実は思っていた歳よりも一歳若かったのである。いつから間違えていたのかはっきりしないのだが、とにかく一年得した気分で、今日は実にハッピーなのだ。

まてよ、自分の歳も勘違いしているとは、これはやばくないだろうか。手帳活用術云々という以前に、何かもっと大切な前提がぐらついているような気がする。

気のせいだといいのだが…

 

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