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暖かくなってきました

山道

ここ最近日差しが強くなった。まだ風が寒い日もあるが、これからは夏に向けてひたすら気温が上がってゆくだろう。もうすぐ私の一番好きな季節になる。

そうなのだ。私は初夏が一年で一番好きな季節なのである。山道を歩いていると草の匂いがただよってくる、あの季節だ。子供の頃はよく山へ出掛けたっけ。とにかく私は虫捕りが好きで、岡山市内の山はほとんで制覇している。通常の山道だけでなく、獣道まで熟知しているほどだ。

そういえば、何度となく危ない目にも遭った。幸い、ケガをしたことはあっても、蛇に咬まれたり、スズメバチに刺されたりしたことはない。まあ、紙一重ではあったが。

で、毎年暖かくなると、山へ入る衝動にかられる。最近では虫捕りはしないが、しかしカメラを片手に昆虫写真などを撮ってみたいとは思う。私にとってあの小さな生き物たちは古い仲間のようなものなのだ。

ところが、最近の山では困ったことが起きている。野犬だ。どうやら、捨てられたペットのようなのだが、これがあちこちの山にいるようだ。去年も市内の操山という小さな山に入ったのだが、遠くから野犬の鳴き声がして不気味だった。子供の頃は蛇とスズメバチくらいしか警戒する生き物はいなかったのだが、最近では野犬にも注意しなくてはならない。

とにかく、いろんな山に捨てられた犬が住みついている。飼い主のモラルが問われる事態だが、心配なのは山で遊ぶ子供たちだ。私が子供の頃は山で楽しく遊んでいた。だが、野犬がいるとなると話は別である。

最近では部屋でゲームに興じる子供が多くなり、山で虫捕りをしたりする子が減ったようだが、私としては是非とも自然に触れる機会を増やしてもらいたいと思う。だが、肝心の野山が危険となると頭を抱えてしまう。

どうにかならないものだろうか。

 

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桜は静かに堪能したい

後楽園の桜

毎年この季節になると後楽園の周りでさくらカーニバルなる催しが行われる。みんなで桜を楽しもうという企画だ。

確かに気持ちはわかる。主旨には賛同する。しかし、少々騒がしくないだろうか。特にスピーカーから軽音楽を垂れ流す必要など全くないと私は思うのだが。

個人的にはせっかくの桜をゆっくりと静かに堪能したい。だが、大勢の観光客とスピーカーの音楽、そしておびただしい数の屋台には正直なところ閉口である。だいたい、ここは岡山だ。どうして蒜山やきそばや津山ホルモンうどんなどの屋台が並んでいるのだろう。どうせなら岡山名物で固めればいいではないか。

しかも、そうした食べ物を買ったお客たちは、みんな桜に背を向けて食べているではないか。目の前に見えるのは屋台だけだ。これはおかしい。桜を見ないで屋台を見ながら県北の名物を食べている。これでは岡山へ来た意味も、桜が咲いている意味もないではないか。

要するに何かの縁日にたまたま桜が咲いているといった感じである。もったいない。実にもったいない話だ。一年に一度しかない桜のシーズンではないか。みんな、もっと桜を堪能しようよ。やきそばやうどんなら一年中食べられるじゃないか。それより、じっくりと桜を観察し、その見事な美しさに酔いしれようではないか。

とにかく、後楽園の周りを散歩していて私は何か残念な気持ちでいっぱいになったのだった。

これなら、観光客が知らない静かな名所を探して出掛けた方が良さそうだ。実はそういう箇所は県内にたくさんある。備前にもあるし、高梁にもある。観光客だらけの新庄村だって、実は車でほんの10分ほど離れた場所にびっくりするほど見事な桜がある。

カーニバルかなんだか知らないが、私はゆっくりと静かに桜を堪能したい。
(写真は、さくらカーニバルの喧騒から少し離れた静かな場所で撮影。撮影日: 2012/04/12)

 

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悲惨な事故は胸が痛む

花束

今日は京都で痛ましい交通事故があった。死傷者が多数出ており、正直言葉がない。加害者も死亡しており、全容の解明は大きな困難を伴うだろう。

とはいえ、たとえ全容が解明されたとしても、死んだ人が帰ってくるわけでもなく、大けがをした人の身体が元通りになるわけでもない。事故から得られる教訓はいかにして同様の事故を防ぐかという対策だけである。

しかし、青信号で横断歩道を渡っていても事故に遭うとなれば、一体どのような対策があるというのだろう。ドライバーの中には意識障害や呼吸障害の持病のある人や酒を飲んでいる人、居眠りをしている人、携帯電話に気を取られている人、そして単純に殺意を抱いている人までいる。

こうなると、一歩家を出たら、常に四方八方に注意し、警戒を怠らないようにしなくてはならなくなる。まるで、幕末に京の都で活躍していた勤王の志士のようではないか。彼らは常に命を狙われていたので、絶えず神経を尖らせていた。

が、このような緊張を持続させることはまず無理であろう。どんな人間でも油断はするし、第一、朝から晩まで神経を尖らせていてはストレスでおかしくなってしまうではないか。

となると、やはり車側で対策を立てるしかあるまい。今回噂されているように、もしもドライバーに意識障害があるならば自動的に運転免許証を無効にする仕組みが必要だ。免許更新の際に障害について申告する義務があるが、ここでウソをつけばそれまでである。これはシステムの大きな欠陥と言えよう。

例えば、病院で診断を受けた際に医師から報告を受けて免許を無効にする仕組みを設ければよい。恐らく、個人情報の保護を理由に反対する政治家が出てくると思うが、人命には代えられない。何でもかんでも報告するのではなく、運転に障害が出る症状だけに限定すれば済む話だ。また、障害者の人権を盾に反対する人々も出てくるとは思うが、何とか理解していただくしかないと思う。あまりにも危険だからだ。

それから、車の方も、たとえアクセルを踏みっぱなしでも、障害物が近づくと自動的にブレーキがかかる仕組みを全ての車両に搭載すべきだろう。さらに、交差点などで青信号にもかかわらず車が近づいてきた時は何らかのアラートが発信される仕組みも有効にちがいない。

そういえば、ヨーロッパでは繁華街への車の進入を禁止している都市がある。例えばフランスのストラスブールだ。ここでは、市の中心街へは一部の業務車両を除き、車で入ることができない。交通手段は徒歩か自転車、または路面電車だ。なるほど人通りの多い場所にそもそも車が入ってこないのだから事故も起こりようがない。お金もかからないクールなアイデアだ。日本でも採用してはどうだろうか。特に観光地などでは有効だと思う。もっとも、タクシーなどは許可するしかないと思うが…

とにかく、痛ましい事故が多すぎる。予算の問題もあるが、できることから手をつけてゆきたい。特に最後のアイデアは是非とも検討すべきではないだろうか。 

 

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全国ニュースに想う

東京

夕方、テレビのニュースを見ていていつも思うのだが、どうして全国のニュースといいながらアメリカの大リーグ情報などを流すのだろうか。

地方でテレビニュースを見ていると、途中から画面がローカル放送局のスタジオに切り替わり、「ここからはエリアのニュースをお伝えします」と地方局のアナウンサーの挨拶が入る。この瞬間、画面から華やかさが消え失せ、突然自分が辺境の地にいることを思い知らされるのだ。

それはともかく、問題はエリアのニュースの直前に流れていた「全国のニュース」だ。全国というのは地方も含めた日本国内のニュースでなくてはならないはずだが、実際には地方のニュースなど大して流しもせず、アメリカの大リーグ情報やらイタリアのサッカーの試合結果などを流している。

おい、アメリカやイタリアは全国に入るのか? おかしいじゃないか。それは全国のニュースではなく、海外のニュースではないか。そんな外国のニュースを流す時間があれば、地方も含めて国内のニュースをもっと流してほしいとつくづく思う。

だが、全国のニュースで取り上げられる地方のニュースと言えば、重大な犯罪や事故、天災がメインで、例えば地方の芸術家やスポーツ選手にスポットが当たることはまずない。もちろん有名になれば全国ニュースに登場することになるが、有名ということはすでに誰でも知っているわけだから、もはやニュースでもなんでもないではないか。誰も知らない情報を伝えるからこそニュースだと思う。それがニュース本来の使命だったはずだ。

とにかく、広く認知され、ニュースでなくなった頃に全国ニュースに取り上げられるというわけのわからない現象がテレビの実態である。

さらに、もう一つ文句を言えば、なぜスポーツコーナーがあるのに、音楽コーナーがないのだ。スポーツなら、夜のスポーツ番組があるじゃないか。わざわざニュース番組の中にスポーツコーナーを設ける必要はない。そんな時間があったら、音楽コーナーあるいは芸術コーナーを設けてほしい。それこそ全国で行われているコンサートの状況や博覧会、個展といったものを取り上げればいいではないか。恐らく、ニュース番組にはスポーツコーナーを組み込むのが常識であると思い込んでいるプロデューサーだらけなのだろう。

はっきり言おう。常識は常に疑ってかかるべし。

常識にとらわれている限り、新しい発想など出てこない。私がプロデューサーなら、全国ニュースは国内に絞る。そしてスポーツコーナーは消し去る。さらばスポーツキャスターよ。何? それではプロ野球選手と結婚したがっている女子アナからブーイングが出るだと? 結構だ。そんな女子アナは私の番組には必要ない!!

などと今回も好き勝手を言いまくったが、やはり全国ニュースでは、全国(いうまでもなく日本国)の未知の情報を伝える努力をしてほしい。アメリカでイチローがダルビッシュに激励の言葉を掛けた、などというのはニュースでも何でもない。普通、激励くらいするだろ。同じ日本人なんだから。そんなどーでもいいことに電波を使うなら、国内で努力している無名のアスリートを取り上げて応援してほしい。それが全国ニュースの意義ではないだろうか。

あと、スポーツ偏重主義もやめてほしい。スポーツだけが人生ではない。だいたいスポーツは身体に悪いという研究結果もあるではないか。特にマラソンやボクシング、相撲などは見るからに身体に悪そうだ。そんなものばかりに注目しないで、もっと芸術に力を入れてほしい。芸能ではなく芸術だ。芸術キャスターや芸術リポーターなどという職業を新たに作ってはどうだろう。何事も革新が大切ではないか。

とにかく、思い込みを捨てて、全く新しいニュース番組を作ってほしいものだ。

 

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運転免許証更新

ポルシェ

運転免許証の更新に警察署に行ってきた。スイスやフランスなどヨーロッパの国々では、永久免許といって、一度取得すると一生更新のない運転免許を採用しているところが少なくない。だが、我が国では五年に一度、または三年に一度の更新が義務づけられている。私に言わせれば、更新手数料を稼ぐための単なる税金政策だと思うのだが、なんとかならないのだろうか。

とにかく、更新しなければ免許がなくなってしまうので仕方なく手続きを行った。まず指定のサイズの写真を提出したのだが、なんと、ここでトラブル発生。首から下があと7センチほど映っていないとダメだというではないか。せっかく400円払って照明写真撮影機で撮影してきたというのに、なんということだ。だいたい首から下は服である。こんなものがあと7センチ程度映ったからといって何になるというのだろう。裸なら、痣があるとか、傷があるといった身体的特徴を示す場合もあるだろうが、服を着ているわけだから、本人確認にとって何の意味もなさないではないか。

とはいえ、相手は警察だ。ゴネたところで何も得るものはない。私は担当のおばさんに百万ドルの笑顔をプレゼントし、再び写真を撮影するために警察署を後にしたのだった。

さて、今度は規定どおりの写真を撮影し、書類の記入も済ませ、滞りなく手続きを終えた。更新手数料の支払いの際に、交通安全協力金の1500円をお払いになりますかと尋ねられたが、もちろん断った。誰が払うか、そんなもん。大体写真代の400円を損したばかりではないか。私はそんなお人好しではない。

そもそも、交通安全協力金だが、払う必要などどこにもないのだ。払わなかったからといって何か不利なことが発生するわけでもなんでもない。あくまでも任意なのである。ところが、ここが役所のいやらしいところで、免許更新の際にさりげなく提示すると多くの人は強力しないと免許の更新に悪影響が出るのではないか、などと不安になってしまうのだ。このあたり、人間の心理をうまくついた実に卑劣なやり方だ。

金額の設定もいやらしい。もしこれが一万円だったら、たとえ不安になっても断る人が大半だろう。だが、1500円という一見たいしたことのない金額だと、まあしょうがないな、と自分を説得してしまう。まさに見事としかいいようのない金額設定だ。相当のワル、いや、心理学のプロが加担していることはまちがいないだろう。

はっきり言っておく。交通安全協力金は払う必要はない!!

実は、すでに我々は駐車違反や右折禁止違反、一時停止義務違反といった軽微な違反で罰金という名の「協力金」を十分払っているのである。これ以上払ってやる必要などどこにもないではないか。払っている人はみんな人が良すぎる。とにかく、払わなくてよいものは払わなくてよいのだ。

そもそも、ヨーロッパの先進国では永久免許ではないか。日頃から国際化とかグローバリゼーションなどと叫んでいる政府が、こと運転免許の話になると五年ごと、または三年ごとに更新というローカルルールに固執しているのはなぜだ。車検だって、存在しない先進国だってあるのだ。この件に関しては、この国は国際化を図りたいのではなく、税収を安定させたいだけのようである。要するに、都合のよい時だけ国際化を掲げ、都合の悪いことは国際化しないという態度だ。みんな、人が良すぎる。そろそろ怒ってもいいと思うのだが。

さすがに、永久免許というのは私もどうかと思うのだが、かといって五年ないし三年ごとに更新というのもいささか度が過ぎているのではあるまいか。それでこの国の交通事故がほとんどないというのなら話は別だが、毎年おびただしい数の交通事故が起きていることはみなさんご存知の通りである。頻繁に免許を更新しても事故は減らないのだ。

私の考えでは、免許はある年齢までは最低でも10年に一度の更新でいいと思う。あるいは20年に一度でもいい。そして高齢者になるに従って、更新頻度を上げてゆくのだ。その方が現行制度よりはるかに合理的だと思う。ただし、税収は減る。国民に優しく、政府に厳しい案だから、政府が取り組むとは思えない。だが、勇気ある政治家がそろそろ出てきてもよいのではないだろうか。

頻繁に行われる運転免許証更新の制度は、実に巧妙な国民財産の搾取であると私は思う。
(画像は愛車ポルシェ)

 

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