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無意識は寝て待て

記憶の整理

脳科学の本を読んでいると、寝ている間に脳が記憶の整理を行っているという解説に出くわすことが多い。おそらく、既に事実として確認されているのだろう。

確かに、単語や年表の記憶などは寝る前に行ってぐっすり寝ると、朝になってある程度記憶されていたという経験が何度かある。

だが、記憶の整理は何も知識の記憶だけに留まらない。例えばピアノを弾くとか自転車に乗るといった運動に関する技能もやはり寝ている間に上達が確認されるのだ。自転車に乗れるようになったのは小学生の頃なのでもはや記憶が薄れているが、何度も何度も失敗しながら、ある日突然それまでの困難がウソのように楽々と乗れるようになったことを覚えている。

ピアノだって、何時間練習しても上手く弾けないと思っていたら、ある日突然弾けるようになっていたりする。要するに無意識のうちに記憶の整理がなされていたに違いない。思えば、我々が二本足で歩けるのも、運動能力を制御する様々なパラメーターが無意識のうちに脳内で整理されているからだろう。

ということは、知識も技能も寝ているうちに身に付くということではないか。しっかり学習してしっかり寝る。どうやらこれが成果を上げるコツのようだ。確かにあらゆる知識も技能も、いちいち考えながらやっていては実践では役に立たない。反射的に対応できて初めて使い物になるわけだ。ということはやはり無意識の力が鍵を握っていると言えよう。無意識おそるべし。

問題は、当たり前のことながら、無意識は意識的に制御できないということだ。だから無意識の活用法は、「信じて待つ」ということになるだろう。

しっかり学習した後は、無意識を信じてぐっすり眠る。ということは、寝る間を惜しんで学習するなどというのは本末転倒ということになるわけだ。

というわけで本日の教訓: 無意識は寝て待て

 

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風邪をひきました

以前の日記にも書きましたが、私の風邪はおならから来ます。数日前、夜中になぜかおならが立て続けに出ました。出そうと思えば何度でも出るという状態だったのです。面白がって連続おならに挑戦しましたが、途中で数えるのがめんどくさくなってやめました。とにかく連続しておならが出るときは風邪のサインです。

で、翌朝目が覚めると喉が痛くなっているではありませんか。鼻水も出ます。やはり風邪ですね。私の場合、風邪のひき始めには必ずおならが何度となく連続して出るというジンクスが完璧に機能しているみたいです。病気の諸症状が出る前におならで分かるわけですから、ある意味便利です。おならが出ないときは体調が良く、おならが出るときは病気等の兆候と判断すればよいわけですから。

ちなみにいったん風邪の症状が出るとおならはぴたっと止まります。要するに風邪などの病気にかかる直前にしかこの現象は現れないのです。

ところで、私と同じように風邪がおならから来るという人はどれくらいいるのでしょうか。まさか私くらいしかいないということはないと思うのです。もしそうなら、私は変人ということになってしまうではありませんか。

某製薬会社がやっている「あなたの風邪はどこから」というCMでも、喉から、鼻から、熱からという三種類の薬が用意されていながら、おならからという薬が用意されていません。この点から見ても、おそらくおならから風邪が来るという人は少数派なんでしょうね。でも、たとえ少数派でもそういう人がいる限り、おならから来る風邪用の薬も開発するべきではないでしょうか。

ここはひとつ、全国のおならから風邪が来るという人々で団結を図るべきだと思います。私も風邪はおならから来るという方は、是非きびだんご王国までメールでご連絡ください。署名を集めて製薬会社に陳情しましょう。

 

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報道番組

報道

つい先日、京都の祇園で悲惨な交通事故があり、報道番組が連日その話題でもちきりだと思っていたら、同じ京都の亀岡市で登校中の児童らが死傷する事故が起きた途端、祇園の話題はどこかへ消え去り、亀岡の事故一色となった。と思っていたら、今度は群馬県藤岡市の関越自動車道で激しいバスによる死傷事故が起きた途端、亀岡の話題は消え失せ、毎日関越自動車道の事故の話題ばかりである。

本来なら、問題の本質を深く追求するのが報道番組の役目だと思うのだが、どうやら新しい話題が登場する度にそれまでの話題とおさらばするのが実態のようだ。確かに限られた放送時間で全てを取り上げることは難しく、新しい話題にシフトしなくてはならない事情も理解できなくはない。しかし、決して忘れ去られてはならない事件や事故がこうもあっさり話題に上らなくなる報道番組には違和感を覚える。

限られた時間といいながら、なぜかどうでもいい芸能人の話題や大リーグの結果なども伝えているではないか。そんな時間があったら風化させてはならない事件や事故について検証報道を続けてほしい。よく、役所は事件や事故が起きてから後手後手に対策を立てると報道番組は批判するが、事件や事故が起きてから過去の事例に検証を加える自分たちの態度に対する反省は全く聞こえてこない。これはフェアではないだろう。

それに、さっきまで沈痛な表情で暗いニュースを読んでいたアナウンサーが、「次のニュースです」と言った途端、満面の笑みを浮かべて嬉しいニュースを読み上げるというのも、ありふれた光景とはいえ、やはり違和感を禁じ得ない。

そこで、私からの提案だが、この際、「明るいニュース(仮題)」という報道番組と「暗いニュース(仮題)」という報道番組を立ち上げる。それぞれ一時間程度でいいだろう。「明るいニュース」ではひたすら明るい話題だけを取り上げ、「暗いニュース」ではひたすら暗い話題だけを取り上げるのだ。もちろんキャスターも分ける。前者ではキャスターには爽やかな装いで登場してもらい、スタジオのセットも明るくする。逆に、後者では地味な服装でセットも厳かにするというわけだ。

これなら何の違和感も生じない。それに、暗い話題が嫌だという人はチャンネルを変えて見なければ済む。「明るいニュース」だけ見ていれば心も和むだろう。また、芸能やスポーツはそれ専用のワイドショーやスポーツ番組に譲って、あくまでも報道に徹するのだ。こうすれば、それぞれのニュースに対して十分な時間を割くことができ、重要な事件や事故についての継続的な検証報道も可能だ。新しい事件・事故が起こっても過去の事件・事故を消し去ることも少なくなるだろう。

問題は、暗いニュースを長年担当したキャスターには暗いというイメージが定着してしまい、その後バラエティー番組などへの進出が難しくなるということだ。嫌がるアナウンサーも少なくないと思うが、くじ引きでもして決めるしかない。

とにかく、私がプロデューサーなら、報道番組の常識を変えてみせる。

とはいえ、視聴率が取れるかどうかかなり怪しい。いつものことだが、今日も無責任な日記になってしまった。

 

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そろそろ冷茶の季節

冷茶

最近、急に暖かくなってきた。先日の昼間など、暑くて扇風機がほしくなったくらいだ。

こうなると、お茶も冷たいものが飲みたくなる。が、日本茶の道は奥が深いのだ。私が聞いた贅沢な冷茶の淹れ方は、高級茶葉の上に氷を置き、そのまま20分ほど待つというものだ。ゆっくり氷が溶けてゆく過程でお茶がじわじわと抽出されてゆくらしい。

なるほど、至福の一杯が得られそうだ。だが、ああ喉が渇いた、冷たいお茶が飲みたい、という瞬間から20分も待つというのはどうだろう。ちょっと厳しいものがないだろうか。

やはりあらかじめお茶を冷蔵庫などで冷やしておくしかないのだろうか。あるいは、薄くなることを承知の上で、お茶に氷を入れて冷やすか…

もちろん、冷えたペットボトルのお茶という手もあるが、あまり美味しくないんだよね。やはり、20分我慢するしかないか…

と思っていたら、なんと最高級茶葉からワインボトル一本分のお茶を抽出し、特殊な製法で保存を可能にしたボトル入りのお茶があるらしい。だが、このお茶、一本二万円以上もするらしい。ワインボトルに入っていて、見た目はワインそっくりなのだが、中身は日本茶という趣向だ。ペットボトルの超高級版といったところだが、さすがに一本二万円以上もするとちょっと考えてしまう。

ちなみに、この高級ボトル茶、JALのファーストクラスに乗るとサービスで出てくるらしい。まさに高級感ありありではないか。確かに、最高級茶葉からワインボトル一本分のお茶を抽出するとなると、茶葉の量もそれなりに必要だから相当原価がかかることは理解できる。だが、なかなか買う勇気が湧いてこない。

う~む、やはり私のような庶民は麦茶を冷蔵庫で冷やすか、氷茶を20分待って味わうしかあるまい。

 

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幸運と悪運

幸運が訪れるのか?

このところ悲惨な交通事故のニュースが毎日のように飛び込んでくる。原因はまちまちだが、考え事をしていた、とか、居眠りをしていた、といったミスは人間である以上完全に取り除くことは不可能ではないだろうか。

私自身、考え事をしていて気がつくと数百メートル走っていたという経験がある。居眠り運転はさすがに一度もないが、今後一生の間に絶対にないと言い切ることは難しい。SF映画のようにロボットが運転したり、自動操縦装置が開発されたりしない限り、こうした事故を100%防ぐことはできないだろう。

実際、ひやっとした経験を持つ人は大勢いると思われる。彼らと事故を起した人たちとの違いは運だけかもしれない。そう考えると恐ろしい気がする。

ちなみに、私は交通事故に遭ったことが何度もある。子供の頃、近所の信号の無い交差点を走って渡ろうとして、左折してきた車と正面衝突した。そのときはおでこをモロに車にぶつけてしまった。この状況なら死んでもおかしくないのだが、車の速度が遅かったことと、急ブレーキが間に合ったおかげで、たんこぶができるくらいで済んだ。

その後、確か小学二年生くらいだったと思うが、今度は大通りの交差点で青信号になった途端に飛び出したらしく、直進してきたオートバイにはねられて意識不明のまま救急車で搬送された。このときはアゴの骨にひびが入った程度で助かったが、もう少しで大事に至るところだった。

ちなみに、私は搬送中の救急車の中で一度意識を取り戻した。だが、周りの医療関係者たちがあまりにも深刻そうな雰囲気を醸し出していたため、今起きるのはマズイと感じて気絶したふりをしていたらそのまま眠ってしまい、気がつくと手術台の上だった。どうやら、私は小学校低学年の頃から空気が読める子供だったようだ。

それはともかく、その後も自転車に乗っていて車にはねられたり、タクシーに乗っていて真横から車が突っ込んで来て激突したり、自ら運転する車がスピンして対向車線にはみ出し、対向車とぶつかったり、と交通事故の話題には事欠かない。

その他にも、階段から落ちたり、海に落ちたり、崖から落ちたり、と相当危険な目に遭ってきた。口から血を吐いたこともあるし、歯が折れたこともあるし、肩がはずれたこともあるし、目のすぐ上をブリキの板で切断し、もう少しズレていたら片目を失うところだったこともある。

そうしてみると、私は多分悪運が強いのだろう。これまで何度となく死んでいても文句は言えない経験をした。その度にギリギリセーフで助かってきたのだ。しかし、いくら悪運が強いと言われても実はそれほど嬉しくない。というのも、私がほしいのは悪運ではなく幸運だからだ。

正式な定義は知らないが、私の解釈によれば、なにもかも順調にいって幸せというのが幸運であり、悲惨な目に遭い、絶体絶命のピンチに遭遇するが、なぜか助かるというのが悪運だ。どちらも持っていない人よりはましかもしれないが、私はもう悲惨な目には遭いたくない。

そろそろ悪運ではなく幸運が訪れてほしい。

 

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