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冷やしきびだんご(その2)

夏は涼しく

昨日の日記できびだんごを冷やすとなかなかいけるという話をした。冷やしたきびだんごをパフェに入れてみたりして結構楽しんだという話だ。

しかし、よく考えてみると、日本には昔から冷たいお菓子を食べる文化があったのではないか。例えば、餡だ。確かに炊きたての餡はほかほかであり、太鼓まんじゅうなどは熱くないと美味しくない。冷えた太鼓まんじゅうなど食べる気がしない。

酒蒸しまんじゅうなどでも、やはり蒸したてが一番美味しい。最近では冷凍した酒蒸しまんじゅうを出荷前に温め直したりするところもあるようだが、一度冷凍した酒蒸しまんじゅうはお酒の香りがしないので興ざめだ。やはり酒の香りを満喫するには出来立ての酒蒸しまんじゅうに限る。もちろん、冷凍さえしなければ、冷えても酒の香りは残るようだが…

さて、話が少し横道に逸れた。冷やした餡の美味しいお菓子について述べよう。ずばり、水まんじゅうである。あるいは水ようかんも挙げられるだろう。これらは冷たいほど美味しいといっても過言ではない、夏を代表する冷菓だ。どちらも美味しいが、私のおすすめは水まんじゅうである。賞味期限が短いのが玉にきずだが、私にとって水まんじゅうは夏の密かな楽しみだ。

で、肝心の冷やしきびだんごに話を移すが、要するに、水まんじゅうのように夏の定番として冷やしきびだんごを広めてはどうかと思っているわけだ。一年中、常温で食されるきびだんごだが、岡山の夏の風物詩としてスポットを当ててはどうだろう。カフェなどで冷やしきびだんごを提供する店が増えれば話題にもなる。観光客も喜ぶだろうし、岡山のPRになるではないか。

何も、私がやったようにパフェに入れたりしてアレンジしなくても、そのまま冷やすだけでも十分美味しい。冷茶などと一緒にいただくとさらに清涼感が増すだろう。抹茶にも合いそうだし、後楽園などで観光客に振る舞ってみるというのもいいかもしれない。

というわけで、きびだんご王国は冷やしきびだんごを強力にプッシュします。皆さんも是非お試しください。

 

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冷やしきびだんご

夏はアイスで

最近すっかり暖かくなった。バックパックを背負って街を歩くと背中に汗をかくほどだ。こういうときはどうしても冷たいものがほしくなる。

そこで、冷蔵庫を開けてみたが、あいにく何もなかった。どうしたものだろう。アイスクリームでも買いに行くか。いやいや、やっと仕事がはかどってきたところだし、外出時間がもったいない。そうだ、目の前にあるきびだんごをアイスでいただこう。

というわけで、さっそくきびだんごを冷蔵庫に入れてみた。待つこと一時間。冷たいお茶とともに冷えたきびだんごをいただいてみると、なんと美味いではないか。これなら夏はアイスでいけるかもしれない。

というわけで、アイスきびだんごのレシピを考えてみよう。まず、コーラに入れてみた。が、まずい。というかコーラにきびだんごを入れる積極的な理由が見当たらない。それどころかストローの邪魔にさえなる。これは却下だ。

次にフルーツパフェにトッピングしてみた。これはいける。特に冷えたバナナとよく合うではないか。もしかすると、この出会いはショッキングかもしれない。そもそも現在開発中の新型きびだんごも要冷蔵だし、きびだんごを冷やすということは何の問題もない。というか、アイスならではの魅力がきびだんごにはあるのだ。

そういえば、某社がラムネ味のきびだんごを販売していたっけ。ラムネ味ならまさにアイスに適しているのではないだろうか。

う~む、冷やしきびだんご、またはアイスきびだんごというのは新しいジャンルとして定着する可能性を秘めている。うどんやそばだって、熱いものと冷たいものがあるではないか。きびだんごだって、冷たいものをいただく文化があってもおかしくない。そうだ、冷やしきびだんごを広めるのだ。

というわけで、みなさんも是非、今年の夏は冷やしきびだんごをお試しください。

 

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不安だ

不安

最近どうも一人前でない日本人が多いような気がする。

まず気になるのは言葉遣いだ。これは新聞やテレビといったメディアの責任もあるが、とにかく間違いが多すぎる。

最も多いのが、次の二つだ。

1) 檄を飛ばす
2) 豹変する

1) は檄文と呼ばれる決起を促したり賛同を求めたりする文書を送りつけるということで、激励するという意味ではない。よく、高校野球に関する放送や新聞記事で監督が選手に檄を飛ばすなどという表現に出くわすが、大間違いだ。

2) は、豹の毛が生え変わって美しくなるということから、立派な人物は過ちを認めて考えを改めるという意味で、褒め言葉である。よく、選挙のときは減税路線だったのに当選したとたん増税路線に豹変したなどという表現を耳にするが、大間違いだ。

こうした大間違いの日本語に出会うと、その人物の教養を疑うわけだが、しかし、今回私が指摘したいのは、こうした間違い以前の、もはや日本語の体をなしていないメチャクチャな日本語で会話をしている若者が多いということだ。はっきりいって、このレベルになると、もはや通訳を介さないかぎり意思の疎通は不可能だ。

敬語が使えないのは当たり前。ら抜き言葉も当たり前。それどころか、会話そのものが成り立たない日本人が増殖しているのが今の日本だ。こんな状態で本当に小学生から英語など学ぶ必要があるのだろうか。なにせ社会人になっても日本語が話せない者が続出している今日である。私は不安を感じて仕方がない。

だが、問題は若者だけではない。最近は情けない老人も増えた。普通、老人ともなれば人生を長く歩いて来たわけだから、若者の手本となるのが当たり前だ。ところが、何も悟っていない、忍耐も思慮も何もかも欠けている老人が多い。私が彼らの親ならどなりつけてやるところだが、私の方がはるかに若いのでそうもいかない。

私は老人に接するとき、彼らから人生を学ばせていただこうと考える。ところが、こっちが教えてやらねばならないような事態に遭遇すると、がっかりを通り越して戦慄さえ覚えてしまう。日本が崩れていくような恐怖を感じるのだ。

こうした一人前でない日本人は何が原因で増えているのだろう。世の中が便利になりすぎたせいだろうか。自然を破壊しすぎたせいだろうか。食生活が偏ったからだろうか。教育のせいだろうか。政治のせいだろうか。それとも低俗なテレビ番組のせいだろうか。

う~む、わからない。だが、日本にとって、日本人の劣化ほど恐ろしいものはないと思う。そういえば、光宙(ぴかちゅう)などという名前を子供に付ける親もいるという。こんなヘンテコリンな名前をキラキラネームなどと呼ぶそうだが、そんな名前を付ける親がいる家庭で育った子供たちが社会人になる頃、この国はどうなっているのだろう。

不安だ。

 

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GWも終わり

会社員たち

今日でGWも終わりだが、全く休みのなかった私は特に何も感じない。むしろ、明日の朝、休みぼけした会社員たちと乗り合わせるバスが憂鬱だ。GW中、市内を走るバスはいつも空いていてゆったり座れた。明日からまた混雑すると思うと気が重い。これなら、ずっとGWのままでいてくれた方がこっちは仕事がはかどって助かるのだが…

だいたい、私ならバスなど乗らずに歩くであろう近距離の通勤にバスを利用する会社員の多さには辟易とする。岡山市内の場合、通勤バスのドル箱路線は、岡山駅停車場と中国銀行本店前停車場の間だ。この距離なら徒歩でも15分程度である。わざわざバスに乗る必要はない。歩けばいいのだ。その方が健康のために良いし、経済的でもある。途中でカフェに寄ってもよいし、歩いた方が楽しいと思うのだが、なぜか、毎朝会社員たちでバスはいっぱいである。

どうやら、日本人は運動がおっくうな人が多いのではないだろうか。そういえば、バスで通勤する会社員は男女を問わずメタボ気味な人が少なくない。あきらかに運動不足だ。バスなんか乗らないで歩けばいいのに。

などとまっとうなことを言ってみたが、要するに私は混雑していないバスにゆったりと座りたいだけなのだ。またしても自分勝手な日記を書いているわけだが、よく考えると、こうした運動不足のメタボ会社員たちが毎朝バス料金を大量に払ってくれるおかげで、私が利用する田舎行きの赤字路線の運営が成り立っているわけだ。そう考えると彼らに感謝しなくてはなるまい。

私の乗るバスは中国銀行本店前停車場を過ぎた途端、乗客がわずか数人というガラガラ状態で、その後一時間近く田舎道を走ってゆく。私はもちろん終点まで行くわけではなく、その後25分くらいの地点で降りるのだが、どう考えても中国銀行本店前停車場以降は完全な赤字路線だ。だから、横着なメタボ会社員たちがいなければ、この路線はとうに廃止されていたかもしれない。

というわけで、見方を変えると不愉快な事象も有り難くなったりする。恐らく、世の中にはそうした事柄が少なくないのではないだろうか。何か嫌なことがあっても、腹を立てる前に事態の裏を読んでみるくせを付けるのもいいかもしれない。

 

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無意識の活用法

無意識の活用

昨日の日記で無意識の有用性について述べたが、ここでひとつ面白い話を思い出した。それは、歴史に残る作曲家でありピアノ奏者であったリストの教授法だ。彼が弟子に与えた助言は、ピアノを練習するときに、音楽に集中しないで、何か本でも読みながら弾けということだったらしい。

最初、この話を聞いたとき、そんな練習法は馬鹿げていると思って相手にしなかったのだが、今考えてみると、これは無意識にピアノを弾く練習法ではないか。つまり、意識しなくても完璧に手が動くという状態を身につける訓練法なのである。

確かに無意識に手が動いて完璧に弾くことができれば、技術のことは考えないで表現に集中できる。だから、表現の前に技術的な課題を無意識のレベルでクリアしておこうという発想だ。

う~む、さすがはリストだ。個人的にはあまり好きな作曲家ではないが、しかし学べるところは学んでみるべきである。彼の方法、すなわち、寝ているときだけでなく、起きているときも無意識を活用するという方法は研究の価値がある。

問題は、ピアノを弾くといった肉体の運動に関する技能には有効でも、果たして知識の習得といった知的な学習にも応用が効くかどうかである。例えば、絵画を鑑賞しながら英単語を記憶するとか、チェスをしながら教科書を読むといった方法に効果があるのだろうか。

こうした、言ってみれば「ながら勉強」とでも言うような勉強法が果たして有効かどうか確かめる方法はたったひとつ。自分で実験してみることだ。

というわけで、これからしばらくこの集中しない勉強法を取り入れてみることにする。結果はそのうち日記で公表することにしよう。

 

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