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iうちわ

ここのところアップル製品が世界を席巻している。一昔前のソニーが鎮座していた王の座は今やアップルのものだ。

かつてトランジスタ・ラジオやウォークマンが革新的な製品として人々のライフスタイルさえ変革してしまったように、今やアップルの製品が未来を切り開いている。iMacに始まり、iPod、iTunes、iPhone、iPadとその快進撃は留まる所を知らない。もうじきiTVの登場により、いよいよ総合的な家電会社へと変貌を遂げるともうわさされている。

しかし、天才スティーブ・ジョブズ亡き後、果たしてこれまでのように革新的な製品を生み出し続けることが可能なのだろうか。iTVは恐らくiTunesからダウンロードした映画がハイビジョンで見られるのがウリだろう。それに様々な機能が付き、コンピュータとしても、また自宅の監視カメラとしても使えるような製品だと思われる。

だが、私がCEOならその程度のテレビでは満足しない。ここはひとつ、匂いがするテレビを開発したいものだ。例えば料理番組を見ているとその料理の匂いがテレビから漂ってくるというスグレモノだ。匂いを電波で飛ばせばよい。なに? それは難しい? だったら、例によってパロアルト研究所から技術を盗んでくればよい。(パロアルト研究所とは、1970年にゼロックスが開設した研究開発企業。MacやWindowsのGUIもここで生まれた技術。)

う~む、テレビだけでは物足りないぞ。さらに深く家電の世界に飛び込もう。i洗濯機はどうだ。これはすごいぞ。なんと洗濯物がダウンロードできる。って、意味不明だな。失礼しました。気を取り直してiコンロはどうだ。タッチパネルになっていて指一本で触れると触れた場所が熱くなる。親指と一差し指で触れておいて指を広げると熱源が拡大し、二本指で触れたまま動かせば熱源を自由に移動できる。

また、家電ではないが、極薄のペーパー液晶で服を作れば面白い。服の色と柄は好きな時にダウンロードすれば自由自在に変えられる。歩きながら角を曲がったとたん、全く別の色と柄に変身というのも可能だ。ネクタイくらいならすぐにでも実用化できそうだが…

いや、所詮アップルは他人の会社だ。私がこれ以上口を挟むのは僭越というものであろう。何かやりたかったらきびだんご王国でやればよい。

とはいえ、きびだんご王国には家電を開発するほどの予算はない。できるとすれば、せいぜいソフトウェア開発くらいだろう。そうだ、iPadのアプリケーションを作ろうではないか。今から開発すれば夏までには完成するかもしれない。今年の夏も暑そうだし、クールビズのためのキラー・アプリというのはどうだろう。

名付けてiうちわだ。うちわといってもただのうちわではない。岡山が世界に誇る撫川うちわだ。この撫川うちわをiPad用のアプリにするのだ。使い方だが、アプリをダウンロードしてアイコンをクリックすると、iPadのスクリーンいっぱいに撫川うちわの画像が表示される。その画像が表示された状態でiPadをパタパタと振って風を起こすのである。まさに究極のエコアプリと言えよう。

なに? うちわアプリなら既にあるって!? みんな考えることは同じだな。でも撫川うちわはまだないはずだ。同じうちわアプリでも撫川うちわは風のクオリティが違うのだよ。

 

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珈琲で一休み

アメリカン珈琲

私は珈琲はどちらかというと薄く淹れたものが好みだ。しかし、喫茶店でアメリカンを注文することは滅多にない。なぜかというと美味しいアメリカンを提供してくれる喫茶店が滅多にないからだ。(本当はアメリカンとは薄い珈琲という意味ではないが、日本では薄めの珈琲として一般に通用している。)

何年か前だが、岡山の市街地から少し離れたところにある地元では有名な喫茶店でアメリカンを注文した。が、これがこの世のものとも思えないほどマズかったのである。どれくらいマズいかというと、泥水と間違うほどだった。私は出された珈琲をそのまま残して店を後にした。全くといって飲んでいなかったわけだから、店側としてはこれほどの屈辱はあるまい。が、本当にマズかったのだ。店員にはマズかった旨をおだやかな口調で紳士的に述べた。少し離れたところでオーナーらしい男性が不安そうに我々の会話に耳を立てていたが、知ったこっちゃない。申し訳ないが飲めないものは飲めないのだ。

それからしばらくして、今度は県庁通りに面したこれまた比較的地元では知られた喫茶店に入り、やはりアメリカンを注文した。こんどはほとんどお湯といってよいシロモノだった。暖かい色水といった感じだ。ただ薄いだけ。コクも香りもない。よくこれで金を取るものだと呆れ果ててしまった。

その後、程度の差こそあれ、アメリカンが本当に美味しい喫茶店は滅多にないことに気づいた私は、喫茶店では素直にブレンドかやや濃いめの珈琲を注文することにした。無難な選択だ。アメリカンが美味しい喫茶店は今のところ岡山市内では一軒しか見つかっていない。

なぜそんなことになるのか。恐らく、喫茶店のオーナーからするとアメリカンなどというものは邪道の部類に入るのではないだろうか。そのため力を入れないか、ひょっとすると古くなった珈琲豆をアメリカンに回しているのかもしれない。

私が美味しいと感じる珈琲は、薄いにも拘わらず、コクがあって芯がしっかりした存在感のある珈琲だ。美味しい珈琲を飲むために、私もいろいろと工夫しているのだが、10回淹れて1回くらいしか成功しない。やはり、薄い珈琲はなにかと難しいのかもしれない。

まず、豆だが、粗く挽かなくてはならない。私の場合かなり粗めに挽く。粗い方が抽出が薄くなるためだ。

次にお湯の温度だが、濃い珈琲に比べて薄い珈琲は若干高めに設定する。その方が美味しい。だいたい摂氏90度弱といったところだろう。濃い珈琲なら80度あるいはもっと低くても美味しいはずだ。あくまでも個人的な意見だが。

そして抽出だが、私の場合、いろいろ試してみた結果、コーノ式円錐フィルターが一番やりやすかったのでこれにしている。一杯分だけ抽出するより二杯分抽出する方が上手くいきやすいので二杯分抽出する。プロに話を聞くと、薄めの珈琲の場合、蒸らした後に下に落ちてくる最初の一滴が珈琲の芯を決めるそうだ。緊張の一瞬。その後、一本の線のように抽出液が落ち始めたら、後はもうひたすらお湯を注ぎまくる。薄く仕上げるためにはここで躊躇してはいられない。

ちなみに、一本の線のように落ちる抽出液がカップ(この場合は二杯分)の三分の一程度になったところでストップするのが、かなざわ式だそうだ。なんでもその後でお湯で希釈して飲むとのこと。確かに理にかなっている。私は面倒なのでそうしないが、途中から一気にお湯を注いでいくと、後のほうはフィルターから落ちてくるのはほとんどお湯だけといった状態になるので、実際には希釈しているのと同じだと思う。これで薄い珈琲が出来る。

ちなみに、イタリアでは、アメリカンはカフェ・アメリカーノと呼ばれ、作り方も異なる。私がイタリアで飲んだ経験からすると、普通の珈琲カップにエスプレッソが注がれ、それと一緒にお湯が出てくる。なんのことはないエスプレッソのお湯割りだ。

やり方はいろいろだが、ようするにお湯で希釈するという点では共通認識と言えよう。理屈は簡単なのだが、どうしてなかなか美味しくできないのか。恐らく、原因は蒸らし方と最初の一滴のクオリティにあると思う。別のプロの方に伺うと、全く蒸さないという選択肢もアリだとのこと。素人の場合、下手に蒸すとかえってマズくなることも多いらしい。プロでも蒸さないというポリシーを貫いている方もいるそうだ。う~む、奥が深い。

ともあれ、本当に美味しい珈琲は私にとって至福のひとときである。薄いがゆえに微妙なコクを感じとることができる。特に、あっさり味の珈琲豆と個性の強い珈琲豆をブレンドしたものを淹れると、最初はなんのことはない味だが、途中からもう一方の個性の強い味が浮き上がって来て一杯で二度楽しめる。薄く淹れた珈琲の醍醐味である。

そういう醍醐味を味わえる喫茶店が近所にあるといいなあ。

 

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恐竜はロマン

恐竜

先日テレビを見ていたら恐竜の特集をやっていた。よく勘違いしてプレシオサウルスやリオプレウロドンのような首長竜やランフォリンクスやオルニトケイルスなどの翼竜も恐竜だと思っている人がいるが、恐竜とは三畳紀に現れ、白亜紀まで繁栄した二足歩行の新型爬虫類をさす。従ってアロサウルスやティラノサウルスのような獣脚類やイグアノドンのような鳥脚類が典型となるわけだが、ディプロドクスやアパトサウルスのような竜脚類も含まれる。竜脚類の場合、大型のため四足歩行となるが、骨格はもともと二足歩行用にできており、ワニのような四足歩行の爬虫類とは異なる。

が、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と2億年近くもの間、地球を我が物顔で席巻したモンスターという点ではこれらをひとまとめにしても構わないだろう。ちなみに、サウルスとはトカゲという意味である。コエロフィシスのような初期の恐竜がトカゲから進化したので恐竜によく使われるが、魚竜などにも使われる。もっともクジラの祖先であるバシロサウルスは、恐竜と誤認されて名付けられた失敗例だ。

問題は、なぜこうした魅力的なモンスターたちが絶滅したかだ。生物の多様性という点でも残念だし、なんといってもこんな迫力のある生き物が動いている姿を見てみたかったというのが偽らざる心境である。

現在の学説では、6550万年くらい前の白亜紀末期に地球に衝突した巨大隕石のせいで絶滅したと考えられているようだが、私は納得していない。なぜなら、巨大隕石による衝撃やその後の気候変動にも拘わらず、恐竜に最も近いとされる爬虫類のワニが生き残っているし、海生爬虫類のウミガメも健在だ。クジラのような大型の海生哺乳類も生き残っているし、陸上ではトカゲをはじめとして多くの爬虫類が繁栄を続けている。恐竜より遥か昔の石炭紀から存在するトンボといった昆虫も、さらに昔のカンブリア紀から存在するウニのような生物も生き残った。

ペルム紀末の大量絶滅(地球上の生物の90%が絶滅)ほどではないにしても、この巨大隕石により地球上の70%の生物が絶滅したと言われる。それでも、恐竜以外はなんとか種を存続させたのだ。どうして恐竜をはじめとするモンスターだけが種の絶滅という運命をたどったのか。この疑問に科学者たちは答えていない。

大型の恐竜が絶滅したとしても、小型の恐竜くらい生き残ってもよさそうではないか。実際、小型の哺乳類は生き残り、その後進化を遂げて今日に至っている。また、ワニが生き残っているのなら、海のワニともいうべきモササウルスなども生き残っていてよさそうだし、イルカが生き残っているのなら、イルカによく似たイクチオサウルス(ただしこちらは海生爬虫類)が生き残っていても不思議ではない。魚類だってシーラカンスも含めて生き残っているわけだし、どう考えてもモンスターの絶滅は不思議だ。もちろん恐竜の一部は鳥類に分岐進化して生き残ってはいるのだが… 全ては偶然なのだろうか。

当時人類がいれば乱獲でいなくなったなどという笑えないオチも頭をよぎるが、人類の誕生は4千万年ほど前にアフリカで生まれた運命の二匹の猿の出現を待たねばならない。

そう考えてみると、私はモンスターだけに強力に感染するウイルスでも存在したのではないかと思えてくる。しかしそんな都合のよい(彼らにとっては都合の悪い)ウイルスなどありうるのだろうか。ひょっとすると南極大陸に秘密を解く鍵が眠っているかもしれない。白亜紀までは南極は南アメリカ大陸やオーストラリア大陸と陸続きで恐竜も棲息していた。もしかすると南極の氷の下に保存状態の良好な恐竜の肉体がウイルスと一緒に眠っているかもしれない。それが地球温暖化で氷が解けて姿を現すとか…

う~む、恐竜はロマンだ。

 

なんだ、今日はきびだんごに触れないのかと疑問に思ったアナタ。気分転換にコチラをどうぞ。

 

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毎日ブログが書けるネタ

以前、きびだんごと関係がないのにきびだんごと命名する商品等が乱立して、わけがわからなくなっていると書いた。例えば、無関係のお菓子にきびだんごと名付けたり、キビダンゴという名の競走馬がいたり、さらにはきびだんご定期預金という名の預金まであるといった具合だ。

こうした言葉の混乱はあちこちで見受けられるようで、先日もスーパーで北海道カマンベールというトンデモ商品を見つけた。かなり前からあるようだが、これはおかしい。なぜなら、カマンベールというのはフランスの土地の名前だからだ。

フランスでは、チーズ(フロマージュと言う)の名前はワイン(ヴァンと言う)と同様に生産地の名前で呼ばれる。つまり、カマンベールはカマンベール村のチーズだし、ブリもサン・マルスランもミュンスターも全て生産地の名前だ。だから、北海道の十勝で生産したチーズは「トカチ」と命名しなくてはならない。北海道カマンベールというのは、つまり、フランスで製造した焼き物にマルセイユ備前とかニース有田とかモンペリエ信楽(しがらき)とかボルドー唐津などと命名したり、韓国で製造したうどんにソウル讃岐と命名したり、アメリカで握ったすしにニューヨーク江戸前と命名するようなものである。どう考えてもおかしい。

いつまでたっても北方領土が返還されないのは、北海道カマンベールのせいで北海道が世界中の笑いものになっているのが一因ではないかと私は危惧している。

もっとも日本国民は、仏教徒が大半を占めていながら結婚式はなぜか十字架の前で行い、クリスマスを祝い、ハロウィンに浮かれ、バレンタインデーで騒ぎ、それでいて正月には神社に参拝するというトンデモ国民である。この国にはもはや世界の常識など通用しないのかもしれない。

そう言えばカレー・マルシェなどという商品もあったな。カレーは英語、マルシェはフランス語だ。なぜごた混ぜにするのだろう。英語で統一するならカレー・マーケットだし、フランス語で統一するならマルシェ・ド・キュリーだ。まあ、どちらも意味を考えると変だが。

とにかく、変なシリーズを続ければ、それだけで毎日ブログが書けてしまうに違いない。この国はネタの宝庫だ。

 

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桃太郎 vs 温羅

岡山では毎年、桃太郎祭りと温羅じゃ祭りという二つの祭りが同じ時期に行われている。

サラリと書いたが、よく考えるとこれほど不思議なことはあるまい。桃太郎と温羅は戦をして殺し合った敵同士だ。桃太郎は朝廷側、温羅は朝敵だ。つまり、天皇万歳派と天皇クソくらえ派の祭りが同時期に開催されているのだ。なにかヤバくないだろうか。

もともと二つの祭りは4月と10月に別々に行われていた。それぞれの祭りに地元の二つのテレビ局が関わり、互いに集客力を競っていたらしい。相当な赤字が出ていたようだが、そこはプライドがあり、互いに譲るわけにはいかなかったようだ。

ところが、どうせなら一緒にやったらどうか、という提案がなされた。一緒にやることでより大きなイベントになるとでも思ったのだろうか。二つの祭りの本質を考えると祟りが起きても仕方がない気もするのだが。

さて結果はどうかというと、ひとつに統合(実は夏まつりおかやまも一緒になったので、三つのイベントが統合されたことになる)したことにより、競争がなくなった両陣営は共に予算を削減することにした。こうして、二つの祭りはショボくなった。ショボいと言えば温羅じゃ踊りの音楽もショボいな… それはともかく、岡山の祭りが青森のねぶた祭りや徳島の阿波踊りのようなメジャーな存在になる日は来ないだろう。

どうせやるなら、全国から観光客が呼べるような盛大な祭りにしたいものだ。大いに吉備の国を盛り上げようではないか。しかし私の知る限り、全国放送で岡山の祭りが取り上げられたのを見た事は一度もない。NHKの中国地方版ニュースでさえ、あっさりスルーしていた。確かに温羅じゃ踊りは一昔前の原宿の竹の子族のような踊りだし、なんかオリジナリティがないんだよね。

まあ、岡山には西大寺のはだか祭りがあるからいいか。

 

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