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きびだんご王国 桃太郎伝説

書籍選び

書籍選びは慎重に

アマゾンで非常に低い評価が集まっている本を書店で立ち読みしたところ、とてもためになる本だったので即買いした。

一概には言えないが、レビューが20以上ある場合、大半が低い評価なら良書、大半が高い評価なら駄本であることが結構ある。ちなみに、レビューが一桁の場合はあまり参考にならない。もっとも、誰がレビューを書いているかにもよるのだが、匿名のためどうにもならない。一人一人のその他のレビューを参考にしてもよいが、そこまでするほどの興味はない。

いずれにしても自分の目で判断するしかないのだが、上記のようなことが多い理由は何だろう。低い評価を下しているレビューの中には、とても最後まで読んだとは思えないものが多い。前半だけ読んで幻滅し、低い評価を下している人もいたし、中にはタイトルが気に入らないと批判している感情的で短絡的なレビューまであった。また、流れもあるだろう。何人も続けてボロクソにこき下ろしていると、自分もその流れに乗って攻撃的なレビューをしてしまう集団心理があるのではないだろうか。大勢の人々はそう言っているが、自分は違う、とはっきり自己主張できる人はもともと少ないのだ。

で、この本だが、確かに前半はつまらない。タイトルも趣味がいいとは言えない。が、後半は実にためになる内容で、後半だけでも表示価格の二倍以上の価値があると感じた。

この本は、前半は勉強の仕方についての著者の持論であり、後半は参考書のような内容になっている。そして、前半では、努力せよ、というごく当たり前のことが書かれていた。ごく当たり前のことなので、そもそも批判の対象にはならないと思うのだが、どうやら、努力しなくても上手く行くといったノウハウや裏技を期待していた人々の反感を買ったらしい。

一般に、アマゾンでは、額に汗して学べ、といった至極真っ当な本は批判されやすい。反対に、誰でもこうすれば上手く行く、とか、たったこれだけで大丈夫、といった内容の本が人気があるようだ。これも時代だろう。

私が好きな本のひとつに長岡亮介の数学の本がある。この本の序文で、彼は基礎力をつける方法として「正しく書かれた本を、理解できるまで何度も何度も繰り返し読んで考えることである」と述べている。正論だ。ここで大切なことは良書を選ぶことと勤勉に学ぶことの二つだ。勤勉に学ぶのは当たり前として、良書の方はそう簡単には巡り会えない。私は比較的よくアマゾンで書籍を購入するのだが、レビュー通りだったことはあまりない。

やはり、面倒でも書店に足を運んで立ち読みするしかないようだ。

 

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湯沸かし器が壊れました

冷水

我が家の湯沸かし器が故障してしまいました。ガス会社に調べてもらったところ、製造から17年以上も経過しており、既に交換部品は入手不可能とのことでした。仕方なく、新しい機器を購入することになり、突然の出費にやれやれという感じです。

で、新しい機器が届くまでの数日、我が家ではお湯が出ないため、お風呂は銭湯にゆくしかないなと思っていた矢先、シャワーは一年中冷水でよいという本を見つけて購入しました。なんでも冷たい水で身体を冷やす事により、健康になれるというではありませんか。しかも、お肌まで奇麗になり若返るとも…

こうなると、お湯が出なくなったというのも何かの啓示かもしれません。さっそく弟は冷水シャワーを浴びています。魂が清められるなどとわけのわからないことを言いながら…

う~む、やはり私もこれから冷水を浴びてくることにしようかな。少し不安はあるが…

ちなみにシャワーは冷水でもいいのですが、朝のひげ剃りは熱湯が必要です。最近では電気シェーバーを使っている人も多いみたいですが、私は古風な人間なので、昔ながらのカミソリ派なのです。正直、冷水でひげ剃りは辛いものがあります。カミソリも消毒できないし…

ともあれ、新しい湯沸かし器がやってくるまでの間、毎日の日課として朝晩冷水シャワーを試してみます。案外やみつきになるかもしれません。

 

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きびだんご補完計画(その9)

きびだんごの新アイテム

さて、国をあげて精力的に推進しているきびだんご補完計画だが、きびだんごそのものの進化もさることながら、きびだんごを2倍にも3倍にも楽しめるアクセサリーとでもいうべきアイテムの開発を思いついた。

最近では、具のソースなどに見られるように、簡単手間要らずで、あっと言う間に料理がいっそう美味しくなる、そんなアイテムが次から次へと商品化されているではないか。確かに面白い。そして何より実用的だ。もともとソースと言えばフランス料理の真骨頂であり、ソースの出来映えが料理を決定づけるといっても過言ではない。一方、日本人はどちらかというとシンプルな味付けが伝統のような気がするのだが、しかし、グローバリゼーションの津波にはもはや誰も逆らえないようだ。こうした新手のソースやドレッシングなどは今後も大いに食卓を賑わしてゆくことになるに違いない。

そこでだ。きびだんご王国としても、きびだんごそのものだけでなく、その食べ方についても、新次元の提案をしてゆこうということになった。こうしたソースやドレッシングなどからヒントを得て、あっと言う間にきびだんごがいっそう美味しく食べられるような魔法のアイテムを開発してしまおうというのが、今回のミッションである。

過去にさかのぼれば、日本でもタレで革命を起した事例があるではないか。そうだ。うなぎだ。うなぎと言えば、甘みの効いたタレがかかったうなぎ丼が定番だが、あの食べ方が発明されたのは江戸時代である。それまでは、うなぎと言えば、ぶつ切りにして焼いただけの味気ない食べ物だったらしい。ところが、あのタレが発明されたとたん、庶民の間でうなぎ丼が大フィーバーしたというわけである。ちなみに、割り箸を発明したのもうなぎ屋だと言われている。う〜む、うなぎ文化恐るべし。

さて、我らがきびだんごだが、一体どんなアイテムが可能だろうか。みたらしか? 目新しさはないな。きな粉か? 既にある。チョコか? きびだんごの内部にチョコを入れたものなら存在するらしい。

とにかく、斬新かつ、アンビリーバボーなテイストを開拓しなくては意味がないのだ。そのため、我々はカレーソースや焼き肉のタレにいたるまで、ありとあらゆるコラボレーションを試してみることにした。既にきびだんご王国が誇る伝説の試食軍団、その名もグルメ四天王が動き出している。超一流のグルメハンターである彼らが、一体どんな斬新なアイデアを思いつくか楽しみだ。

というわけで、きびだんご王国の今年の夏は恐ろしく暑く、いや、熱くなることは間違いない。新アイテム開発に乞うご期待。

 

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記憶力が…

記憶力

どうも最近記憶力に不安がある。実は、現在600ページ程度の英語の参考書をやっていて、比較的短い長文が200ほど掲載されているのだが、これを全て暗記しようとしている最中だ。

学生時代ならどうということはない。数ヶ月もあれば覚えられたはずだ。ところがどうだろう、今日試しに幾つか文章を記憶をたよりに大学ノートに書いてみたが、なんとノート1ページあたり10カ所程度も間違いがあるではないか。意味はほぼ同じだが別の単語を選択していたり、スペルに誤りがあったり、副詞や副詞句がごっそり抜けていたりとミスのオンパレードで唖然としてしまった。

俳優が舞台や映画で覚えなくてはならないセリフと比べれば大した量ではないはずだが、どうにもお恥ずかしい限りである。世の中には高齢の役者で、ものすごく長いセリフを完璧に覚える方もいらっしゃるというのに、まだ40代の私がこのざまとは…

そういえば仲代達矢も言っていたな。「役者ほど素敵な職業はない。ただ、セリフさえなければ…」う~む、わかるぞその気持ち。そう言えば、確か彼はセリフを紙に書いて部屋中に貼付けて覚えると聞いた事がある。とある同時通訳者の方も部屋中に単語や熟語を貼りまくっていると言っていた。やはり、簡単に記憶できる魔法など存在しないのだ。

かつての自分を思い出しても、暗記は力技だったような気がする。若い頃、山川出版社の世界史小辞典を一冊まるごと記憶していたが、指の汗で辞典がボロボロになっていた。やはりそれくらいがんばらなければダメなのだ。そういえば、あの頃は一日14時間、365日毎日勉強していた。それに比べて社会人となってからというもの、日々の仕事に追われてロクに勉強時間も確保できない毎日だ。

もしかすると、記憶力が低下したのではなく、ただ単に努力する時間が不足しているだけなのかもしれない。自分の脳のせいにするのはまだ早いかもしれないな。

とはいえ、時間は限られている。有効活用する方法を模索せねばなるまい。

 

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言葉を学ぶというのも…

言葉を学ぶ

以前の日記にも書いたが、ネットにおける日本語は最近かなり乱れている。もっとも、ネットだけでなく新聞のような紙の媒体も同様だ。先日も地元の新聞に「豹変する」という言葉が間違った意味で使われていた。この日記を読んでいる人には常識だが、豹変するというのは褒め言葉である。ネガティブな意味はない。もちろん、大勢の日本人が間違った使い方を続ければ、やがて間違った使い方が正規の使い方となるだろう。言葉は常に変化しているからだ。

それはともかく、私が困るのは、例えば英語の勉強をしようとして、ネットから英文を得る場合だ。日本語が乱れていることから容易に想像できるが、英語も乱れているに違いない。ネイティブの人々が使っているからといって正しい英語である保証はどこにもないのだ。日本人はネイティブという言葉に弱く、彼らの言葉は常に正しいものとして受け入れようとするが、これは危険だ。日本で英語を教えている外国人だって、どの程度正しい英語を使っているかわかったものではない。中には、相当訛りのあるネイティブや、国語力の乏しいネイティブもいるはずだ。ネイティブだからといって安心してはいけない。

日本人だって、例えば、夫の海外赴任に付いて行って、現地で日本語教師のアルバイトをしている主婦もいるだろう。果たして彼女たちが訛りの無い正確な発音で日本語を教えているだろうか。あるいは正しい日本語の知識を持ち合わせているだろうか。例えば、「姑息な」というのは「一時しのぎの」という意味であり、決してセコイという意味ではない。だが、間違って使っている日本人は多い。外国で日本語を教えている日本人の中にも間違って教えている者がいるに違いないのだ。

同様に、日本に留学してきた外国人学生や、日本に派遣された外資系の会社員やその家族たちがアルバイトや副業で教えたりしている場合、彼らが専門のアナウンサーのように正しい発音と言葉遣いで教えているかどうか疑問だ。いや、アナウンサーでさえ、最近は怪しい人が少なくないのだが…

アレルギー問題になった某有名石鹸のように、ネイティブを集めてやたら宣伝している語学教室といえども、実は粗悪な講師ばかりかもしれない。さらに、ネットに氾濫している英文も迂闊には信用できない。また、ビジネス書などの英文もおやっと思う事がときどきある。もっとも、ビジネス書は日本語翻訳本もかなりヤバイことが多いが…

この点、名文として高い評価を得ている文豪たちの作品を勉強するというのは、確実だし、安全だ。だが、内容が高尚すぎて疲れるというのが正直な感想である。

う~む、言葉を勉強するというのは日本語、外国語を問わず、なかなか難しいものだ。

 

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