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清涼感がほしい

清涼感

今朝バス停に着くと、むさ苦しいサラリーマンの一団がたむろしていた。どうやら彼らが普段乗るバスが遅れているらしい。

ベンチを見渡したところ、他に空いた場所がなかったので、カバのように太った中年サラリーマンの斜め前に腰を下ろした。いや、失礼。カバは太っているわけではない。あの動物はもともと巨体なのだ。あの姿形は生存競争に勝ち残ってきた立派な造形である。腹が飛び出た二重あごのサラリーマンと一緒にしてはカバが可哀想だ。深く反省せねばなるまい。

さて、電光掲示板になっている運行表に目をやると、どうやら私のバスも遅れているらしい。仕方がないので、しばらくこの太ったサラリーマンを観察する羽目になった。まだ出勤途中でベンチに座っているだけなのに額からは汗が出ている。どうやら無駄に脂肪が燃焼しているらしい。脂肪は適度な運動で燃焼させるのがセオリーだ。あるいは氷河期に備えて適量を保存しておかなくてはならない。

しばらく観察していたが、この男性、なかなか目つきが鋭いことに気がついた。ただの太った中年ではないかもしれない。そういえば、斑模様のようなシミが何かの作戦地図のように顔に広がっていた。もしかすると軍関係者かもしれない。う~む、これは侮れないかもしれないな。

とそのとき、髪の長い若い女性がやってきた。どこかのOLさんだとは思うが、それまでの重苦しいバス停の空気が一変した。フリルの入った春らしいパステルカラーのスカート、清潔感の漂う白いブラウスに柔らかい薄手のカーディガン。黒めがねはレンズを通して目が少し小さく見えることから、しっかり度が入っているようだ。マニア受けを狙った飾りアイテムではないらしい。そして、黒いパンプスが細い脚をより細くみせていた。

なかなか魅力的な女性だった。もっとも、隣に立っている女性がティラノサウルス(想像図)のような雰囲気だったので私の判断力に影響を及ぼした可能性は否定できない。しかし、このむさ苦しいバス停にそよ風が吹いてくれたことは確かである。これから暑い季節に突入する。こういうときは、やはり清涼感のある女性が必須だ。間違っても暑苦しい女性はNGである。暑苦しい女性はクールビズの敵だ。地球温暖化の原因のひとつとする研究報告もある。

それはともかく、しばらくそよ風に吹かれていると、バスが到着した。私の乗るバスではなかった。サラリーマンの一団がバスの中へ消えて行った。どうやら彼女もそのバスに乗るようだ。名残惜しそうに彼女の背中を見ていたとき、彼女の前の女性がつまづいてころんだ。私ははっとしたが、彼女が手を差し伸べるだろうと思って黙って見ていた。

だが、彼女はさして気に留めることもなく、あっさりスルーしてバスに乗ってしまった。その瞬間、それまで私を心地よくしていたそよ風がどこかに消えてしまった。バスが出た後、ぽつんとひとり残った私は、今見た光景を頭の中で整理してみた。

五分ほど考えた後、私は突然、上の前歯を右手の人差し指ではじいた。全てを理解したときに私がやる仕草だった。そうなのだ。私の目に狂いがあったということなのだ。

いい女だと思ったが、悪い女だった。

 

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ハードボイルド

ハンフリー・ボガート

ハードボイルドというジャンルは日本でも定着しているように思えるのだが、どうもその意味するところを間違って受け止めている人が多いようだ。ハードという言葉から、激しい暴力シーンや壮絶な銃撃戦、また、ボイルドという言葉から、熱く煮えたぎるギラギラした男臭い主人公を想起する人が少なくない。

だが、本来ハードボイルドにそんな意味はない。

ハードボイルドは、アガサ・クリスティーに代表される旧来の推理小説に対するアンチテーゼとして生まれた。クリスティー型の推理小説を私は「大団円型」と呼んでいる。物語の最後に名探偵が登場人物を集めて謎解きを披露するという展開だ。クリスティーでは私立探偵エルキュール・ポアロ(フランス人と思っている人が多いが、ベルギー人である)が最後に全ての謎を解く。ポアロは自身の最後の事件でさえ、物語の最後の最後に自らの遺書で死後に謎解きをする徹底ぶりである。日本でもこのパターンは踏襲されていて、横溝正史の金田一耕助シリーズがまさに典型である。近年では『名探偵コナン』がそうだ。

こうした従来の推理小説は推理を楽しむという点では申し分ないのだが、リアリティに欠けると異議を唱える人たちが出現した。現実の世界では、名探偵の謎解きを待つまでもなく、途中で謎が解明されたり、あるいは最後まで解明されなかったり、さらには探偵が事件の真相を闇に葬るといったことも起こりうる。そうしたリアリティを追求し、必ずしも謎解きに重きを置かず、むしろ登場人物の心情や背景描写に力を入れることにより、推理小説でありながら、純文学的な小説により近い内容を目指してはどうかという動きが起こった。これがハードボイルドというジャンルなのである。私はそう理解している。

このジャンルを確立した作家は、なんといってもダシール・ハメットであろう。彼の『マルタの鷹』は永遠に記憶されてよい。そして、ハードボイルドを不動の地位に押し上げたのが、我らがレイモンド・チャンドラーである。雑多な短編をいくつも書いた後、本格的な長編を七作品残した。私はこの七作品をオリジナルの英語版、フランス語翻訳版、日本語翻訳版の三か国語で読破している。筋金入りのチャンドラーファンなのだ。これらの作品の主人公はフィリップ・マーロウという私立探偵だが、「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。」という名セリフは、ハードボイルドファンでなくても一度は聞いたことがあるはずだ。

長編七作品は全て映画化されている。マーロウ役の俳優はどういうわけか作品ごとに異なる。その中で『大いなる眠り』はハンフリー・ボガートがマーロウを演じた(1946)。このときの彼のスタイルが大変印象深く、以来、ハードボイルドといえば、ボギースタイルが定番となっている。ちなみに、ヒロイン役はボガートの25歳年下の妻、ローレン・バコールであった。(ボギースタイルは1942年の映画『カサブランカ』で定着したという説もある。)

ところで、チャンドラーの作品は主として日本ではハヤカワ・ミステリ文庫から翻訳が出ているのだが、この翻訳の出来は最悪である。誤訳、拙訳のオンパレードだ。子供の頃、赤ペンで添削しながら読んだのだが、全ページ真っ赤になって唖然とした。本来、こうした貴重な作品は様々な出版社から翻訳が出て、自由に読み比べることができればよいのだが、独占翻訳権などというものを取得して他社の翻訳を許さない出版社が後を絶たない。文学界の悲劇である。

もっとも、最近では村上春樹が新訳を出しているようだ。でも、村上春樹の翻訳って、昔から超が付く自由訳だからなあ。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』も意訳のオンパレードだったし、正直あまり期待はできない。

フランス語翻訳もひどい。フランス人はかなりズボラらしく、ストーリーに直接関係ないとみるや平気で数ページも省略してしまったりする。困ったものだ。やはり、チャンドラーはオリジナルの英語版で読むしかないだろう。

長編七作品は全て傑作だ。ただし、最後の『プレイバック』だけは異論が出るかもしれない。ストーリーが単純だし、謎解きも面白みがない。そもそも長編と呼ぶには短すぎる。ただ、私は孤独だったマーロウに遂にハッピーエンドが訪れるっぽいエンディングに共感を覚える。作品の質という点では、『高い窓』や『長いお別れ』がイチオシだ。

というわけで、きびだんご日記は国王の趣味でたまにハードボイルド小説風に書いたりする日もあるのだ。

 

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きびだんごの古い友人

その日の朝、赤いバラの花束を抱えた私は、ある邸宅の前に立っていた。海が見渡せる小高い丘の上に立つ白亜の洋館だ。広い庭の花壇は手入れが行き届いているようだった。とても閑静な住宅街で、私が鳴らす呼び鈴の音以外何も聞こえないと思われた。少し躊躇した後、私は努めてさりげなく静寂を破った。

私が誰かを訪ねるといつもそうであるように時間が過ぎていった。

暫くしてドアが開くと、若くて魅力的な女性が目に飛び込んできた。透き通った情熱的な瞳、腰まで届く長い髪、長身が映える白いロングのドレス。そして小悪魔のような唇には、きびだんごが嬉しそうにくわえられていた。そうだ、今日はきびだんごの商談に来たのだ。わがきびだんご王国の経済はきびだんごの売り上げに懸かっているのだ。

私はバラの花束と百万ドルの笑顔を彼女にプレゼントした。応接間に通された私はテーブルの上にきびだんごを並べた。ヘソのあるレトロなきびだんごだ。(意味のわからない人は昨日の日記を読んでほしい。) 悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女が言った。「面白い人ね。ヘソがない方がすっきりして奇麗なのに…」

私は彼女の豊かな胸元を見つめて言った。「嘘が女のアクセサリーであるように、ヘソはきびだんごの古い友人です。」そう言ってからゆっくり視線を上げた。ゆっくり上げたのは彼女の胸元に別れを告げるのが名残惜しかったからだ。そうして恐る恐る彼女の顔色を窺ったが、別に機嫌を害した様子はなかった。

それから我々は暫く雑談をした。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の第一作のラストシーンでスパロウ船長が言う決め台詞、「あの水平線を持ってこい!(日本語版翻訳では「水平線までつれてけ!」)は二人の脚本家ではなく、ジョニー・デップ自身が思いついた台詞であるとか、劇画『コブラ』の原作に間違って右腕にサイコガンが描かれた箇所が存在するとか、そんなマニアックな話で盛り上がった。

首尾よくきびだんごの売り込みに成功した私は、フェドーラ帽を目深にかぶり、邸宅を後にした。別れ際に「またお会いしたいわ」と長い髪を弄びながら彼女は言った。美女の依頼はいつでも歓迎だ。

港に続く坂道を下って行くと、ヘソのないクローンきびだんごを手にした人相の悪い親子と擦れ違った。「やっぱりきびだんごはこれよね」という声が聞こえてきた。可哀想に。君たちに明日はない。

擦れ違い様に目が合った私は、「いいですね」といって微笑んだ。何もいいことはなかった。ただそう言っただけだった…

 

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