最近、つくづく思うのだが、物語で大切なのは主人公よりもむしろ脇役かもしれない。過去にヒットした名作映画などを振り返ってみると、魅力的な脇役が多数登場することに気づく。そうなのだ。脇を固めてなんぼのサブキャラクターの出来不出来が物語の魅力を大きく左右するのである。
例えば『スター・ウォーズ』のような作品を思い浮かべてみれば一目瞭然だろう。脇役の使い方が抜群にうまい。脇役は作品の味に深みを加える調味料のような働きをする存在であったり、場合によっては完全に主役を食ってしまうほどのパワーを発揮する存在であったりする。ややもすると主役に注意が集中しがちであるが、脚本の段階でとことん脇役を煮詰めている作品はやはりひと味もふた味も違うものである。
で、我らが桃太郎伝説はどうかというと、脇役である犬、猿、雉、鬼、養父、養母が大して活躍しない。私は子供の頃、桃太郎伝説を聞かされてあまり感動しなかった。そこには桃太郎の心の葛藤も家来たちの個性も、さらには悪役である鬼たちの力量も描かれていなかったからだ。これでは冒険活劇ものとしてのワクワク感がどこにもないではないか。出てくる脇役たちは、ただストーリーの展開上必要とされる最低限の役割しか与えられておらず、実に残念だ。
これではいかんと思いつつも、桃太郎伝説を完全に書き換えるのは抵抗が強い。桃太郎伝説はなんといっても岡山の観光資源であり、きびだんごというお土産の正当性を担保する砦のようなものだからだ。ここにいきなり手をつけると、きびだんご王国がミサイル攻撃を受けかねない。あまりにも危険である。
そこで、まずは桃太郎伝説の周りから、いわば外堀から攻めてゆこうと「エピソード I 」の世界、すなわち桃太郎伝説の少し前、桃太郎の父親の活躍する世界に挑戦することにしたというわけだ。ここを皮切りに「ジェネシス」や「新世紀」にも取り組むという姿勢は、これまでのきびだんご日記で何度も述べてきた通りである。
だが、最終的には本丸とも言うべき、本家本元の桃太郎伝説にも挑戦する日が来るだろう。その時こそ、きびだんごのフォースが銀河にバランスをもたらすことになる。そして、そこでは桃太郎の周りの脇役たちが生き生きと大いなる魅力を持って輝くはずである。例えば、桃太郎がルーク・スカイウォーカーのような存在ならば、脇役としてハン・ソロ船長に匹敵する大物が絶対に必要だ。その人物は、言うまでもなく、桃太郎が鬼が島に渡るために必要とした船の船長以外あるまい。船旅は困難を極めるだろう。途中で鬼に雇われた賞金稼ぎに襲われたりもするはずだ。冒険活劇はそうこなくてはいけない。
というわけで、物語には魅力的な脇役が欠かせないのだ。はるか昔、銀河の彼方、太陽系第三惑星を舞台に繰り広げられる壮絶な桃太郎伝説が今のままでよいはずがない。
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