インターネット広告にキーワード連動広告というのがある。例えば、「きびだんご」と検索をすれば、「きびだんごなら○○」といった具合に広告が表示されるといった仕組みだ。料金体系などは様々だが、いかに売り上げに直結するキーワードを選ぶかが大切だ。
「和菓子」や「お土産」のように一般名詞となっているものは検索頻度も高く、ビッグワードなどと呼ばれ、広告料金も高めに設定されている。一方、誰も検索しないようなマニアックな名詞は極めて低価格だが、そもそも広告する意味がない。
昨日、Yahoo!でネットに関する情報を検索しようとして、「ネット」と入力するところを間違えて「ねっとり」と入力したまま検索をしてしまった。すると、な、なーんと、「ねっとりならアマゾン」という広告が表示されるではないか。
「ねっとりならアマゾン」ということは、「ねっとり」ならアマゾンで買ってねという意味だが、そもそも「ねっとり」とは買うものなのか。というかこれは名詞ですらない。形容詞だ。一体アマゾンは何を売っているというのだろうか。
唖然としながらも、念のために恐る恐るリンク先へ飛んでみた。すると、なぜかDVDのカテゴリーに飛び、しかも「”ねっとり”の検索に一致する商品はありませんでした」と表示される。まあ、そうだろう。そんな商品は聞いたことがないな。そして、申し訳なさそうに「ねっとり」がタイトルの一部になっている本やチョコが表示された。
しかし、それにしても「ねっとり」などという形容詞まで購入しているとは、アマゾン恐るべし。というか、もう怖いとしか言いようがない。いったいどういうセンスをしているのだろうか。
待てよ、これはひょっとして「まったり」とか「べっとり」とかもキーワードとして購入しているやつがいるかもしれないな。そう思った私はさっそく検索してみた。だが、誰もこんな形容詞に広告料を払っていないようだ。というか普通払わないだろう。
そう考えると、やはりアマゾンは変だ。そもそもリンク先に商品がない。にもかかわらず「ねっとり」に広告料を払う意味は何だろう。謎だ。謎が深まる。「ねっとり」に広告料を払い、「まったり」や「べっとり」には払わない。その基準も不可解だ。だいたい「ねっとり」はあまり印象のよい形容詞ではない。一体なぜ ?
う〜む、深い。深すぎるぞアマゾン。全てはジャングルのうっそうとした茂みの中ということか。
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