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ナンバーワン

ピカソ作『ドラ・マールの肖像』

私が嫌いな言葉に「オンリーワン」というのがある。確かジャニーズ所属の歌がヘタクソな中年アイドルグループが歌ったヒット曲の影響で信者が増えた言葉だ。他人と競争なんかしなくていい、自分は世界にたったひとりの存在なんだから、それだけで意味がある。自分にしかできないことをせいいっぱいやればいい。それが個性だ。個性を尊重して伸ばしてあげよう。そんな風潮が一時我が国を席巻した。

はっきり言おう。本当に価値があるのは「ナンバーワン」だ。

競争のないところに進歩はない。我々が現在までのところ進化の頂点に立っているのも途方もない競争に勝ち残ったからに他ならない。生物は競争して生き残ってきたのだ。競争は生命が背負う宿命といってもよい。

そもそも、我々が誕生した陰では、おびただしい数の精子が競争に敗れて死滅している。たったひとつの競争に勝った精子が卵子と受精してヒトになったのだ。つまり、生まれてきただけで既に我々は勝者なのだ。確率にするとものすごく低い数字になるだろう。だからこそ、この世に生ある者は全て勝者であり、生き続ける限り、競争に勝ち続けなくてはならないのだ。

我が国では毎年3万人もの人が自殺するが、こういう人たちは自分たちが勝者だということに気づいていないらしい。生まれてきただけで既に勝者なのだから、もっと自信を持てばいいのに…

とある小学校の運動会では、敗者を作らないために全員手をつないで同時にゴールさせたりするところもあると聞く。中学・高校でも模擬試験の学校別の成績を公表することに頑強に反対するところが多いらしい。

一体、この国の教育者たちは「切磋琢磨」という美しい日本語を忘れたのだろうか。

スポーツでも学力でも大いに競争すればよいではないか。負けた者は悔しいかもしれない。だが、だからこそ精一杯努力するのではないのか。悔しさをバネにして、後に大成した人物は山ほどいる。

たとえ負けてもベストを尽くせば何かしら得るものがあるはずだ。ベストを尽くした敗者なら勝つことの意味がよくわかる。そして「ナンバーワン」への道を再び歩き出す…

「オンリーワン」になることは簡単だ。例えば、誰にも理解できない言語を作ってひとりでしゃべればいい。世界にたったひとりだけが話す言語だ。その人物は「オンリーワン」だが、誰からも相手にされないだろう。これはギャグではなく、「オンリーワン」の本質を物語っている。「オンリーワン」とはこの世でたったひとつ、つまり共通認識とか仲間とかそんな繋がりのないことを意味する。「独創」と言い換えれば少しはましに聞こえるが、やはり理解できないという点では同じだ。本来、独創的などということはありえない。例えばピカソの絵が独創的だと評したところで、多くの人々に理解されている以上、何らかの共通認識の上に立つ芸術である。もし、本当に独創的なら誰からも理解されず、美術館に飾られることもないはずだ。

脳科学者の言を待つまでもなく、我々の脳はみな基本的に同じだ。「オンリーワン」などではない。アインシュタインの脳も私の脳もヒトとして同じなのだ。結局個性というのは養老孟司が言っているように「顔」なのである。ひとりひとり顔が異なるわけだから、既に十分個性的だ。それ以上、必死になって個性的であろうともがく必要などない。どんなに個性的であろうとしても、どんなに独創的であろうとしても、世の中で認められるためには人類の共通認識の上に立つ以外ないのである。

私はこの共通認識の上で「ナンバーワン」になった人々に対し、賞賛の念を禁じ得ない。

 

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